穴の意味 1
ロエルは大叔父の所領に隣接したクラーグス領地の購入にあたり、王都を離れることが多かった。
大叔父の案内で売主にも会い日数をかけ環境をよく見たが、満足のいく内容だった。母の言葉通り領地にはうさぎが跳ねる姿が散見された。目にするたびアリスが思い出され、気持ちが暖かくなった。
「お父上やご友人方を招いて狩りをされるのもよいですな」
売買の契約の際にはそう勧められた。それもいいと思うが、そんな娯楽はまだ先になりそうだった。
王都に戻り、友人のギアー氏の邸に挨拶に訪れた。懐妊したレイナ夫人の腹部も目立つようになっている。
「あまり出歩かないでほしいのだが、外せない約束があると昨日も出かけていたよ」
ギアー氏は愛妻の初の懐妊にはらはらし通しだ。
「あら、母からもじっとしてばかりだとよくないと勧められているのよ」
「邸の中で軽く動くのではいけないのかい? 庭を歩くとか……、あるだろう。たびたび馬車に揺られるのはいかがなものか」
「この人、メイドから細かく報告を受けているらしいの。心配し過ぎではないかと思うわ」
幸せな家庭の平和なやり取りだ。以前は微笑ましくも自分とは遠い、とだけで済んだ光景が、今では羨ましさに胸がちょっと痛む。
「そう、今日はアリスから手紙が届いたのかい?」
ギアー氏の口からアリスの名が出て、ロエルははっとなった。レイナは彼とアリスの関係を夫に伏せている。許されない仲と知りながら取り持つ形になったことへの後ろめたさからだ。
夫の問いにレイナは表情を曇らせた。小さく首を振って、
「まだないわ」
と答え、ロエルに視線をちらりと向けた。視線の意味を訝しんで彼はやや前のめりになった。
「彼女が何か?」
「手紙の返事がないの。もう一月以上になるわ。誤配を疑って何度か出し直してみたの。それでも同じ。具合でも悪いのかしらと不安で……。夫ともそれを話していたの」
「母屋に移ることになって邸の内情も変わったのだろう。これまでの離れ暮らしとは違って忙しいのじゃないかな」
「母屋に移るとは?」
ロエルの問いにレイナがここ数ヶ月の間のアリスの近況を説明した。夫の愛人が去りそれを追って夫のディアーも邸を出てしまったこと。
「夫がその後外国行って、そっちで暮らす意向のようだ。面白くない古巣を捨てて心機一転というやつらしい。帰るつもりもないのだそうだよ」
ギアー氏の補足に次いでレイナが、
「それで、お舅様のご遺言もあって母屋に移ったの。あるべき形に戻ったのだと喜んでいたのに、そこからしばらくして手紙が途絶えてしまったの。主人は楽観的なことを言うけれど、具合でも悪いのではないかと思って……」
と言い膝のハンカチを握りしめた。
ロエル自身が不在が続いたため、彼女としばらく手紙のやり取りをしていない。今後の計画があって、それが整ってから伝えようと決めていた。手紙に書き綴る空約束めいた自身の言葉に倦んでいたのもある。行動することでより彼女に自身の覚悟や誠意を示せると考えていた。
しかし、事態は驚くべき方向へ進んでしまっている。姉妹のような仲のレイナに手紙を返さないなど、とても楽観視などできない。
「レイナ夫人にもお返事されないのは、異常だと思う。アリスさんのご実家のお父上から連絡していただくのはどうです?」
「もちろんうかがってみたわ。けれど、わたしほど手紙に頻度がないからそこまで不審に思われないの。それに、王宮のお役もあってお忙しいようだし、ご無理も言えないわ」
「お親しいあなたが異常を訴えているのに、ご自分の娘御に割く時間も惜しまれるのはどういう発想ななのかな」
彼の言葉には強い皮肉がこもった。苛立ちから出たものだが、すぐ失言に気づき非礼を詫びた。
「いいえ。わたしも本当にそう思うから……。病気ならそうと、侍女が代筆して知らせてくれてもいいのに。それも不思議なのよ」
「ああ、ミントですか? 賢い人らしいから、確かにあなたに無駄な心配をおさせしないと思うな」
「ロエル、君はアリスの侍女の名をなぜ知っているんだ?」
「僕の従僕がそのミントと恋仲なんだ。いろいろ話は聞くよ」
彼はレイアの不安を宥め、ミントの恋人の従僕からも様子を詳しく聞いておくと請け合った。晩餐を勧められたが、気が急いて辞去を告げた。時間が惜しい気がした。
アリスは決して頑丈な質ではないが、線が細く見えてものんびりしておおらかで、何より
(よく食べる)
ので虚弱な人ではない。あのドリトルン家での日々を乗り切ってきた事実だけでも、芯は強い人なのだと思う。直近では王宮での彼女が思い起こされる。ロフィを一心に見つめる初々しい母の彼女に見惚れつつ、ふんわりと嫉妬していた。どうしても目が離れなかった。また彼女に恋をする自分を感じた。
どれだけ自分を縛りつけるのだろう。彼女を思えば胸が苦しくなる。もし今苦しんでいるのだとすれば、いたたまれない。
邸に帰り、すぐにシェリーシュを呼んだ。留守にしていたから会うのは久しぶりになる。
「妙なことを聞いた」
そう切り出して、ギアー氏のもとで知ったアリスの件を伝えた。頷きながら聞いたシェリーシュは、
「実はミントとも連絡が取れないのです」
と返した。ロエルはそれに深く吐息した。やはりドリトルン家で何かあったのだ。彼は腕を組み、書斎を歩き回った。
その彼へ重い口調でシェリーシュが話し出す。
「これはお伝えしようか迷ったのですが……、姫君が薬を盛られ、ご夫君に襲われかけたそうです。あわやと言うところでミントが駆けつけ、事なきを得たそうです」
ロエルはそれに返事をせず、机の飾りを壁に投げつけた。派手な音を立てて奇妙な鳥の置物が割れ散った。シェリーシュがそれを片づけに床に屈んだ。
「いい。お前の仕事じゃない」
ロエルが制止し、代わりに拾った破片を暖炉に投げ入れた。
「修理せずによろしいので?」
「昔から嫌いだった。失くなったって誰も気にもしないよ」
そうすることで頭に上った血を下げたかった。少年期に級友に怪我をさせた出来事で、粗暴ではないとアリスに言い訳していたが、腹立ちを物にぶつけて晴らすなど、そのきらいはあるのかもしれない。とちらりと思った。
「……夫に対してミント一人では手が余ったのではないか?」
「はい。それで邸を取り仕切っている男に助成を頼んだそうです。その男がご夫君に椅子を投げつけて制圧してくれたのだとか」
「フーとかいうやつか」
「そう、そのフーです。嫌なやつだがその時ばかりは頼もしかったとミントは話していました。意識を失っている姫君に水をかけて覚醒させるなど、手際も良かったと」
「……なぜだろう? 当主は外れても主筋だろう。手荒過ぎると思うが。怒鳴りつけるでも羽交い締めるでも他に止めようがある」
咄嗟に乱暴な判断に飛びつくのは、先ほどの物に当たった彼自身の行動に酷似している。
(目の前の光景に頭に血が上った)
フーという男の人間性はアリスからも断片的に聞き、ロエル本人が過去に痛烈に罵られた経験から想像がつく。属する権威を盾に対する相手に屈服を強いて恥じない。関わりたくない種の人間だが、アリスへの思慕は嗅ぎ取れた。
そんな男が支配する邸に彼女はいて、親しい人々と連絡を絶っている。更には忠義者の腹心の侍女も恋人と音信不通だ。異常事態でなくて何だというのか。
ロエルは苛立ちつつ対策を探した。しかしアリスに対して彼には何の権限もない。そこに焦れながら、
「アリスの父上のお名を騙ってドリトルン家に当たってみようと思う。拒絶でも何でも反応がある。そこから次の手も打てる」
との結論に落ち着いた。シェリーシュにしても気がかりで辛い。ロエルの意見には賛成だ。二人は気持ちが逸り、本音では今からでも押しかけたい。しかし夜分を理由に応じてもらえないかもしれない。
「フーにはこちらに会ってやる理由などないからな。明日行こうと思う。強気に出たいからお前も来てほしい」
「それはもちろん。お供します」
ドリトルン家の内情がわからない以上、行ってその場で臨機応変に対応するよりない。使用人の隙が出来易い昼食後を目がめて向かうことを決める。そんなことを話し合い、その日は終わった。




