16
……終わったんだ。
図書室の静寂の中で響いた内なる声は、冷たく、最終宣告のように重かった。如月真昼は檻の中に消え、僕と彼女を繋ぐ糸は断ち切られた。僕の傍観者としての日常は終わり、そして、不本意ながら始まった共犯者としての非日常も、おそらくこれで終わりを迎える。後に残ったのは、圧倒的な無力感と、罪悪感という名の消えない染みだけだ。
どうやって図書室を出て、どうやって家に帰り着いたのか、よく覚えていない。気づけば、自室のベッドの上に倒れ込んでいた。窓の外はもう完全な夜。しかし、僕の部屋の電気はつけられていない。闇に溶け込むように、ただ天井をぼんやりと見つめていた。
後悔が、繰り返し押し寄せる。
なぜ、もっと早く気づかなかったのか。彼女の仮面の下の苦しみに。
なぜ、もっと違う関わり方ができなかったのか。ただ面白がるのではなく、もっと真剣に。
なぜ、最後の夜、彼女を止められなかったのか。腕ずくででも、引き留めるべきだったのではないか。
たられば、ばかりが頭を巡る。意味のない自問自答。過去は変えられない。
傍観者。それが僕のスタンスだった。面倒事を避け、深く関わらず、安全な距離から世界を眺める。冷笑的な態度で、自分だけは違う場所にいると思い込んでいた。
馬鹿だった。
傍観者でいることは、安全かもしれないが、同時に何も守れないということだ。大切なものが目の前で壊れていくのを、ただ指を咥えて見ていることしかできない。その虚しさを、今、骨身に染みて感じている。
真昼のことを思い出す。
初めて会った時の、あの完璧な図書委員の姿。
夜の路地裏で見た、歪んだ堕天使の白い翼。
僕の皮肉に、時折見せたかすかな反応。
オーバードーズで倒れた時の、か細い呼吸。
日記に綴られていた、悲痛な叫び。
そして、最後に僕に向けられた、拒絶と諦めの瞳。
最初は、面倒な存在だった。厄介事に巻き込まれた、としか思っていなかった。けれど、いつからだろう。彼女のことが、頭から離れなくなったのは。彼女の危うさに、目が離せなくなったのは。その歪んだ自己表現に、心のどこかで羨望を覚えていたのは。
そうだ。僕は羨ましかったのだ。
退屈な日常に甘んじ、傍観者を気取っていた僕とは違い、彼女は歪んでいても、間違っていても、自分の存在を世界に叩きつけようとしていた。その痛々しいほどのエネルギーに、僕は知らず知らずのうちに惹きつけられていたのかもしれない。
そして今、僕は彼女を失いたくない、と強く思っている。
それは同情か? 憐憫か? それとも、もっと別の感情か? 自分でもよく分からない。けれど、はっきりしていることが一つだけある。
彼女を、あの父親の元から救い出したい。
あの檻から、解放してやりたい。
でも、どうやって?
連絡手段はない。彼女は完全に隔離されている。父親は手強いだろう。僕一人の力で、何ができる?
……何もできないのかもしれない。
また、無力感の波が押し寄せる。諦めてしまえば楽になれるのかもしれない。いつもの傍観者の席に戻って、全てを忘れてしまえば。
いやだ。
心の奥底から、強い拒絶感が湧き上がってきた。
もう、傍観者には戻れない。戻りたくない。
面倒事を避けて、何もせずに後悔するくらいなら、たとえ無駄なあがきだとしても、行動したい。
僕の中で、何かが変わった。いや、元々あったのかもしれない。冷笑的な仮面の下に隠れていた、熱い何かが。
僕は、ゆっくりとベッドから起き上がった。足元がおぼつかない。だが、確かに自分の意志で立ち上がった。
部屋の電気をつける。眩しさに一瞬目を細めた。
そして、洗面所へと向かった。蛇口を捻り、冷たい水で顔を洗う。水の冷たさが、鈍っていた感覚を呼び覚ますようだった。
顔を上げ、鏡を見た。
そこに映っていたのは、いつものクール(包装紙)な僕ではなかった。
目の下には深いクマが刻まれ、頬はこけ、表情は硬い。だが、その瞳の奥には、以前にはなかった光が宿っていた。それは、絶望を乗り越えた先にある、静かだが、確かな決意の光。
鏡の中の自分と、視線がぶつかる。
僕は、鏡の中の自分に向かって、静かに、しかしはっきりと、内なる声で呟いた。
……まだ、終わらせない。
この物語は、まだ終わっていない。
僕が終わらせない。




