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 ノートパソコンの画面が明るくなり、映画のタイトルシークエンスが流れ始める。


 選んだのは、ある種の「仮面」を被って生きることを強いられた主人公が、自己を探求し再生していく、という筋書きの、少しマイナーな作品だ。レポートの参考、という僕の口実は、あながち嘘でもないのかもしれない。


 部屋の明かりは消していない。けれど、画面に集中するには十分な薄暗がりが、僕と真昼の間に漂う空気の密度をわずかに高めた気がした。ラグマットの、少し毛羽立った繊維の感触が指先に伝わる。


 隣に座る彼女の気配を、意識しないようにするのは難しい。すぐ隣から伝わる、微かな体温。時折、彼女が身じろぎするたびに、ブラウスとスカートが擦れる、かさ、という乾いた音。


 映画は静かに始まった。主人公が、周囲に求められる役割を完璧に演じながらも、内面に深い孤独と葛藤を抱えている様子が描かれていく。

 僕は物語の構造や伏線を分析的に追いながらも、視界の端で隣の彼女の様子を窺ってしまう。彼女は画面に引き込まれているようだった。


 背筋を伸ばし、その黒い瞳は、スクリーンの中の世界を真剣に見つめている。呼吸に合わせて、肩が小さく上下しているのが分かった。

 ローテーブルの上に置かれたスナック菓子の袋に、同時に手が伸びた。指先が、また触れ合う。


「あ……」

「……悪い」


 どちらからともなく、同時に謝罪の言葉が漏れ、すぐに手を引っ込める。触れた部分に、彼女の熱が残っているような錯覚。気まずい沈黙。顔を見合わせることはできなかった。


 映画の中盤、主人公が初めて仮面の下の脆弱さを見せるシーン。隣で、彼女が小さく息を呑む気配がした。僕の心臓も、それに呼応するように小さく跳ねる。

 共感しているのだろうか。あの夜の街で、折れた翼を背負っていた彼女の姿が、僕の脳裏をよぎる。僕自身も、傍観者という仮面を脱ぎ捨てたばかりだ。


 ふと、彼女がこちらを見たような気がして、視線を向ける。だが、彼女はすぐに画面へと目を戻した。気のせいだったか。それとも、彼女もまた、僕の存在を、この近すぎる距離を、意識しているのだろうか。

 隣にいるという事実。それだけで、奇妙な安心感と、同時に胸を締め付けるような緊張感が同居する。言葉はほとんど交わさない。

 けれど、この静かな空間で同じものを見て、同じ時間を共有しているという感覚。聞こえるのは、スクリーンからの音と、すぐ隣で繰り返される、彼女の静かな呼吸音だけ。それが、僕らの間に見えない橋を架けていくようだった。


 物語は佳境へ。主人公が、自身の秘密と弱さを決定的に曝け出し、守ってきた仮面を自ら打ち砕く、感情的なクライマックス。

 画面の中で、主人公が涙ながらに真実を叫ぶ。


 その瞬間、隣で、ひときわ鋭く息を吸う音がした。見ると、真昼は両手で口元を強く覆い、その肩が痛々しいほど微かに震えていた。

 潤んだ瞳は画面に釘付けになりながらも、その奥には、ただの感動ではない、もっと個人的で、切実な苦しみが映し出されている。まるで、画面の向こうの叫びが、彼女自身の心の奥底に眠る何かを直接揺さぶり、抉り出しているかのように。


 彼女の唇の間から、押し殺したような、声にならない声が漏れた。


「……っ……ぁ……」


 それは言葉ですらなかった。けれど、僕には聞こえた気がした。

 そんな、彼女自身の魂の叫びが、喉元まで込み上げてきているような、痛切な響きだった。

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