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幼な妻は泣くことを止めました〜いばらの館には夢見たものは何もなかった〜  作者: 帆々


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霧中 5


 「高家の人間も外から見れば、陰気で地味な変わり者に見えるじゃない。ディアー様も社交はなさるのだし、臨機応変に場に合わせて下さるのではないかしら」


「止めて。わたし、レイナにおつき合いをお願いしているのではないの。あなたやお父様に会わせるなんて考えたくもないわ」


 アリスの態度からディアーへの嫌悪感はレイナにもよく伝わった。意思を問われることもなく、どこまでも都合よく扱われ続ける。家の為に可哀想な結婚を強いられたはとこの現実に胸が痛くなった。


 彼女の結婚直後、泣きながらディアーの不実を打ち明けられたことをレイナは覚えている。時を経て、夫の注意を引くことが叶った。その親族との交際まで口にするのだから、体裁を整え夫妻としてあろうとする意志が見えた。


「どうなさりたいのか、ディアー様のお考えは聞いたの?」


「ううん。聞きたくもないわ」


「でも、あなたたちは夫妻なの。あなたには聞く権利もあるし、ディアー様にはそれを説明する義務もあるのではない? ……もしね、今までのことを詫びられてやり直したいとおっしゃったら、あなたどうする?」


 アリスはレイナの目を見つめる。そこにごくわずかな怒りが見え、すぐに怯えに代わった。唇を震わせ、


「嫌よ、出来ないわ」


 それだけは告げる。のんびりと意志の淡い質なのに、とレイナはその拒絶にロエルの影を見てやるせない気分になる。


 浮気な夫が心を入れ替え家庭を顧みるようになった。アリスさえ気持ちが沿えば、もう一度やり直すことは決して悪い選択ではないはず。何よりそこに正当性がある。


 レイナとしてはディアーの過去は過去として、今後の可能性の一切を見切ってしまうのは早計に思えた。ロフィの為に離縁出来ないのなら、今いる環境を良くする努力はアリスの将来に無駄ではない。


「ロフィちゃんを大切にしたいのなら、その父親とも縁は切れないでしょう。夫妻が嫌なら、子供の親同士という立ち位置でも寄り添えないかしら?」


 レイナの言葉にアリスは長く返事をしなかった。頑なな姿勢はそのままロエルに操を捧げているよにも見える。先のない関係はアリスだって十分わきまえているはずだった。なのに、いつの間にかもう一段、二人は深みにはまってしまっている。


「考えてみるわ……」


 ようやく返ってきた答えにレイナは頷いた。アリスの手を握り親身に説いた。


「あなたにはわたしや夫が味方でいることを、ディアー様にぜひお伝えしてね。先代様も亡くなったのであれば、古い邸の体制も変わって行くわ。ロフィちゃんを中心にご主人と足並みを揃えれば、あなたが自在に暮らせるようになるのではない?」


 真摯で優しい声にアリスは耳を傾けてくれた。やみくもな拒絶からやや視点がずれた気配がある。


「母親であり続けるのなら、ロフィちゃんの幸せに何が一番かをよく考えてあげて」


 アリスはお茶の後で帰って行った。レイナは彼女の馬車を見送った後で長く息を吐いた。吐息に胸の罪悪感が溶けてしまえばいいのにと思う。


 この後、ロエルの来訪があることを敢えてアリスに告げなかった。会うことが困難な二人には絶好の機会であるのに。会うことで二人の感情が高まるのを避けたかったし、会えない程度で冷めていくのなら、そうなってもらいたかった。


 ディアーが愛人と別れ、妻に向き合おうとしている。アリスが過去を許せるのなら、レイナの本音ではぜひやり直してもらいたい。会うことに口実が必要であったり、人目を忍ばなくてはならなかったり。直接に手紙も出せない関係は好ましくない。


(別れても、続けても……、傷つくのはアリスだわ。決してロエルではない)


 それに、と自身を振り返って思う。


(夫の妻になったことで、恋が始まることだってあるわ)




 

 昼下がりにメイドが離れへ母屋への招待を知らせてきた。名目は晩餐だ。


 ミントがうかがいを立てに現れた。ちょっとの間の後で、


「ではお断りいたしますね。頭痛がおありとでも申しておきますわ」


 と踵を返すのをアリスが止めた。


「お受けするとお返しして」


「よろしいのですか? 本当にお受けになりますので?」


 犬が喋ったのを目にしたような驚いた顔で問い返す。ミントのその様子がおかしく、アリスは少し笑った。


「いいの。先日レイナにも諭されたの。どうなさりたいのかくらいはお聞きすべきではないか、と。確かにそうだと思って……」


「姫様とご夫妻としてありたいとおっしゃった場合は?」


「それは……無理よ。あの方のことがなくても、嫌。けれど、ロフィの父親には違いがないし、親同士としてつながることは決して悪くないと思うの。ロフィを介してなら、おつき合いも出来そうよ」


「あちらが今更父親役をなさるとは思えませんがね」


「ええ。多分、わたしへの接触はお金絡みのことではないかしら。夫妻らしくあれば、フーからお金を引き出し易いとか。そういった打算がおありなのね」


 ミントがメイドに応諾を返した。


 決められた時間になってアリスは母屋に向かった。母屋での晩餐は数えるほどしか経験がない。食堂に案内されると、既にディアーは席に着いていた。ロフィが着くべき主人の座だったがアリスは何も言わなかった。


 二人きりの時間はほぼ初めてと言っていい。会話はディアーが主導しアリスは頷くだけだった。質問もない。自慢交じりの世間話が一方的に繰り返される。


 嫁いですぐの少女の頃であれば、年上の彼のこんな姿を憧憬の眼差しで見つめたかもしれない。かつて、ほのかな恋心を抱いていたのは事実だ。


 いけないとは思いつつもロエルとの差を常に思ってしまう。彼はアリスの意向をよく問うてくれたし、自慢はほぼしない。


(それも身体が丈夫だとか、泥汚れが平気だとか……)


 彼女が聞いて微笑ましく思うことばかり。ロフィが自慢するのにちょっと似ていると思えたりもする。


「こっちに移ってくればいいのに。ブルーベルはいないし遠慮はいい。僕が許すのだからそうしないか?」


 ディアーは言いつつ、少し減ったアリスのグラスにワインを注ぎ足した。促すように勧めるから、少し口をつける。口当たりが良く過ごしてしまいそうで怖い。


「離れに慣れているので、結構です」


「だが、住まいが離れていると距離が縮まらない。僕だって六年越しに君と向き合う。これでも努力しているんだがな」


「……ディアー様はどうなさりたいのですか?」


「どうって、本来のあり方に正したいだけさ。ブルーベルがいたり他に女がいたりと横道に逸れたが、僕の妻は君だしね。それらしく暮らしたい」


「わたしは……、そうは望んでいません。ロフィの親としてのみつながっていければと考えています」


 アリスの反論にディアーは頷きつつワインを飲んだ。「悪かった。ひどい夫だったのは認める」。初めての詫びだった。驚きはあったが、心に響くことはなかった。


(でも、ロエルと今の関係になる前であったら、どうだったかしら……?)


 と自身の身勝手さを苦く振り返りもする。


「許せとは言わない」


 場の緊張のためかアリスは喉が渇き、グラスに口をつける。見つめるディアーの視線を避け、首を振った。なぜか鼓動が速い。


「お詫びはいいです。その分のことをお義父様が実家にして下さいましたから。わたしはそのためにこの家に嫁いだのでしたし」


 頬が熱をもって熱い。ディアーから反対側の頬を手のひらを当て冷やす。酔ったのだと思った。もうワインは控えるべきだった。


「もっと飲まないか? せっかくの夜だし」


「いいえ。もうよろしいわ」


 食事は終盤で後はデザートのみだ。しかしなかなか給仕が現れない。鼓動が速いまま少し頭も痛い。引かない頬の熱も気になった。


「幼く色味のない女だと思っていたが、見ない間に君はとても美しくなった。ブルーベルが消えて女性性が目覚めたのかな、自分の番だと。もちろん僕に応える用意はある」


 聞くに耐えない話でアリスは顔を背けた。急な動きにめまいが襲う。それを耐える間に手をつかまれた。吐き気もある。


「放して下さい」


 ディアーの手を振り払って立ち上がった。そこでまたも大きなめまいがした。頭の中が振られるようでぐるぐる回る。体勢が保てない。椅子の背をつかまりうつむいたところで、ふつっと意識が途切れる。そのままくずおれてしまった。


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