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幼な妻は泣くことを止めました〜いばらの館には夢見たものは何もなかった〜  作者: 帆々


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嵐の中で 7


『……回復を待って、わたしは邸に帰って参りました。主人をこれ以上長く一人にする訳にもいきませんので。

 

 一時期は本当に危なかったのですが、わたしの叔父の懇意にする医師の処置が非常によく、危機を脱したようです。無理に邸に連れ帰りなどしていれば、どうなっていたかと恐ろしく思います。


 今回のことで風土病への強い抵抗力がついたとかいう医師の説明に、息子は喜んでいました。「同じ病に罹患しにくいのなら、却って良かった」などと言うから叱ってやりました。命を落としかけたというのに、懲りないところは子供のようで情けなくなります。まわりの心配も意に介さず、本人はもうけろりとしていて、呆れたものですわ。


 アリスさんにもロエルのことではご心配をおかけしましたが、こういったことで帰郷が遅れたのです。ご報告までにお知らせいたします。


 息子はまだ本調子ではないようで、しばらく叔父の館に滞在し療養すると申しております。王都からほど近いのに、のどかで良いところです。わたしの里にも近く、ロエルも幼い頃から馴染みがあり懐かしいのでしょう……』



 公爵夫人からの手紙だった。差出人に緊張した様子のミントが、強張った表情でアリスに差し出した時、彼女はロエルの死を悟った。それを知らせる彼の母からの手紙だと覚悟した。


 触れるのも恐ろしく、半日も放置し、勇気を奮い起こし手紙を手に取ったのは、もう夜更けだった。

 

 美しい文字が目に飛び込む。日常の挨拶から始まり、ロエルの回復を知らせる文字を認めるや、アリスは小さく悲鳴をあげた。彼の無事を知り全身の緊張が解けた。声を聞きつけたミントにもすぐに知らせ、主従で抱き合って喜んだ。


 翌日には、知らせの礼とロエルの回復を祝う返事を書いた。高揚した気分で、レイナにもロエルの無事を書き送った。この時点で聞き知っているかもしれないが、誰かと嬉しさを共有したい思いは強かった。


 そして、とうとうロエル本人から手紙が届いた。彼の乱れのない筆跡を涙に曇った目が追っていく。



『……あなたとお別れした後から、記憶がないのです。気づけば何日も過ぎていて、自分が死にかけたのだと教えられました。夢とうつつを繰り返し、無事を知らせる術もなく、申し訳ありませんでした。


 あなたのことばかり考えています。


 あなたが見せて下さった優しさは、死に瀕した僕への憐憫でしょうか? 過ぎた今、あなたへあの時と変わらない思いを望むのは自惚れていますか?


 どうも僕は丈夫に出来ているようで、とても元気でいます。また意識を失いでもすれば、あなたはやって来て下さるのだろうかと、埒もないことを考えてしまい……』



 (まあ、何てことを……)


 軽率な言葉にアリスは唇を噛んだ。どれだけその後を案じ、苦しい日々を送ってきたか……。


  彼の母の公爵夫人の手紙にも記されていたように、自分の身を軽んじる「懲りない」ところが恨めしいほどだ。


 その腹立たしさも、彼が健康を取り戻しつつあるからこそ。しみじみそれがありがたく、嬉し涙は尽きなかった。


 

アリスからロエルへ

 

『……最後にお別れしてから、手紙を見ることが恐ろしかった。レイナからのものですら、知りたくないことが書かれているのではないかと怖くなり、手を触れたくなかったものです。


 ご回復を願う一方で、もしかしたらを考え続けていました。それほどにあなたはお悪そうで、深刻なご様子でした。当のご本人は、過ぎれば面白い体験だったかのように捉えられるのかもしれませんが、とんでもない誤りですわ。


 再びあなたの具合がお悪くなった場合のことなど、想像もしたくないし出来ません。けれども、こんな軽薄なことをおっしゃる方のお見舞いには足が向かないように思います。


 あなたを案じる人々に、こんな言葉を繰り返しおっしゃるなど、何もお話ししたくなくなってしまいます。非常に残念な思いで……』


 

 ロエルからアリスへ

 

『……アリス、あなたを怒らせてしまったようで驚いています。書いたことは軽率だったようです。申し訳ありません。


 しばらく寝込んでいて、病で同情を引くという悪い癖を覚えてしまったのかもしれません。いつもベール越しのようなあなたが、あの夜にだけは直に向き合って下さった。それが嬉しくて、つい悪用してしまうのでしょう。二度と言いません。どうか許して下さい。


 あなたは母と親しいのですか? 同じことで叱られた気がする。滅多に怒らない母も怖いが、あなたはそれ以上です。ともあれ、僕はあなた方に感謝が足りない……』



 ロエルからの手紙を読むアリスの頬が緩んでいた。


「あらあら、お嬉しい内容のようで何よりでございますわ」


 作業を終えたミントが手の包みを持ち、玄関へ向かうところだ。アリスへ笑顔を向ける。この手紙は彼の従者のシェリーシュが直に届けてくれた。公爵邸に向かう際にこちらに寄ってくれたのだ。


 空腹そうなシェリーシュへ、ミントはねぎらいの差し入れを渡すつもりだ。ロエルの従僕は馬の背を撫ぜていた。しっかりした身体つきの頼もしげな精悍な男性だ。周囲は邸勤めの優男ばかりなので、このタイプが珍しい。


 差し入れの品を渡すと破顔した彼はその場で包みを解いた。よほど空腹だったようだ。それを見ながら、


「ねえ、ロエル様はどんなお方?」


 と問う。アリスからは「お優しい方よ」「ご親切な方よ」程度しか聞き取れないできた。公爵の子息でレイナの知人、他金髪だということ以外情報がない。咀嚼の後でシェリーシュは返す。


「理不尽な命もないし融通の効く、主人として楽なお方だ。悪く言う人間はいないのじゃないか。少なくともそんな評判は聞かない」


「ふうん。そんなお方なら、令嬢方が放っておかないのじゃないの? 素晴らしい婿がねだもの」


 遠回しに異性関係に探りを入れた。人間的に優れているからといって、理性とは別で痴情に目がくらむ者もある。終わりありきの儚い恋だが、アリスが同時期複数の中の一人というのは許せない。


「俺の知る限り、ご令嬢との関わりはお持ちじゃない。言っておくが、こんなお使いを仰せつかるのは初めてだ」


「こんなお使い」とは、手紙を届けることや逢瀬を手伝うことを指す。


「すっかりこちらの姫君の虜になっていらっしゃる。苦言は野暮だがどうしたものかと思うよ」


 声にはぼやく調子が混じる。ロエルとの恋を推し進めているとは毛ほども見せず、ミントは殊勝な様子で頷いた。


「今回のご病気が重症化し長引かれたのも、これまでの若の行動則からずれていたためだ」


「それはどういう意味?」


 シェリーシュは思い出すようにつないだ。ミントは胸に溜めていたものを吐き出すいい相手だった。主人を思い、互いにほぼ同じ種の悩みを抱えている。


 彼が言うのは、これまでのロエルなら、明らかな身体の変調を押して無理な調査など決してしない。判断も鈍るしミスも増える。そんな結果にロエル自身が満足することはないからだ。戦略的撤退を恥じる石頭では決してなかった。なのに、無理を重ねて自分で病を悪化させた。


「あの時点でさっさと帰郷なされば、治療が遅れることもないし、あれほどのことにはならなかった。下手をしたら、本当にお命はなかったよ」


「どうしてお帰りにならなかったの?」


「結果を出すことに変に意固地になられたんだ。あれは氏素性もなく、若が独力で見つけられた仕事なんだ。それで公爵家を建て直された実績もある。その自負もおありだろう」


「へえ、お偉いのね」


「ああ、その辺の苦労知らずとは違う」


 シェリーシュはミントの相槌に当然と返す。ロエルという主人が誇らしいのがわかる。


(へえ)


 ミントが普段接する母屋の使用人らは、裏でドリトルン一家を嘲笑っている者ばかりだ。ディアーも子リスも、当然だがひどい言われようだ。それは敬意を払うに値しない主人の問題だとミントは思う。


 シェリーシュの口から主人への賞賛が聞けたのは大きい。ロエルの人品は決して卑しくないようだ。また、やや昂然と主人を褒めるシェリーシュもミントには珍しい。瞬きを繰り返した。


「……帰郷を選ぶことで、その自負に傷がつくような気がされたのではないか……。負けのような逃げのような。ご自分が勝てないことに苛立っておられたように思う」


「何に勝つの?」


「人妻に横恋慕したら、悪いのは完全にこっちだろ。相手が正しいから、どうやっても勝てない」


 アリスの夫のディアーが正しかったことなど、一度もない。妻に向き合うこともせず、卑怯に我欲を追ってばかりいる。そんな夫であってもロエルは勝つことができない。部外者から見れば、彼の方こそ破廉恥な卑怯者に違いない。


「意思に反して仕事が進まないことと、そのこと自体を打ち負かせない敵のように捉えられたのだと思う。とても冷静じゃなかった。ひどい恋煩いだよ」


 シェリーシュはそこで言葉を切った。ミントも何も返せない。ロエルの側近くに使える彼の分析はきっと真実に近い。


「旨かった。ありがとう。じゃあまたな」


 ひらりと騎馬しシェリーシュは去った。何となくミントはそれを見送る。逞しい外見から、旅の多いロエルの用心棒要員のように捉えていたが、主人思いの知的な人であるのも知れた。


(「またな」ですって。また会うつもりでいるのかしら)


 そう思いながらも、シェリーシュの精悍な顔立ちは悪くないと認めるミントだった。


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