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04

 翌朝。教室の蛍光灯は悪趣味な真実のライトだ。照らされた机の列には、僕と如月真昼が昨夜ビルの隙間に隠れていたなんてイベントなど最初から存在しなかった、という体で空気が流れている。


 ……のはずだった。


 黒板にチョークが走るギギッという音が、スプレー缶のシューッと重なって聞こえる気がした。幻聴だ。けれど嗅覚の残像は嘘をつかない。指先に残る溶剤臭が「昨日は現実でした」と鑑定書を突きつけてくる。


 数学の授業中、僕はノートに sinθ を書き込みながら、頭の裏側で like=羨望、retweet=恐怖みたいな感情の TL を延々スクロールしていた。


「……神谷。式、続き頼む」


 気づけば視線集中。先生のチョーク先が僕を指名している。


「ああはい cos を微分すれば −sin で──」


 口が自動操縦する一方、脳内では別の積分を解いていた。


 ∫(昼の真昼−夜の真昼) d時間 =?


 答えはたぶん、僕が払えない延滞金。


 * * *


 昼休み。図書室。昨日と同じ最奥席。違うのは、机上に落ちた小さな折り鶴。白紙をねじっただけの即席アート。広げると一行。


> 遅刻禁止。夜八時、裏通りの非常階段。


 彼女の筆跡は理路整然。まるで図書館の分類番号。その下に小さく「Partners don’t delay」と英語のおまけ。海外ドラマのサブタイトルか。


 僕は折り紙を二つに畳み直し、ポケットへ滑り込ませた。心臓はポケットの内側でドキュメンタリー番組を撮影し始める。


 ふと視線を感じて棚の向こうを盗み見ると、真昼がカウンターで返却処理をしていた。昼バージョンの完璧な仮面。でも昨日より頬が少し赤い。チークか、それとも体内に隠れた何かの警報灯か。


 彼女は顔を上げ、僕と視線が交差した瞬間だけ、無表情の表面に「既読」のマークを点灯させた。すぐに伏せたけれど、僕には十分致死量。


 * * *


 放課後。予定通りなら家路に就く時間、僕は非常階段の金属を踏みしめた。

 上空は紫と群青のグラデーション。街は着替えの途中。蛍光灯はまだ点かず、ネオンはまだ眠い。そんな狭間の空気は、昼と夜を接着する透明な糊だ。


 階段三段目で足が止まる。踊り場の影に彼女が立っていた。制服の上に白いフード付きコート。昼と夜の中間服。


「時間ちょうど。優秀」

「遅刻すると延滞金が怖いからね」


 軽口のキャッチボールは昨夜より滑らかだ。でもボールの芯には鉄が入っている。投げ損ねれば指の骨が折れる類。


 彼女は小さな紙袋を差し出す。中には使い捨て手袋と、マスク。


「共犯の制服。ほこりよけに便利」

「サイズは?」

「知らない。でも“パートナー”なら文句言わない」


 ぐうの音も出ない。僕は軍手より薄い手袋を嵌め、マスクを顎に掛ける。これだけで世界がワントーン脱色された。


「今日の仕事は?」

「撮影」

「落書きじゃなく?」

「素材集め。壊す前と後、両方あるとレポートが映えるでしょう?」


 レポート? 破壊活動を自主制作映像のコンテに落とし込む発想。危険とクリエイションが三次関数で交差している。


「……わかった。カメラは?」

「スマホ。容量は十分?」

「僕の心よりは」


 彼女は小さく笑った。本当に小さく、でも確かに。

 笑顔は校則違反レベルの可憐さで、僕は一瞬でフレームアウトした。


 点灯前の街。影と光がせめぎ合う境界線を、僕ら二人が踏み越える。

 手袋越しに感じる冷えは、夜の体温。マスク越しの呼吸は、昼の嘘。


 傍観者の視界はまだ震えている。だけど震えごとピントを合わせる方法を、僕は少しずつ覚え始めていた。


 次の瞬間、遠くでガラスの割れる音。彼女が翼を背負う気配。

 そして僕のスマホが録画を開始する赤いインジケーター。


 ——物語は、再生ボタンを押した。

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