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ドリトルン家 4

 

 判で押したよう変わり映えのない毎日は、一日が長い。それでも繰り返していくうち、時は同じように過ぎていく。


 母屋の仲良しから聞いたらしい。ミントが母屋で子が誕生したことを伝えた。


「男の子らしいですわ。大きな赤ちゃんだって皆が噂しています。難産だったのでお医師があの人に付きっきりだそうです。もうたっぷり食事するほど元気のようですけれどね」


 ミントはディアーの愛人のブルーベルを決して名前で呼ばない。「あの人」や「あの女性」などと眉をひそめて口にする。母屋の使用人たちからも評判はよろしくないらしい。「わがまま」で「偉そう」だそうだ。


「待望の男の初孫ですから、大旦那様が喜んで名付け親を買って出られたとか。お名前はロフィに決まったそうです」


「そう」


 使用人やミントがどう批評しようが、ブルーベルはディアーに愛され子までもうけた。ドリトルン家の実質の女主人に違いない。


 アリスには既にその人への嫉妬も羨ましさもない。遠いところにいる人と思うだけだ。ただ自分との大きな差を感じる時は、ちくんと胸が痛んだ。


 名義上の子が生まれても、アリスの日々は変わらない。


 ミントの手柄で最近は直に手紙を出すことを許された。父と唯一の友人と言っていいはとこに日常を綴ったやり取りをする。父の手紙には本が添えられてあり、返事には感想を求められるので、それはそれで忙しい。


 はとこのレイナは母のいとこの娘で、アリスより三つ年上だった。二年前にある財産家に嫁ぎ、今は裕福な若奥様として幸せに暮らしている。


「レイナ様も今はお幸せそうでよろしかったですわね。祖母が言うには、ご婚約時は身分違いだとうるさく口を挟まれた方も多かったそうですわ」


 レイナの家も高家一門だ。宗家ではないが、アリスの実家の宗家と同じく困窮していた。地所を切り売りするところまで来ていた窮状は、レイナの結婚によって救われた。婚約に際してかなりの金を積まれたという。アリスは使用人たちのそんな噂があったのをうっすらと覚えている。


 その二年後に、そっくりな状況で彼女自身が嫁ぐことになった。アリスが結婚に際し自分の将来に深く悩まずにいられたのは、幼さの他レイナの成功例があったからだろう。


「レイナ様のご婚家は、詐欺をしでかすドリトルン家とは全く違いますわ。比較に出すのも憚られます。当主の方も誠実でレイナ様を思っていらっしゃるのでございますもの」


「お邸に招待するって手紙にあるわ。久しぶりにレイナに会いたいわね」


「よろしゅうございます。今度フーを捕まえて姫様のご要望をねじ込んでやりますから」


「どうかしら? フーが許すかしら?」


「ご安心を。ミントにお任せあれ」


 頼もしく請け負う侍女にアリスは微笑んで応じた。


 そんなやり取りからしばらく。ミントはレイナの元へ出向く許しをフーから勝ち取ってきた。大丈夫かしらと訝しんでいたアリスには意外な喜びだ。


「意外にもすんなり頷いてくれました。どういう風の吹き回しやら。ともかく、ようございましたわ」


 説得してやろうと意気込んでいたミントには、フーの他愛ない態度は拍子抜けだったようだ。


 


 レイナの邸の庭を歩いた。アリスの腕を取りレイナは微笑んでいる。美貌の噂のない控えめな姫だったはずが、驚くほど美しくなっている。


(会うごとにきれいになるみたい)


 品のいい衣装と首を飾る宝石のせいばかりではない。肌も髪も艶めいてそこから華やかな自信が匂う。


「ドリトルン家はどう? あなた手紙じゃ何も教えてくれないから」


「邸のことはあまり書くなと止められているの。……ごめんなさい」


「うっかりもれて、尾鰭のついた噂が出回るのも嫌ですものね。でも、会ってならいいでしょう? 誰も聞いちゃいないから」


 レイナはアリスの顔をうかがい声をやや落とした。


「ドリトルン家のこと、主人に聞いたらちょっと眉をひそめていたの。だから、気にかかってしょうがなかった。宗家のおじ様が騙し討ちにのような目に遭われたって、……本当?」


「騙し討ちかどうか……。ミントは詐欺だって怒っているけれど」


「教えて、全部」


 促され、アリスは結婚にまつわる自分の知る全てを語った。訥々とした口調だったが知らず熱を帯び、最後には恨みのような激情がこぼれそうになって口元を抑えた。


 あまりの内容にか、レイナは相槌を打たなかった。彼女の腕を力を入れて握った。


「お父様には内緒なの。打ち明けてもしょうがないことだし、暮らしは良くなったことは確かよ。それだけでありがたいの。わたしが我慢すれば丸く治るから……。だから、あなたも秘密にしてね」


 唇を噛んでアリスを凝視するレイナは、長く黙った。その後「それでいいの?」と聞いて、すぐに打ち消した。


「……ごめんなさい、いい訳がないわね」


 レイナ自身も二年ほど前まではアリスと似た境遇だった。窮した名家のしがらみは知り抜いている。清貧を美徳に家の命脈を保つだけの世襲。その中に個人の幸せは入らない。


 たまたまレイナの場合、利益目当ての結婚に恋愛が伴い幸福に結びついた。


「馬鹿なこと聞いたわ。ねえ、何かわたしにできない? 何でも言って頂戴」


「ありがとう。会えただけで嬉しいわ。聞いてもらえて胸が軽くなったもの」


 庭を歩いてからレイナのサロンでお茶を飲んだ。そこに夫君のギアー氏が現れた。恰幅のいい男性で、話し方も実直で優しそうだ。幾つも事業を持つ青年実業家だった。


「お急ぎでなければぜひ晩餐を。多い方が楽しい」


 儀礼でもない口調で勧めてくる。レイナも強く言うからそれに押され、頷いた。離れに帰っても誰が待つでもない。母屋から届く冷めた食事を一人で食べるだけだ。社交に疎いアリスだがレイナの邸なら気が楽だった。


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