霧中 2
「フーと問題があったのですか? それで姫様を自分事に引きずりこもうというのでは? 念書の為に姫様がフーにお話をなさるのはよろしい。ですが、その席に当のあなたが不在とはおかしいじゃないですか。姫様に明かせない隠し事でもあるのじゃないかと思いますがね」
ミントは腕を組み臨戦態勢だ。
ブルーベルはミントの言葉に返事をせず、視線をあちこちに流した。何か確認している風でもある。満足したのか口を開いた。
「ここに残るあなた達には言っておこうと思っていたのよ。何かあった後で恨まれたくないし。でもわたしは今後、金輪際関わりたくないの。今でも信じられない思いだわ。誰にも言っていないの。もちろんディアーにもね。そのせいで出ていくことを決めたくらいなのよ……」
「はっきりおっしゃいな」
前置きの長さに焦れたミントが一喝した。ディアーとも切れじき邸を出ていく愛人に遠慮は不要、と断じたようだった。声の凄みにブルーベルはちょっと肩をすくめた。
「見たの。フーがお義父様を殺すところをね」
「え」
それはアリスとミントの二人の驚きが重なった声だった。反応を確かめてブルーベルはつないだ。
「前に言ったように、フーの許可がないから直接義父様にドレスをおねだりに行ったのよ。お見舞いで気持ちを和ませてあげたら、財布の紐も緩むのじゃないかと思って」
以前にメイドがそんな噂話を教えてくれたことがあった。一度失敗し、大目玉を喰らったというのに懲りない人だと、アリスは呆れてしまう。それくらい切羽詰まっていた、とも考えられるが。
「部屋に行ったら義父様はいなかった。つい、入っちゃったの。そこにフーが義父様を連れてやって来るから、わたし急いで隠れたの」
「なぜ隠れるの?」
「不在の寝室に勝手に入っていたなんて、盗みを疑われそうじゃない。カーテンの後ろに隠れて、義父様が眠ってからこっそり出ようとしたの」
そこでブルーベルは言葉を切り、腕を抱いた。効果を狙ったのわざとらしさはなく、脳内の光景に恐怖している様子だった。
「フーが義父様をベッドに寝かせて、次の瞬間よ。枕を顔に押しつけたの。長く長く……。どれぐらいかはわからない。でも、義父様の手や足がもがくのが見えた。それが段々弱まって……、最後には動かなくなった」
話の凄まじさにアリスはミントに手を伸ばしていた。互いに手を握り合う。思わず目をつむっていた。
「義父様が死んだのを確かめてフーは出ていった。慌てもせず当たり前みたいだったわ。義父様の異変が知られたのは、それから数時間ほど後だった。医師が呼ばれても、病気の悪化でしょうってことで終わったわ。後はあなたも知っているわよね。葬儀があって、喪に服して……」
離れの世間知らずをからかう嘘だと思いたいが、ブルーベルにはその意味がない。フーを避ける理由も恐怖だとすれば頷けた。
「打ち開ければ、なぜお義父様の部屋にいたのかを説明しなくてはならない。そこでまた盗みを疑われたくもないし……。お義父様は弱っていたし、フーでなくても全体重をかければわたしにも殺せるわ。そっちを疑われたらおしまいよ。だから黙っていたの」
長い吐息がもれるだけで言葉が返せない。葬儀の中、いつになくブルーベルがおとなしく寡黙だったことも思い出される。フーの義父殺害現場を目撃した衝撃や今後のことを模索していた時期だったのだろう。
「ディアーとは前から喧嘩も多かったけど、最近は手を出されることもあるわ」
出した結論が、金の出ないディアーと別れ手切金をたんまりとせしめ、ここを出ていくことだった。
アリスはミントと話し合い、ブルーベルの要求を受け入れることに決めた。ロフィへの権利を放棄させることが出来るのは大きな魅力だった。
彼女の話は突拍子もなかった。架空の殺人事件を設け、それをきっかけに有利にことを運ぼうとしているのではないか。しかし、変に信憑性もある……。二人には半信半疑だった。
「仮に、子リスの話が事実だとして、あのフーが大旦那様を亡き者にする理由がありませんわ」
「そうね。フーはお義父様の側近だったもの。忠実で言うがままだった印象よ」
「訳がわかりませんわね。気味の悪い話ですわ」
首を振るミントにアリスも深く頷いた。
後日、呼び出しを受けフーが離れに現れた。これまでと変わりない様子で、断りもなくアリスの前の椅子に掛けた。無礼を叱りつけるのが常のミントもブルーベルの話があるせいか、いつもの勢いがない。
「何ですか? お出かけならお好きに女物の馬車をお使いなさればいい。もうあなた専用になりましたから」
ブルーベルと共用の女性用馬車を引き合いに出し、夫の愛人が出て行くことは既に了承していると示した。
「子リスが姫様にお願いにやって来たのよ。お金の件で……」
ミントが事情を告げるとフーは短く頷いた。皮肉っぽく笑う。
「あなたなら味方に引き入れやすいと踏んだのでしょう。ロフィ坊ちゃんを持ち出せば簡単だと」
「念書をくれると言うの。それはありがたいわ。この先関わってほしくないもの」
「わかりました。金の件も含めお任せ下さい。しかし、どうしてあの人はこの場にいないのです? あなたを高額な手切金交渉の名代に立てて放っておくなど、強欲なくせに詰めが甘い」
「さあ……、引っ越しの支度が忙しいのじゃない」
義父殺しの犯人と同席したくないから、とは冗談でも言えない。
「いいの? 聞いたけど随分吹っかけた金額でしょう?」
「あの人にこの先も居座られて、散財させられるよりかは被害が軽いでしょう」
厄介払いに要求は飲んでやるつもりのようだ。要件は簡単に済んだ。
「そう、姫君は空いた母屋に移られますか? 権利もあるし望まれるのなら準備いたしますが、いかがです?」
アリスは即座に首を振った。出来るだけディアーと離れていたい。傍目にも夫妻のように見えたくなかった。
フーはなぜか彼女を探るように眺めた。その視線が怖かった。ブルーベルから聞いた話のせいもあるが、彼に秘密を持っている背徳感が大きい。彼女にとっていつまでも厳しい監督官のような位置にある。
「以前は望まれていたようだったのでお聞きしたまでです。確かにお嫌でしょう。母屋には来られない方がいい」
「ねえ、ディアー様のご様子はどう?」
「お会いしていないので何とも……。私はあの方には用がありません」
「随分冷たいのね、前はディアー様の何でも屋だったのに」
「当主を降りた方にはそれなりの対応をするだけだ。では、ブルーベル嬢には私からお伝えし、ご希望の小切手をお渡しすれば良いのかな」
「それは……」
ブルーベルからはアリスを介して欲しいと、釘を刺されている。会えば自分を保てないと珍しく怯えた顔をして見せた。「わたしだけが唯一の目撃者なの。知られたら、あいつ、追って来てきっとわたしを殺すわ。口封じのためにね」。
元舞台人で空涙など容易いと嘯くブルーベルなら、彼女を欺くなど簡単かもしれない。しかし、そんな演技をしてまでフーを避ける理由が見当たらなかった。
いまだに疑い続けているが、嘘だと断じ切れない。アリスを騙しても「強欲」なブルーベルに何の益にもならない。彼女を動かして金だけ欲しいのなら、ロフィに関しての念書だけで十分だ。フーの義父殺人云々は全くの蛇足だった。
言葉をためらうアリスに代わって、ミントがつないだ。
「あの人怒っているのよ、ドレスの新調の件で。フーはけちんぼだったって、まだぶーたれてたわ。だから、こっちへ小切手を回して頂戴。受け取りもきちんともらうから、それをあなたに渡せばいいでしょ」
機転の効いた返しにフーも頷いた。のち、作成した念書と一緒に渡すと請け負った。




