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020「聖域-Sanctuary-」

 迷宮の最深部。そこには神々しい耀りを纏う一本の真っ白な樹木が伸びている。その葉も地上に伸びる樹木とは違い、一枚、一枚が淡く耀り、一年を通して鮮明で明るい緑葉を生やしている。

 この樹木に生る実は、人の限界を底上げし、寿命を延ばすとされ、古代から対魔物の貴重な戦力を育てるために利用されて来た。

 そして人は何時しか、その樹木を「神樹」と呼び始め、その枝になる奇跡の実を「神の雫」として崇め、感謝した。



 宝物を手に入れた後、ケルトは二人を神樹のある最深部に連れていくため、隠し区画から最短経路で突き進んでいた。

 実の所、彼は監禁部屋から解放された直後に、ジャナル達が飛ばされた隠し区画から運よく出ることに成功していた。

 そして適当に歩いていると、最深部にある神樹のある空間を偶然見つけ、恩人を探すために引き返していた。

(ふい~。ようやく入れたぜ。何なんだろうなあの騎士擬きは・・・)

 隠し区画からさほど離れていない最深部にようやく辿り着いたケルトは、一息ついていた。

 この空間に魔物は入って来ないことは、以前から知っていた。おそらく、神樹から漏れ出る聖神の気配を本能的に嫌っているからだろう。

 だが、そんなものはケルトには通じない。何故かは本人にも分からない。入れるんだから仕方ないとケルトは開き直っていた。

(しっかし、まぁ。この空間は骨に染みるねぇ)

 嫌悪感は無いが魔物である以上、聖域に近づけばそれだけでケルトの身体には異変が生じる。今も満ちる神気に当てられて、身体中から少しだけ煙が噴き出し、その身を溶かそうとしていた。

(これだけ離れてるのに、僅かに痒みを感じるってのが凄いねぇ。では、いざ逝かん!)

 しみじみとした感想を呟きつつ、覚悟を決めたケルトは一歩ずつ前に踏み出す。出来るだけ神樹の近くに二人の戦士を運ぶために。

(痛痒い~。うおぉ~、踏ん張れ俺の骨たちよ~)

 その痒みは一歩進むごとに、これまで感じる事なかった痛みに変わり、ケルトの全身を襲う。

(うぎゃ~。いたい~。誰か代わって~)

 また一歩前に踏み出し、さらにまた一歩。まるで魔物たるケルトの存在そのものを否定するかのように、一歩進むごとにその痛みは増し、全身から煙が噴き出す。

(あとちょい。あと一歩くらい行けるだろ)

 そう思いながら、ケルトが一歩を踏み出した瞬間、足の指の骨先がほんの少しだけ、一瞬で溶けた。

(いってぇええええええ。こ、此処まで、だな)

 神樹から50歩ほど離れた位置、そこが聖域の中心部に入る境界線と見極めたケルトは、まずは男の方から聖域に入れることにした。

 ゆっくりと草地に男を降ろし、聖域の内側へと押し込む。そしてその身体が聖域に入ると、男を伝ってケルトの手に神気が流れ込む。

(おぎゃああああああああ。いってぇええええええええええええええ)

 その痛みに思わず前傾に倒れ、男の身体ごと左肘から先が聖域に入ってしまった。

(溶けたぁあああああああああ。いてぇええええええええええええええ)

 すぐに引き寄せた左腕は肘から先が綺麗に無くなり、その断面から煙が勢いよく噴き出し続ける。

(糞がっ。俺はお前の子を助けてやってんだぞ。少しくらい手加減しやがれ。阿保神めっ。死ねっ)

 悪態をつきつつも、男を聖域に押し込むことに成功した。

 しかし、もう一人の女も押し込もうとしたが、聖域に近づきすぎた影響と片腕になったことで、男よりも大きい女の身体を押し込めなかった。

 だが、ケルトはここで諦めることはしなかった。何故なら、自身の美学「骨道」に反するからである。

(仕方ねぇ。骨の意地を見せてやる)

 歯を食いしばり、さらに半歩近づいて女の身体を押し込む。

(ぎゃぎゃえけがあはあああああああああ)

 全身を襲う痛みに、聖域に入り込んだ足の指先から届く激痛。

(はぁ、はぁ、魔術が使えれば)

 ここでは魔術が使えない。魔神の力である魔を司る魔術は本来、聖を司る聖神の力とは対極に位置する力。

 その力の満ちる聖域では、魔術は対消滅を起こし、発動どころか魔力さえ練ることができない。そして、魔そのモノである魔物もまた、ここでは本来の力を発揮することは叶わない。この空間は魔物にとって、まさに最大の弱点と言って良い空間だった。

(ええい。このままじゃ埒が明かん!そんなに欲しいならくれてやる。死ねっ!糞神!)

 暴言を吐きつつ、ケルトは思い切り女の身体を押し込んだ。

(さよなら。俺の右腕。うぎゃあああああああああああああああああああ)

 押し込んだ反動で一気に離れたケルトは、その場でのた打ち回る。

 最初は根性だけで耐えていたが、本当は死にそうなくらい痛かったのである。

(ふう、ふう、ふう。やべぇ。本当に痛過ぎだろ。せめてもう少しレベルが上がってれば違ったか?はあ、はあ、はあー。だが、とりあえずこれで死ぬことはねぇだろ)

 ケルトは肘から先の無い両腕と両足を広げ、その場で大の字になって寝転がる。

(おい、よく聞け。糞野郎。お前に借りが有る訳じゃねぇ。そこの二人が、俺を永い監禁生活から解放してくれた礼だ。なのにだ!こんな仕打ちをするお前を俺は大っ嫌いだっ。死ねっ!ガハハハハハハハハハハ)

 最後はしっかり嗤って終わるのがケルトらしかった。


 ひとしきり嗤い終えたケルトは立ち上がり、眠っている二人に視線を送る。

(此処には決して魔物は入って来ないからな。もう大丈夫だろ。ついでに聖神の力が満たされてる此処なら、すぐに死ぬこたねぇだろ。まぁ、俺と違って飲食が必要な人や魔物は、数日放置されたら死んでるかもしれねぇがな。そこまで面倒を見てやる義理はねぇだろ。さて、これで俺の恩返しも終わり。あとは誰かが助けに来ることを祈るんだな)

 自分の役目は終えたとケルトは踵を返し、この場を去ろうとした。

 しかし、ふと何かに気付き、肩越しに背後に視線を向ける。

 そこには、指輪が光る手で、ケルトに向かって小さく振られていた。

 そしてその手は、隣で眠る男の右手に沿えられた。

(あばよ。ガハハハハハハハハ)

 ケルトは肘から先の無い腕を軽く振って答える。そして振り返る事無く、その場から立ち去った。


 ルーナは横目で立ち去って行く嗤う骸骨を見送った。

 彼女はこの空間に入った時から目覚めていた。だが、言葉を発せない程に弱りきっていた彼女には、何も出来なかった。

 だが、嗤う骸骨が自分達を此処まで運び、助けてくれている事を何となく理解出来た。だから彼女は抵抗せず、ただ見守った。

 この迷宮で唯一の安全地帯と言えるこの場所に、魔物は絶対に近づかない。

 だが、嗤う骸骨は魔物が全力で忌避するこの空間に自ら足を踏み入れ、その身を犠牲にして、神樹の近くに運んでくれた。

 「何故?そこまでしてくれるの?」それが彼女の純粋な思い。そして。

(ありがとう、本当にありがとう)

 そんな嗤う骸骨に対し、彼女は心から感謝した。

 そして再び、意識が沈んでいき、眠りにつく。その頬には、神樹の耀りが反射し、綺麗に光る一筋の涙が流れていた。



ーカタカタカタカタカタカタカタカタカタカター


 その嗤い声が聴こえた途端、ゼンとフェルナは足を止めた。

 その笑いを聴いたことが無いレイやレイラ達は、急に進む足を止めたゼンとフェルナ、そして他数人のハンターと魔術師を訝しむ。

「はぁ。どうしたもんかねぇ、本当に。カイル達の言ってた事が本当になっちまったよ」

「あぁ、本当にな。勘弁して欲しいぜ」

 立ち止まったままぼやき続ける二人と、驚きの顔を浮かべる数人のハンターと魔術師。そして、何が起きているのか分からず、困惑するその他の者達。

「ゼン。もしかして、これが例の?」

 堪らず、レイラが声を掛けるも、ゼンはそれを無視して近付いて来る嗤い声に鋭い視線を向け続ける。

 そんなゼンの雰囲気に、周りの者達も固唾を飲んで正面を見据える。

 その嗤い声は確実に彼らの元に近づいていた。そして次第に通路に響く声は大きくなり、暗がりの中からその正体を現した。

「・・・あれが、嗤う骸骨」

 レイラはゼンとフェルナの報告書で、その特徴を把握していた。他のスケルトンよりも背が高く、骨は黒に近い灰色に変色している。そして、カタカタと歯を鳴らしながら「嗤う」。

 しかし、報告に無い点もあった。それは右目に灯る禍々しい黒い炎。そして。

「・・・何だか、既に満身創痍に見えるんだけど?」

 レイラ達の前に現れた嗤う骸骨は、辛うじてスケルトンと分かるくらいにしか原型を留めていなかった。両腕に至っては肘から先が無い。

「油断するな。あれは少なくとも三度は蘇ってるはずだ」

「あれが、そうなのか?伯父貴」

 レイ達も此処に来た時に、シズ迷宮についての情報は頭に入れている。その中でも特に気に入ったのが、謎のスケルトン「嗤う骸骨」。

 だが、そのスケルトンは伯父であるゼンが既に滅したと聞いていた。

 それに同じ魔物や魔族が蘇る事象は聞いたことが無かったため、伯父の再び現れる可能性を聞いた時は笑って流していた。しかし。

「たぶんな。勘だが、同じ奴だ。しかし、レイラの言う通り満身創痍だな。それに、この辺りは既に神樹の影響で魔物は入って来ないはずだ。何でこんな所にいやがるんだ?ますます訳分からんぞ」

 困惑する一同を他所に、嗤う骸骨は楽しそうに嗤いながら、彼らに近づいて来た。



(おっ!あれは俺を一撃で屠った大男じゃあないか。それに婆さんもいるな。さっきの聖域で死んでも良かったんだが、あそこは痛すぎるからなぁ。本当はあの騎士擬きに殺してもらう予定だったが、こっちでもいいな。さぁ、殺すが良い。我が覇道を止めし勇者達よっ。ガハハハハハハハハハハ)

 ケルトは嬉しそうに。実際にかなり嬉しい。肘から先の無い両腕を広げながら、止まる事無く歩き続ける。

 だが、一向に魔法は飛んでこず、大男の一撃も迫って来なかった。

(おいおい、どうした諸君。まさか、怖気づいたのか?勇者がそんなことでどうするというのだ。ここは一撃で仕留め、勝利の咆哮を上げるべきところだぞ。んっ?よく見たら、隣の女も強いな。その後ろにいる奴等も強いな。特に勇者と同じくらいでかい男は良い聖気を纏っている。あいつにやられると痛そうだな。あいつは勇者認定から外して、外道で十分だろう)

 身構えてはいるが一切攻撃してこない勇者たちに呆れ、ケルトは立ち止まって頭を軽く前に傾け、首を横に振る。そして、ある事を思い出した。

(おぉ、そうだ。婆さんに俺の二重魔法を見て貰おうと思っていたんだ。忘れていた。ガハハハハハハハ)

 ケルトは再び歩き出し、婆さんことフェルナに腕を振りながら近づいて行く。

 それに対し、ケルトから婆さんを護る様に、大男二人とそれに続くように他の者も前に並び遮った。

 だが、それらを搔き分けるように年老いた魔女はケルトの前に歩み出てきた。



 真っ直ぐ自分を見詰め、腕を振りながら近づいて来る骸骨。相も変わらず、何が楽しいのか、歯をカタカタ鳴らし続けている。

 そんな骸骨に対し、何処かフェルナは可笑しくなり、自然と笑みが零れる。

「フフフ。皆、どきな。どうやら、私に用があるみたいだね」

 自分を護る様に前に出てきたゼンやレイ達を、押し退けて彼女は前に出始める。

「婆ちゃん!もう歳だろ。無理すんなよぉ」

 そんなフェルナに、顔は向けずにレイがさらに一歩前に出て遮ろうとする。

「そういう事はゼンを抜いてから言うんだね。ほれ、邪魔だよ。心配なら後ろからついて来な」

「婆ちゃん。我儘言う―――」

「行くぞ、レイ。レイラも来るか?」

 再び止めようとするレイを遮り、ゼンはレイラにも声を掛けながら、フェルナに並んで歩き出した。

「ええ、そうね。行こうかしら。何だか面白そうだわ」

 レイラもそれに続くように歩き始める。それを見ていたレイ達、雷光は思い出す。

(あぁ、そうだった。この人達、面白いか、面白くないかが判断基準だった)

「あぁもう。分かった。俺も行くよ。皆は何時でも動けるようにしておけよ。魔術師も障壁だけ準備しといて」

 レイも諦めて、レイラの後に続いて歩き出す。そして足早にフェルナをゼンと挟む様に並び、骸骨に顔を見る。

 フェルナを心配していた少し情けない顔は消え、自信に満ちた顔で骸骨の怪しく灯る黒き炎を見据える。

「ねぇ、婆ちゃん。あいつが本当に婆ちゃんの障壁を突破するような大魔法を撃ったのか?」

「そうだよ。まぁ、あれは純粋な実力ではないだろうね。魔法陣に魔力を集める細工をしていたはずだよ。でなきゃ、私の障壁を抜く様な威力にはなっていなかったはずさ」

 フェルナはあの時、骸骨が編んでいた魔法陣を何度も思い出しては、机上でそれを描き起こしていた。そして、他国の変人(魔法陣学の研究者)にも意見を求めつつ、一つの答えに辿り着いた。それが魔法陣に魔力を増幅、あるいは周囲の魔力を搔き集める細工があるだった。

 今はまだ。まとも起動さえしていないが、大陸中の変人達が一生懸命に図柄を模索しているはずだ。

「うへぇ。でもその魔法陣を編めるって事だろ?あの骸骨は」

「フフフ。だから厄介なのさ」

 厄介とは思いつつ、その骸骨のおかげで魔法陣学が一つ前に進み始めたのである。フェルナはその事を、嬉しく思っていた。

「時代が動くかもねぇ」

 百年以上の時を生きる大魔女フェルナ。この歳になって再び、その内に秘める探求の炎が燃え上がり始めていた。

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