15
雨音だけが響く、長い夜だった。
眠れるはずもなく、僕はベッドの上で何度も寝返りを打った。スマホの画面を点灯させては、受信トレイと通話履歴を繰り返し確認する。だが、そこに新しい通知が現れることはなかった。
既読のつかないメッセージ。繋がらない電話番号。
如月真昼は、僕の世界から完全に断絶されてしまった。あの『たすけ』という短い悲鳴を残して。
彼女は今、どうしているのだろう。
父親に全てを知られ、あの家に閉じ込められて、何をされているのだろう。
校門で見た、父親の冷たい目。真昼の純粋な恐怖。そして、彼女の日記に綴られていた、支配と言葉の暴力。
最悪の想像が、次から次へと浮かんでは消える。そのどれもが、救いのない暗い結末ばかりだ。僕の無力さが、じりじりと胸を焼く。あの時、もっと強く引き留めていれば。無理やりにでも、どこかへ連れ出していれば。後悔ばかりが、波のように押し寄せる。
窓の外が白み始めた頃、僕はほとんど諦めに近い感情で、のろのろと体を起こした。学校へ行かなければならない。この進学校製圧縮装置は、たとえ世界が壊れかけていても、いつも通り僕らを詰め込もうとする。
教室へ向かう足取りは、昨日以上に重かった。一縷の望み。もしかしたら、彼女は来ているかもしれない、と。馬鹿げた希望だと分かっていても、そう思わずにはいられなかった。
教室のドアを開ける。自分の席へ向かうふりをして、視線は自然と彼女の席へ。
空席。
そこに、彼女の姿はなかった。
分かっていたはずなのに、心臓が鈍い音を立てて軋んだ。最後の、細い糸のような希望が、ぷつりと断ち切られた。
如月真昼は、来ない。
父親によって、檻の中に完全に閉じ込められてしまったのだ。
その日、僕は何をして過ごしたのか、ほとんど覚えていない。
授業の内容は、右の耳から左の耳へ通り抜けていった。教師の声も、クラスメイトのざわめきも、まるで遠い世界の音のようにしか聞こえない。
時折、クラスメイトが僕に探るような視線を向けているのを感じた。真昼の欠席と、僕との関係を結びつけて、何かを噂しているのだろう。だが、もうどうでもよかった。苛立ちすら感じない。ただ、深い、底なしの虚無感だけが、僕の全身を支配していた。
時間は、意味もなくただ流れていく。まるで壊れた時計の針のように。
放課後。
気づけば、僕は無意識のうちに図書室へ向かっていた。彼女がいるはずもないのに。何かを期待しているわけでもない。ただ、足が勝手に、あの場所へと僕を運んだ。
がらんとした図書室。閉館間際よりもさらに人は少なく、まるで時が止まったかのような静寂が支配していた。
カウンター。彼女がいつも座っていた場所。そこには誰もいない。
書架の間を抜け、最奥の窓際へ。僕の定位置。そして、あの日、彼女が倒れ、僕が彼女の秘密を知った場所。
床には、もう何も残っていない。あの時散らばった白い錠剤も、彼女の日記も。僕が片付けたからだ。まるで、何も起こらなかったかのように。
だが、僕の中には、あの日の出来事も、彼女の苦しみも、そして僕自身の後悔と罪悪感も、生々しく刻み込まれている。
窓の外は、曇り空。昨日までの雨は上がっていたが、太陽の光は届かない、重く沈んだ灰色の空。
僕は、彼女が最後に座っていたカウンターの椅子を、ただぼんやりと眺めていた。彼女のいない図書室は、ひどくがらんとして、冷たく感じられた。僕のサンクチュアリだったはずの場所は、今はもう、ただの空虚な空間でしかない。
助けに行かなければ、と思った。
でも、どうやって? 僕に何ができる?
父親という巨大な壁。完全に閉ざされた檻。連絡手段すらない。
無力感。圧倒的な無力感。
それが、冷たい水のように、僕の足元からゆっくりと満ちてくる。
もう、何もできないのかもしれない。
彼女を救うことも、この歪んだ関係を続けることも。
全てが、終わってしまったのかもしれない。
僕は、ただ、そこに立ち尽くしていた。
心の中で、か細い声が呟くのが聞こえた。
……終わったんだ。
図書室の静寂が、その言葉を肯定するように、重く、深く、僕の上にのしかかってきた。




