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 夜明けの光が、部屋に差し込んできた。白々しい、現実の色。だが、僕の心に宿った決意の火種は、夜の闇の中でも消えずに燃え続けていた。


 行動する。真昼を、あの檻から救い出す。


 具体的な計画は、まだ輪郭がぼやけている。だが、まずやるべきことは分かっていた。情報収集だ。敵を知り、己を知れば百戦殆うからず、とはよく言ったものだ。もっとも、僕の場合は己(ただの中学生)を知れば知るほど、勝ち目がない気がしてくるのだが。


 それでも、やるしかない。


 学校へ行く前に、パソコンを開いた。検索窓に、思いつく限りのキーワードを打ち込む。如月真昼、彼女の父親、この地域の教育関係者、進学校の教員名簿……。個人情報保護の壁は厚く、決定的な情報はなかなか見つからない。だが、いくつかの断片的な情報がヒットした。PTAの役員名簿に、真昼と同じ「如月」姓の人物がいること。地域の名士として、教育関連のシンポジウムで講演している記事。職業は……やはり教育関係者か。それも、おそらく地位の高い。厄介な相手だ。


 次に学校。昼休み、僕は職員室前の廊下をうろついた。目的はクラス名簿の閲覧。住所が分かれば、接触の可能性を探れる。だが、名簿は厳重に管理されている。教師の目を盗んで盗み見るなんて、リスクが高すぎる。


 諦めかけた時、偶然、クラス委員が担任に提出する書類の束の中に、クラス名簿のコピーが一枚紛れ込んでいるのが見えた。一瞬のチャンス。周囲に誰もいないことを確認し、僕は素早くその一枚を抜き取り、自分の鞄に滑り込ませた。心臓が早鐘のように打つ。傍観者だった頃の僕なら、絶対にやらなかった行為だ。罪悪感よりも、目的を達成するための高揚感が勝っていた。


 放課後、図書室には寄らず、まっすぐ家に帰った。自室で名簿を開き、「如月真昼」の名前を探す。あった。住所は……思ったよりも、僕の家から遠くない。高級住宅街、というほどではないが、閑静で、おそらく防犯意識も高い地域だろう。


 住所が分かった。次は、どうやって接触するかだ。

 手紙? ポストに入れても、父親に見つかる可能性が高い。

 電話? 彼女の携帯は使えない。家の固定電話にかける? 論外だ。

 直接家に行く? 昼間は父親がいるかもしれない。夜は? 監視の目があるかもしれない。


 リスクは高い。だが、躊躇している時間はない。彼女は今も、あの家で苦しんでいるはずだ。

 僕は、夜を待つことにした。深夜、人の目がなくなる時間帯。雨が降ってくれれば、さらに好都合だ。物音も掻き消され、視界も悪くなる。

 幸い、というべきか、その夜は予報通り、冷たい雨が降り始めた。


 * * *


 深夜一時過ぎ。僕は黒いフード付きのレインコートを着込み、家を抜け出した。自転車で、雨に濡れた夜道を走る。街灯の光が、濡れたアスファルトに不気味な模様を描き出していた。

 真昼の家の住所近くに着き、自転車を路地に隠す。息を潜め、雨音に紛れて、目的の家へと近づいた。閑静な住宅街。どの家も明かりは消え、深い眠りについているように見える。


 目的の家は、二階建ての、いかにも教育者の住まいといった雰囲気の、落ち着いた佇まいの家だった。だが、その整然とした外観とは裏腹に、中には歪んだ支配と絶望が渦巻いているのだと思うと、背筋に冷たいものが走る。

 庭にはセンサーライト。玄関には防犯カメラらしきものも見える。やはり警戒は厳重だ。正面からの接触は不可能。


 僕は家の裏手へと回った。塀を乗り越えるのは危険すぎる。どこかに隙はないか……。

 二階の窓の一つだけ、遮光カーテンが引かれておらず、ぼんやりとした室内灯の光が漏れていた。あれが、真昼の部屋だろうか?


 雨音に紛れて、僕はその窓の真下あたりまで近づいた。庭木が雨に濡れて、重く枝を垂らしている。その影に身を隠しながら、窓を見上げる。

 どうやって合図を送る? 小石を投げる? いや、音が大きすぎる。

 僕はポケットからスマホを取り出した。画面のライトを一番暗くし、点滅させてみる。だが、雨と窓ガラスに阻まれて、中の人間が気づくとは思えない。


 焦りが募る。時間だけが過ぎていく。雨は一向に止む気配がない。体が冷え切ってくる。

 諦めて帰るべきか? いや、ここで諦めたら、本当に終わってしまう。


 僕はもう一度、窓を見上げた。その時だった。


 カーテンが、わずかに動いた気がした。

 息を止める。気のせいか?

 いや、違う。カーテンの隙間から、人影が見えた。そして、その影が、ゆっくりと窓に近づいてくる。


 真昼だ!


 彼女は窓際に立ち、外の闇を見つめているようだった。その横顔は、以前よりもさらに痩せ、憔悴しきっているのが、薄暗い中でも分かった。

 僕は、衝動的にフードを取り、自分の顔を晒した。雨に打たれながら、彼女の窓を、ただじっと見つめる。


 気づいてくれ。頼む。

 数秒が、永遠のように感じられた。


 そして——彼女の視線が、ゆっくりと下を向き、庭の暗がりにいる僕を捉えた。

 彼女の目が、驚きに見開かれるのが分かった。次いで、信じられないものを見るような、困惑の色。


 僕らは、雨音だけが響く夜の中で、ただ見つめ合った。窓ガラス一枚を隔てて。声は出せない。言葉も交わせない。

 だが、その瞬間、彼女の憔悴しきった瞳の奥に、ほんの一瞬だけ、微かな光が宿ったように見えた。それは、驚きか、安堵か、それとも、まだ消えていなかった希望の欠片か。


 壁の向こうへ、僕の手はまだ届かない。

 けれど、確かに、何かが繋がった。そんな気がした。

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