022「収束-Converge-」
転移事件と、それに端を欲するかのように発生した異常氾濫から一ヵ月。あれからシズ迷宮は、何事も無かったかのように元に戻っている。
事件当時、あれ程溢れ続けていた魔物は、その日のある時を境に急に鎮まり、それ以上溢れる事は無かった。
また、下層との出入りも同時に可能となってはいたが、下層ではジャナル達の捜索が続けられており、彼らが上層に上がったのは収束から一日が経った翌日の事だった。
事件後の調査では、氾濫の収束がとある魔物と関係している可能性が高いことが判明した。しかし、確証は得られないまま、現在は調査を一時止めている。
もう一つ。この事件に関連していると思われることが、報告に上げられている。事件時に迷宮下層に現れた謎の騎士擬きについてである。
事件後、この魔物は一切迷宮に姿を現さず、忽然と姿を消している。さらに、ゼン達が運び出した遺骸も上層に出たと同時に全て消失したため、その生態を探る事も不可能となってしまっていた。
この謎の騎士擬きについては、引き続き調査を行っているが、今の所は何の手掛かりも掴めていない。
氾濫収束後、最も街を悩ませたことがある。それは人的被害によるハンターと魔術師の減少である。
特に氾濫初期に近くにいた多くの等級が低いハンターや魔術師が、魔物の波に飲まれたと思われる他、大通りから逸れて散らばった下層の魔物達に遭遇し蹂躙された犠牲者数は、当初に判明しているだけでも150人以上に昇った。そこから、行方不明者数を足せば、250人近い人数になっている。
数こそ少ないが、高位のハンターPTの中からも犠牲者が出ており、その多くは最前線にいたアガラ隊以下三隊の隊員だった。
行方不明として処理されていた者達は、迷宮組合と魔術塔が事件から11日後に、行方不明のまま正式に迷宮内死亡とされ、捜索の打ち切りも発表された。
シズ迷宮街にとって、一度にこれだけの被害が出たのは初めての事であり、犠牲者の多くが地元の兼業ハンターや若手だったために、住民からは不安の声が多く上がることになった。
実際、一度にこれだけの数のハンターや兵士、そして魔術師が減るとは想定されていなかったため、ガゼルは街の統治者であるシズ伯と共に、国に軍の応援と一時的な兵数の増員を要請した。
増員は未確定ながら、収束から半月後には500人の応援部隊が到着し、迷宮内の間引きを毎日行い、住民の不安を少しでも和らげる事には成功していた。
バルドの大魔法に巻き込まれた中年ハンターと若い女魔術師についてだが、ハンターの男はその日の夜、家族に看取られながらこの世を去っている。
彼が治癒院に運ばれた段階で、治癒士はただ家族来るまでの時間を、延命する事しか出来なかった。
そして彼が助けた若い女魔術師は、何とか一命を取り留めることに成功し、今も治癒院で治療を受け続けている。
だが、全身に及ぶ重軽度の火傷痕は、完全には消えずに残ることになった。
そして事件から約一月が経ったこの日、組合に一人の青年が、背の高い女性に支えられながら、ハンター達の前に姿を見せた。
多くのハンターに囲まれ、歓迎されたその若い男女の指には、同じ意匠の指輪が嵌められていた。
(ガハハハハハハハ。あれ、どっちかが死ぬまで絶対外れねぇからな)
時は、レイが嗤う骸骨を両断した少し後に戻る。
ゼンとフェルナ、そして二人の後に続いてレイ達も神樹の空間に入ると、二人の若い男女が並ぶ様に寝かされているのを発見した。
すぐに二人の元に駆け付けたゼンは、口元に手を翳し呼吸を確認すると、その場に座って安堵の表情を浮かべ、大きく息を吐いた。
「その様子だと、生きてはいそうだね」
「ああ、呼吸は二人ともしている。だが、ジャナルの方はまだ危険だ」
ゼンに追いついたフェルナも安堵の評所を浮かべ、レイに手招きをして近くに呼ぶ。
「未熟で小さくてもいいから、実を一つ取って来ておくれ」
「分かった」
レイは何をするのか分からなかったが、フェルナの言う通りに神樹に実を取りに近づいて行った。
「腹部だけじゃないね。他にも足や腕も折れてそうだね」
「そうだな。ルーナの傷が少ない所を見ると、ジャナルが前衛で踏ん張ってたんだろう」
ルーナも決して無傷ではない。身に着けている鎧の様々な箇所に、小さな凹みや大小の傷と共に、乾いた血の跡が無数に残っている。
ジャナルの鎧は治療の為だろうか、胴鎧は見当たらず脱がされていた。しかし、腹部の広範囲に渡る紫色に変色した皮膚。足甲などの傷や凹みを見るに、ルーナの鎧よりも激しく損傷しているのが分かる。
それだけで、ジャナルが覚悟を決めて、ルーナだけでも生還させようとしていたという証拠だろう。
「男の子だねぇ。レナ」
「はい」
優しい眼差しをジャナルに送りつつ、フェルナは弟子のレナを呼ぶ。
「空き瓶を二つ用意しておくれ。中を綺麗に洗って、消毒もするんだよ」
「はい、すぐに用意します」
レナは返事をするとすぐに踵を返して、神樹から遠く距離を取った。神樹の近くでは魔術が一切使えないためである。
彼女は十分に神樹から距離を取ると、魔術が発動するかを確認し、鞄から魔法薬の入った瓶を二つ取り出した。そして躊躇することなく、その中身を全て捨てた。
もし低級PTや軍の兵士が見ていれば、悲痛な声を上げていただろう。魔法薬は高価であると同時に、その消費期限も10日前後しかないため、中級PTでも貴重な物資として大事に扱われている。
しかも、彼女が捨てた魔法薬はジャナル達が持っていた小瓶ではない。小瓶三つ分の中瓶。それを二つも中身を捨てたのである。
雷光の団員達も、その光景には口を開けて見ていた。
「うわぁ。俺達でも中瓶は躊躇するってのに・・・」
「だよなぁ」
集まる視線をものともせず、レナは瓶を逆さにして上下に振る。
空になった二つの瓶の中には、魔術で生み出した水で満たし、水流で二回ほど洗い流した。
最後に水で瓶を包み込むと、水を沸騰させ消毒を行い始めていた。
「婆ちゃん。これでいいか?」
雷光の皆がレナを眺めている間に、レイは小ぶりな実を一つ持って帰った。
「十分だよ。ありがとね」
フェルナは実を受け取ると未開封の水筒を取り出し、自分の手と実を洗い、それを二つに割った。
「フェルナ様、お持ちしました」
そこにレナが煮沸した瓶を二本、フェルナの前に置いた。
置かれた瓶の中に実を一つずつ、潰しながら入れていく。最後に余った水を均等に注ぎ蓋を閉めた。
「そこ男共、元気が余ってるんだろ。瓶を振って、中身を拡散しておくれ。変化があるまで、振り続けるんだよ」
フェルナは手持ち無沙汰にしていた雷光の団員に声を掛け、瓶を渡した。
瓶を渡された団員達は、瓶が割れない様に力を加減して振り始める。疲れると次の団員に代わり、また振り続ける。それを一周する頃、瓶の中の水に変化が起こり始めた。
「おっ、何か光り出したぞ」
「こっちもだ。フェルナ様、まだ振ればいいのか?」
驚く団員達は少し声を張り上げ、目隠しの先に消えたフェルナに声を掛けた。その目隠しはつい先程、男達から容赦なく奪われた外套で、女達が即席で作り上げたもの。中にはルーナが寝かされており、女達が彼女の状態を確認している最中である。
その目隠しから顔を覗かせたフェルナは、瓶を見るとまだ振り続けるように彼らに伝え、ルーナの元に戻って行った。
その後も二週、三週と続けると次第に光は中心に収束していき、中に小さな結晶が出来上がった。
「おぉ~。なんか凄ぇ物が出来たぞ」
「こっちはまだだ。おりゃー。―――おおお。こっちも出来た」
結晶が出来た瓶を早速フェルナに見せると、彼女から終わりを告げられ、男達はようやく腕振りから解放されるのだった。
「レナ、こっちは任せるよ。私はジャナルの方を見てくるからね」
フェルナはレナに瓶を一つ渡すと、レイラを連れて目隠しの外に出て行った。
レナは渡された瓶の中の水を、慎重に口を湿らせる程度に抑えながらルーナに与え、それを繰り返した。
見た目に変化は無いが、レナはゆっくりと時間をかけて与え続けた。
神樹の実は人の限界や寿命を延ばすだけではない。そこらの魔法薬とは比べられないほど、体力を回復させる効果も高い。
だが、体力が著しく落ちている者に与え過ぎれば、急激な変化に耐えられない可能性も十分にあるため、余分な神力を結晶化させ、微量の実の効能を残した水を少量ずつ、ゆっくりと時間をかけて与えているのである。
レナは全ての水を与え終えるまで、二時間近くの時を根気良くルーナに付き添い続けるのだった。
「フェルナ様。こちらは与え終わりました」
レナはジャナルの元にいたフェルナに声を掛ける。
「ご苦労だったね。こっちももうすぐ終わるよ。レイラ、後は頼むよ。ルーナの方はどうだい?」
フェルナはレイラに後を任せると、ルーナの元に歩き始めた。
レナもそれに付き添う様に歩き始める。
「血色が若干ですが良くなっています。大きな傷や骨折もありませんから、このまま様子を見ていれば、一日か二日以内には目覚めると思います。それと」
目隠しの中に入った二人は、ルーナ横に膝を置く。そしてレナは彼女の指に嵌められている指輪をフェルナに見せた。
「この指輪なのですが、遺物ではないかと」
フェルナは、レナに言われてその指輪をなぞる様に指先で触った。
「可能性は高いね。かなり高度な隠蔽がされてるか、この素材の影響かもしれないね。ただの銀細工ではない事は確かだと思うんだけどね。・・・外れないね」
「はい。もし危険な遺物だったらと思い、外そうとしたのですが」
フェルナは少し考え、布切れを指輪と指の間に差し込んでみた。すると布は確かに隙間に入っているのだが、指輪は決して嵌っている位置から動くことは無かった。
「これはお手上げだね。確実に遺物で間違いないね。何処で手に入れたのかも気になるけど、今はどうしようもないね」
大魔女であるフェルナでも、迷宮から産出される遺物については専門外。そもそも遺物の多くは、使途不明のまま専用の宝物殿で埃を被っているのが現状となっている。
「危険な遺物でない事を祈っておくしかないねぇ」
「はい、注意しておきます」
「ルーナはとりあえず、問題は無さそうだね。私はジャナルの所に戻るよ」
フェルナはルーナの顔色を視つつ、その場を後にした。そして、ふと気になり、ジャナルの元に足早に駆け寄る。
「まさかとは思ったけど・・・」
ジャナルの指にも、光る銀の指輪を見つけたのであった。
フェルナ達はさらに半日ほど聖域に留まった後に、ジャナルとルーナを連れて最下層を後にした。
道中では、捜索を依頼していたPT達に事前に報せていた合図を送り続け、合流をしながらの進行となった。
そして下層10階層の階段で、ガゼルが派遣したPTと合流。上層の氾濫収束を知るのだった。
最下層に一行が到着した頃。上層では水路からの魔物の氾濫が収束し、急ぎ生存者の救出と負傷者の後送が行われていた。
さらに、大量に出た魔物の死骸処理も同時並行で行われ、その一部は魔術による焼却で処理することになった。この焼却処理の煙は三日以上迷宮内で登り続けた。
だが、水路にその巨体を横たえるドラゴンゾンビの遺骸だけは、特別な処理が必要だったため、合流したガゼルの部隊が厳重にその周りを警備し、専門家の到着を待つことになった。
「バルド。それにあんた達、無理し過ぎ。一度外に出て休む」
最後の砦として外に残っていたエリーは、収束の報告を受けて弟子達を伴ってこの場に駆け付けた。
そして廃屋の壁に背を預け、満身創痍になっていたバルド以下、最前線で戦い続けていた者達を見つけたのである。
今回の氾濫について、バルドは自身の迂闊な行動が原因であると考え、誰よりも長く戦場に立ち続けていた。
魔力が尽きかければ弟子と役割を代わり、ハンター達と肩を並べて剣を振るう。そして、魔力が回復すればまた水路に魔法を撃ち続ける。そうして、収束まで戦い続けていたのである。
「いえ、まだジャナル達の捜索が残ってい―――」
「駄目。お~い。こいつらをさっさと外に運び出せぇ~。最低でも半日は休ませるんだよぉ~」
エリーの一声で、迷宮外に避難していたPT肉体美の屈強な男達が笑顔で颯爽と現れ、持ち込んだ五台の荷車にバルド達を放り込み始めた。
「ちょ、待ちな――――フゴォ」
何か言い掛けたバルドは、猿轡が嚙まされ、さらに簀巻きにされて荷車に放り込まれた。それを見ていた者達は大人しく荷車に乗り込み始めた。
「しゅっぱ~つ」
エリーは全員が荷車に放り込まれたのを確認すると、出入り口に向かって振り上げた腕を降ろし、肉体美に合図を送る。
そしてバルド達は多くの者に見られながら、迷宮の外に運ばれていくのだった。
「よしよし。んじゃ、皆~。他にもやばそうな人いたら、報告してねぇ。肉体美の皆が荷車で外まで運んでくれるからねぇ~。暴れなければ、猿轡も簀巻きにもされないからねぇ~」
エリーが大声で皆に伝えると、その背後では肉体美の団員達が、自慢の筋肉を見せつけるようにポージングを決めていた。
エリーはバルド達を見送った後、自分の仕事をするためガゼルの元に足を運んだ。
「ガゼル将軍。これからドラゴンゾンビの処理に入りますね~」
ガゼルを見つけたエリーは、のんびりとした口調で声を掛けると、そのまま障気を纏わせているドラゴンの遺骸に、弟子達と連れて来た数名の神官を伴って近づいて行った。
「何か手伝えることがあれば、周りの兵士に言いなさい」
「は~い。あっ、警備の兵士さん達を十歩ほど離してくれますか~」
「あぁ、わかった。すぐに指示を出そう。後は頼んだ」
エリーの頼みを聞いたガゼルは、すぐに兵士達に指示を出し始める。
兵士達が十分に離れたのを確認したエリーは、弟子たちと共に再びドラゴンに向かって歩き始めた。
「よし、皆~。とりあえず瘴気から除去するよ~。神官さん達が浄化している間、障壁は常に展開して神官と自分の身を護る事。もし瘴気が予想より溢れたら即避難を叫ぶ事。分かった~?」
「「はいっ!」」
元気よく返事をした彼らは、久しぶりに触る瘴気付きのドラゴンゾンビを前に、嬉々とした顔を浮かべていた。
「よ~し、始めるよぉ~。愛しの愛しのドラゴンゾンビちゃん。今から私達が、その骨をしゃぶりつくしてあげるからね~」
そして、呆れ顔の神官達を他所目に、狂人達の宴が始まるのだった。




