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 血の色みたいな夕焼けの中、黒いセダンが彼女を飲み込んで走り去っていく光景が、脳裏に焼き付いて離れない。父親の冷たい視線。それに射竦められ、人形のように車に押し込まれた如月真昼の姿。僕は、結局、何もできなかった。無力感という名の重い泥濘に足を取られたまま、ただ立ち尽くすことしか。


 帰り道、足取りは鉛を引きずるように重かった。怒りなのか、悔しさなのか、あるいは彼女への憐憫なのか、自分でも判別できない感情が胸の中で渦巻いている。あの父親から、彼女をどうすれば守れる? 僕に何ができる? 答えは、どこにも見つからない。


 翌日、教室に入ると、意外にも真昼はいつもと同じ時間に席に着いていた。昨日までの抜け殻のような虚ろさはない。背筋は伸び、表情は……無表情。いや、正確には、感情というものを完全に消し去ったような、硬質な能面。それが逆に、異様な雰囲気を醸し出していた。

 まるで嵐の前の静けさ。あるいは、何かが決定的に壊れてしまった後の、不気味な静寂。


 授業中、彼女はノートを取っていた。しかし、その文字は機械のように正確で、感情が一切感じられない。時折、窓の外に目をやるが、その瞳には昨日までの虚ろさとは違う、何か硬い、決意のような光が宿っているように見えた。

 嫌な予感がした。あの父親に連れ帰られ、昨夜、彼女の身に何があったのか。そして、その結果、彼女の中で何かが変わってしまったのではないか。あの諦めきったような呟きとは違う、もっと危険な方向へ。


 昼休み。僕は意を決して、席を立たない彼女に近づいた。声をかけるべきか迷っていると、彼女が読んでいた本のページに、走り書きされたメモが挟まっているのが偶然目に入った。

 《支配者》《偽善者》《人形じゃない》

 殴りつけるような、激しい筆跡。それは、明らかに父親に向けられた言葉だろう。そして、そのメモの下には、走り書きでいくつかの地名と、スプレー缶の絵のようなものが描かれていた。


 ぞっとした。これは、ただのメモじゃない。破壊活動の計画? しかも、今までの衝動的なものとは違う。明確なターゲット——父親、あるいは父親に関連するもの——に向けられた、計画的な犯行。


 彼女は僕の視線に気づき、パッとメモを隠した。そして、冷たい、拒絶のこもった目で僕を睨みつけた。


「……何か用?」

「……いや」


 僕は言葉を飲み込んだ。ここで問い詰めても無駄だ。彼女は心を閉ざしている。


 放課後。僕は教室を出ていく真昼の跡を追った。昇降口で追いつき、彼女の腕を掴む。


「待て、如月」

「……放して」


 彼女は、虫けらを払うかのように僕の手を振り払おうとした。その細い腕に、昨日よりも増えたような気がする、痛々しい痣が目に入った。


「何するつもりだ」

 僕は声を低くして言った。


「昼間のメモ、見たぞ」

「……だから、何?」

「やめろ。馬鹿なことは考えるな。君が壊れるだけだ」

「もう壊れてる」


 彼女は、初めて感情を露わにして、僕を睨みつけた。その瞳には、憎しみと、絶望と、そして自棄的な光が宿っていた。


「あなたに何がわかるの!? いつも安全な場所から見てるだけのくせに!」

「見てるだけじゃない! 俺は……!」

「パートナー? 笑わせないで。あなたは私の秘密を知って、優越感に浸ってるだけ。違う?」


 言葉が、ナイフのように突き刺さる。否定できなかった。僕の中にも、そういう醜い感情がなかったとは言い切れない。


「それでも、君を止めたいんだ! それがどんな結果を招くか、分かってるのか!?」

「分かってるわよ! 全部ぶち壊してやるの! あの人が大事にしてるもの、全部!」

「そんなことしても、君は救われない!」

「救いなんて、もういらない!」


 彼女は叫んだ。魂からの、悲鳴のような叫び。


「邪魔しないで」


 その声は、打って変わって、氷のように冷たかった。


「これは私の問題。私の戦い。あなたはもう、関係ない」

「関係なくない!」

「邪魔するなら……」


 彼女は一歩、僕に近づいた。その瞳の奥に、夜の堕天使の狂気が閃く。


「パートナーでも、容赦しない」


 そう言い放つと、彼女は僕を突き飛ばすようにして、昇降口から飛び出していった。

 外は、いつの間にか雨が降り始めていた。冷たい、灰色の雨。


 僕は追いかけることができなかった。彼女の最後の言葉と、その瞳に宿る決意が、僕をその場に縫い付けていた。

 真昼は、雨の中を駆けていく。夜の闇へと。最後の、そして最も危険な「夜間飛行」へ。


 雨音が、彼女の「邪魔しないで」という言葉を、何度も何度も僕の頭の中で反響させていた。

 どうすればいい? 僕に、何ができる?

 答えが見つからないまま、ただ冷たい雨が、僕の体を打ちつけていた。

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