禁じられた遊び 10
王宮の春の庭で小姓見習いの隊列演舞の発表が行われる。ロフィにもねだられ、アリス自身もぜひ観覧したいと願ってきた。王宮に入るには推薦状が必要だが、それは以前ロエルから渡されたものがある。
さすがに着古した衣装ではまずいとなり、急遽衣装をあつらえることになった。これはミントがフーに迫り許可を取った。どういう訳か五着も新調してもらった。
アリスの待遇にしてはいかにも贅沢で首を捻った。
「小リスなんか姫様の百倍は散財しているんですから。ドレスだって十倍で足らないくらい作らせていますわよ。王宮に行かれるのですもの。やっと姫様の重みが母屋に伝わったようで、胸の溜飲が下がりますわ」
ミントは当たり前だと胸を張った。実際、この侍女が渋面のフーに詰め寄った成果に違いない。必要以のおしゃれに縁のないアリスだが、届いた真新しい衣装の数々には胸が躍った。
当日、子リスことブルーベルと外出が被った。アリスは当然に女物の馬車を譲った。いつだってブルーベルに優先権があったから。しかし、意外なことに、
「どうぞ。わたしは別の方でいいわ」
とあっさりアリスに譲ってくれる。自分はさっさと別の馬車に乗り込んだから、彼女はミントに促され女物の馬車に乗った。
「無神経な子リスも、さすが王宮に行かれる姫様に遠慮しているのですわ」
そういうこともあるのかもしれない。アリスはあまり気に留めないでいつしか忘れた。
春の庭の一隅に幔幕が張られ、観覧の人々のための桟敷席が設けられていた。これは本物の小姓に案内され、今日の催し目当ての人々はそこに集った。
観覧者は家族連れまたは夫妻が多く、それぞれの幼い愛しい対象を眺めている。アリスもそこに交じり佇んで、行儀良く行進をするロフィを一心に見つめた。観覧者が多く緊張しているようだ。離れて見ても表情が硬い。
赤ん坊の頃からつぶさに眺めてきた。成長もしみじみ嬉しく、まだまだあどけない挙措に目が離れない。
前の子の振る旗とロフィのそれがぶつかった。取り落としかけて、アリスもはっと息を飲んだ。しかしちゃんと握っていたようで、互いに落とすこともなく別の隊列を組む動きに移った。
ほっと息をついた時だ。
「今の旗をぶつけた子がロフィ君ですか?」
声がかかり、彼女が隣を見るとそこにはロエルが立っている、彼女と目が合うと少し微笑んでそれを辞儀に代えた。
驚きに彼女は声も出ない。なぜ彼がここにいるのか、意味がわからない。
「いいところを見逃しますよ」
前を指され、彼女はぼんやりとそれに従う。何も考えられない。ロフィたちは小隊に分かれ、それぞれ交差して旗を振り庭を駆け回る。おそらく今回の目玉だ。
ひたすらにロフィを目で追いながら、感覚は隣に立つロエルに傾いてしまっている。
彼は彼女の方へ身を寄せ、囁いた。
「そんなに驚かないで下さい。あなたにここの推薦状を用意できるのなら、僕だって入れておかしくない」
彼女は微かに首を振った。そんなことではない。こんな公式の場での彼との距離の近さにたじろぎつつ、
「どうして?」
と返した。
「種明かしをすると、あなたに気味悪がられそうで怖いな。レイナ夫人にせっついて教えていただきました」
確かに今回のことは嬉しくもあり、レイナに細かく報告してある。
身じろぎもできないままの彼女にロエルは腕を回した。軽く腰を抱き手を握った。その大胆な行為に戸惑いと羞恥でめまいがしそうになる。逃れようとする彼女に更に囁いた。
「僕たちは傍目には若い夫妻にしか見えない。あなたがそんなに恥じらっていらっしゃれば、周囲におかしく映りますよ」
そもそもが、子供たちの家族が揃っている場だ。人々は互いに寄り添いまたは腕を組み、睦まじく観覧している。
アリスは抗えもできない。ロエルの腕が腰に触れその指が手に絡むのに任せ、頬を赤らめている。
「他の子よりも背が高い。きっと足も速いでしょう?」
「……庭を駆け回っていますから、そのせいね」
「演舞を上手くできて得意そうですよ。こちらを見ています。手を振ってあげてはいかがです?」
彼女が自由な方の手でロフィへ手を振った。応じることは許されていないのか、それでも笑顔を向けてくる。隣のロエルには意識が向かないようだ。大きな任務をやり遂げて満足そうに笑っている。笛の合図でまた綺麗な隊列を組んだ。全ての演目が終わり、観覧席からは盛大な拍手が上がった。
ロエルが彼女の手を解いたので、アリスも子供たちに拍手を送った。彼も一緒になって手を叩いている。楽しげな彼の姿は周囲に溶け込み、幼い子供を見守る父親にしか見えない。状況に戸惑いながらも彼をまぶしく感じた。
「可愛いな。すっかり馴染んで楽しそうじゃないですか」
「ええ。ご紹介いただけたおかげです」
「僕は何も。彼に合っていたのでしょう。あんなに上手にお役をこなすのだから、あなたも誇らしいですね」
演舞が終わり、人々はそれぞれ桟敷を立ちかけていた。和やかな話し声が途切れず、その中でアリスたちも彼らに交じり、何気なく装っている。
当たり前に腕を貸すから、彼女はおずおずと自分の手をかけた。
「そんなに怯えないで。誰も気づかないから。平気な顔でいらっしゃればいい」
囁きは唇が耳朶に触れそうなほど。彼女は瞳を伏せてそれをやり過ごした。鼓動が速く、熱を持った頬が熱い。取り乱せば周囲の目を集めてしまう。彼の導くように動くしかない。
(ロエルはいつもそう)
追い詰めて彼女の意思を彼の方へ強引に引き出してしまう。選択肢がほぼないところがドリトルン家のフーのやり様に似ている。違うのは、ロエルの強気なそれにアリスが魅入られてしまっているところだ。
人々の流れに溶け込むように歩く。
「あなたのおかげですっきりしました」
彼は自分の首に手をやった。以前は襟足にかかった髪が短く切り揃えられている。あの部分を切って彼女へ送りつけてきたのだ。
「驚きました。ご自分でお切りになったの?」
「ええ。どうしたら気持ちが届くか考えていて、何となく……。どこか切った血でもと浮かんだが、あなたを怯えさせてしまう。行き詰まってしまってどうしようもなかったから」
アリスから見る彼は髪が斜めに額に流れて、その下の目が自重気味に細まっている。彼女は首を振った。
「わたしのためになんかで、もうどこも切らないで」
「あなた以外にそんなことはしません」
車寄せは馬車を待つ人で混雑していた。彼女の馬車が現れると、近づく前に彼は腕を外した。
「大学まで送って下さいませんか? 夫妻の振りをした僕たちが、このまま別れたら妙だ」
アリスが言葉を返す前に彼は御者に言付けし、彼女が馬車に乗るのを手助けした。当たり前の様子で自分も乗り込み扉を閉める。
「行き合った知人を送り合うなどよくあることですよ。あの御者はわかりが良かった。怪しまれるほどのことじゃないから、そう怯えないで下さい」
と言い、彼は対面の彼女の手を取った。二人きりの密室で声のもれる恐れはないが、彼女は声をひそめた。
「何かわたしにご用でも?」
「用がなかったら、あなたは僕に会って下さらないのですか?」
その声は若干なじるようにも拗ねるようにも響いた。
「……でも王宮にまで……。驚きました」
「ああいう場なら、あなたは僕からお逃げになれないと思って」
「いつもそう。狡いわ。困らせて楽しんでいらっしゃるのね」
彼女が手を外そうとして、逆に強く握られた。
「あなたに会いたかった。こうして手で触れたいと思っていました。ねえアリス、あなたは僕をそんな風に思って下さいますか? あなたの本当のお気持ちが知りたい」
両手が自由なら彼女は顔を覆っただろう。そうしながらも答えたはずだ。しかし、見つめる瞳を遮るものはなく、そのまま受け止めた。囚われてしまっている自分を感じながら。
「あなたと同じ。して下さることは驚くことも多いけれど、どれも嬉しいの」
「ありがとう。それが聞ければ十分です」
彼は彼女の指に唇を当てた。仕草にはにかみ、彼女は瞳を避けた。どうしようもなく胸が高鳴って苦しい。そして今の二人の時間がどうしても嬉しい。
「あなたとの将来を描いています。返事を急かすつもりも迫るつもりもありません。僕にはその決意があると知っていただきたいのです」
「それは……、いけないわ」
彼は公爵家のただ一人の跡取りで、それに相応しい妻を求めるべきだ。彼の両親もそれを強く望むに違いない。既婚者で家に縛り付けられている彼女ではあり得ない。
「あなたはお優しい。僕のことを考えて下さるのでしょう? でも、それは余計なことです。あなたのいない僕の未来には価値がない。責務だから時期が来れば家は継ぎます。それさえ果たせば父は納得してくれる」
「お母様は? ご結婚を望まれていると聞きます。あなたの次の跡取りだって……」
「あなたがいるのに結婚などおかしいじゃないですか。また僕の次など、養子を取るなどどうとでもなる」
「それは乱暴だわ。早計にお決めにならないで」
「早計などではありませんよ。随分考えました。大事なのはあなたと一緒にいられることです。あなたは離縁なさらなくていい。ご主人がやっているように生活だけ僕と別の形態を取ればいいのです」
「そんなこと、許されないわ。どんな醜聞に晒されるか……」
「その為にあなたを失くせない。アリス、あなたはどう? 決めなくてもいい。時期も切りません。ただ僕の思いにあなたのそれが重なるかどうか……。それを聞かせてほしい」
「……あなたと離れたままは嫌。それしか言えない。何も返せなくて……、ごめんなさい」
「ありがとう。それが聞きたかったのです。僕たちの間にある問題を一つづつ潰していけば、きっと叶うから」
「ごめんなさい……」
アリスは涙ぐんでいた。あっさり自身の大切なものを切り捨ててしまう彼へ申し訳なさが溢れた。手紙に挟んだ髪のように。「僕たちの間にある問題」と彼は言ったが、それはほとんどアリスの側にある。
彼は彼女の涙を指でぬぐった。
「嫌だな、あなたに詫びてほしくない。僕が欲しいのはあなたのこれからなのです」
「あげるわ……。でも……何もお約束できない」
「でも僕は信じている。一度死にかけているからしぶといのです」
指を絡ませたまま二人の時間は終わった。馬車が目的の大学に着き、彼は降りて行った。遠くなる背中を見続けていたいのに、すぐに距離が視界から彼を消し去ってしまう。
彼が彼女から引き出した本音に戸惑っている。けれど、全て隠さない心の声だ。そして、もう隠せなくなったのでは、と怖くなった。




