表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

1/33

01

 僕が、この進学校製圧縮装置──別名「県内トップクラスの優等生収容施設」に、今日もきっちりと詰め込まれている理由は三つある。


 一つ、家から近い。

 二つ、学費が安い。

 三つ、ここを選ばないと親が泣く。


 つまり、僕自身の意志はゼロだ。ゼロは無限より小さい。ないものは測れない。だから教師もクラスメートも、僕のことを測れない。その居心地の悪さを、彼らは「とおるくんってクールだよね」の一言でラッピングしてくる。雑だ。プレゼントならリボンくらい結んでほしい。


 で、そんなクール(包装紙)な僕の定位置は図書室の、最奥、窓際、背もたれがギシギシ鳴る壊れかけの椅子だ。ここはいい。

 空調は効きすぎ、蛍光灯は白すぎ、棚は背が高すぎ──そんな「すぎる」だらけの無機質空間で、本の海に擬態していれば誰も僕を探しに来ない。授業終了のチャイムが鳴った瞬間から閉館ベルが鳴る瞬間まで、この椅子と僕の関係は、誰にも割って入られない。


 そう、割って入ろうとさえしなければ。


「神谷くん」


 彼女は小さく声をかけた。小さく、けれど輪郭のくっきりした声だ。まるでシャープペンの芯──濃度HB、芯径0・3ミリくらいの。折れやすく、でも線は鋭い。


 如月真昼。地味で、真面目で、図書委員で、僕の静寂を管理する女。今日も前髪は定規で切ったかのように一直線。カーディガンは校則色。表情はモノクロ写真の解像度。


「なにか御用?」と顎だけで訊く僕。


「いえ、神谷くんが借りていた本の返却期限が昨日まででした」


 わざわざ最奥席まで取り立てに来るなんて、図書委員の鑑か、単なる仕事熱心か。あるいは──僕を覗きに来たのか? そんな自意識過剰な視線を、僕はすぐに丸めてゴミ箱に投げた。


「はいはい」と、僕は鞄から問題の書籍を取り出す。タイトルは『退屈の正しい飼いならし方』。

 皮肉を込めて選んだ自己啓発本だ。彼女は受け取ると、表紙を指でとん、と弾いた。


「面白かった?」


「まさか。退屈の飼いならし方を読んでる間、退屈が暇つぶしに僕を飼いならしてたよ」


 自分でも意味不明な比喩を放つ。けれど如月真昼は無反応だ。皮肉は水に落ちたインクみたいに彼女の前で拡散し、輪郭を失った。


 彼女は軽く頭を下げ、カウンターへ戻ろうとする──その後ろ姿に、わずかな違和感が引っかかった。

 制服の袖口。かすかに残る、乾きかけの白い粉。

 チョーク? いや、図書室に黒板はない。じゃあ製図用? 違う。妙にきめ細かい。


 僕は目を細める。見間違いと言い聞かせるように瞬きを重ねても、粉は袖に止まり続ける。


 ……まさか。


 そのとき図書室の外で、蛍光灯がジッと鳴った。まるで「ほんとに気づいちゃっていいの?」と、世界が僕に耳打ちするみたいに。


 * * *


 放課後。雨は降りそうで降らない。空気はぬるく、街は早くもネオンの準備運動を始めている。

 僕は帰宅ルートをわずかに外れ、繁華街の裏通りへ流された。おおよそ「面倒事回避主義者」の行動ではない。自覚はある。でも──袖口の白い粉が、頭の奥でノイズのように囁いて離れない。


 裏通りのコンクリ壁に、真新しい落書きがあった。白いスプレーで大きく一文字。


 《嘘》


 書いたばかりなのか、塗料の匂いが湿った空気に混じって鼻を刺す。その匂いを嗅いだ瞬間、僕は確信した。図書室で嗅いだ粉の匂いと同じだ。


「……マジで?」


 自分の声が自分の耳に届くより早く、遠くで警笛が鳴った。パトカーの青いランプが、曲がり角の向こうでチカチカと瞬いている。通報? 落書き犯はまだ近くに?


 僕はコンクリ壁を撫でる指先に、微かなぬめりを感じる。乾ききっていないスプレー。つまり犯人は数分前までここに──いや、もしかすると今も──。


 パトライトが近づく。


 逃げればいい。僕は関係ない。傍観者だ。落書きを見ただけ。それだけ。


 そう足に命じた瞬間、路地の奥、金網フェンスの陰で何かが動いた。

 白。翼にも似た、しかし折れ曲がった白。


「……うそだろ」


 声にならない呟きが喉を焼く。粉の正体、白い落書き、《嘘》の文字……全部が一本の線に繋がった。


 折れた翼を背負った少女──

 いや、あれは如月真昼だ。昼は地味で真面目な図書委員。夜は歪んだ堕天使。


 僕の世界は静かに、けれど確実に壊れ始めた。


 そして僕は悟った。

 傍観者でいることは、もう許されない。

 だって僕は──目撃してしまったのだから。


 今夜、世界でいちばん派手な嘘を。

読んでくださってありがとうございます!

続きが気になる方は評価・ブクマ・感想など応援よろしくお願いします!

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ