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幼な妻は泣くことを止めました〜いばらの館には夢見たものは何もなかった〜  作者: 帆々


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嵐の中で 1

 

 食事の後は決まって賑やかな時間で、バスを嫌がってふざけるロフィを相手にミントもアリスも忙しくしていた。


 抱きかかえたロフィをミントが受け取り入浴させる。メイドたちは寝室の支度を行なっている。それが済めば離れの仕事は終わりで、下がって休むことが許されている。他休憩も多く、母屋に比較して随分と楽だ。それをメイド仲間に言うと妬まれるので黙っているらしい。


「こちらは大変楽ですわ。母屋の者の文句をよく聞きますもの。お方様の呼び出しがあまりに頻繁でまた無茶で、目が回ると申しておりましたわ」


 相変わらず夫ディアーの愛人ブルーベルの評判はすこぶる悪い。喧嘩の噂も聞くが、それでも夫婦然とやっているのは伝わる。


「この前も大旦那様のお見舞いの場で、ねだりごとをして大目玉を喰らって退散したとか……」


 長引く風邪に舅は今も寝室に引き込んでいる。そこに当主を降りたディアーでは決済の出来ない出費の許可を得るため、ブルーベルが訪れ場をわきまえずに頼み込んだのだとか。


 母屋に入ることの稀なアリスに噂話を披露し、メイドは下がって行った。


 ロフィにお休みを言いに寝室に行ったが、彼は昼間の疲れかすぐに眠ってしまった。小姓見習いの日々は楽しさも緊張もあり、寝付きがいいようだ。


「あら」


 耳聡いミントが刺繍枠を膝に置いた。アリスには聞こえなかったが、玄関に物音がしたようだ。椅子を立った。


「見て参りますわ。フーかもしれません。こんな夜更けに無礼ですわ。きつくとっちめてやりますから」


「フーなの?」


 こんな時間の訪問はこれまでなかった。しかし、フー以外ここを訪れる者の予想などつかない。


 アリスは本のページに目を落とした。父からの課題の本だ。これを読んで次の実家訪問の際に父からの問答に答えるのが、父娘のコミュニケーションなのだ。


 足音が聞こえる。ミントだけではない、おそらく男性のものだ。もう聞き覚えているから、それがフーのものではないとわかる。怪訝に思い、本から目を上げた。


 ミントが居間に戻って来た。緊張した様子が伝わる。アリスもにわかにそれが伝わり、


「何か父にあったの?」


 心配をすぐ口にした。ミントはすぐに首を振る。


「そうではございません。殿様の件ではございません。ですが、お客人が……、お通ししてよろしゅうございますか?」


 利発なミントらしくない。客が誰かも告げていない。


「どなたなの?」


「ロエル様の従僕と名乗るお人でございますわ」


 主従で見つめ合った。あり得ることではなかった。互いに驚きで頭が混乱している。さすがに冷静になるのはミントが早い。


「お急ぎらしゅうございますから、とりあえずお会いになられては? ミントもお側に控えておりますから」


 その是非を考える間もなく、アリスは頷いてしまっていた。


 通された従僕はシェリーシュと名乗った。急いだ様子はあるが、貴族に使える者らしく衣装も美しく整っている。背が高く屈強な身体つきは邸内勤めの従僕らしくもない。


「アレクゼイ公爵家におりますが、私は専らロエル様の専従なのです。山の調査に付き従うのが、主な仕事でございます」


 ミントは検めるようにシェリーシュを上から下まで眺め、


「ご用を申し上げて下さい。ロエル様のお名前があればこそ、のお目通りです。そこに付け入ることのないように」


 厳しい声で命じるように言う。


 ミントにちらりと目をやり、従僕は精悍な顔をアリスへ向けた。


「ロエル様が重いご病気なのです。お会い下さることは可能でございましょうか?」


「え」


「山で体調を崩され、寝込まれてしまいました。地方では治療も難しく、少し持ち直されたところで、王都へ向かわれることになりました。しかし、途中でまたお加減が悪くなってしまい……」


 今は王都に入る前の地で療養しているのだという。


「医者の見立てでは風土病に肺の病が重なったのではないかと……。長く高熱が続いた後で、衰弱もされていて、何とも……」


 そこで口ごもりうつむいた。一字一句を聞きもらすまいと息を詰めているアリスは、声が出ない。胸が騒ぐばかりで、頭も鳴るようにざわめいている。


「だから、何とも何なのです?」


 ミントが叱りつけるように問う。その声も上ずっていた。


「公爵邸のご両親にもお知らせしております。明日には到着されるかと……。しかし、若様はあなた様のお名前をおっしゃられています。何とか、これからお運びいただけませんか? 馬車を飛ばせば三時間はかからないでしょう」


「姫様……」


 ミントはアリスの隣で屈み込んだ。その顔をうかがう。


「十分怪しむべきですが、この者はお手紙の宛先の知人宅を経由してこちらに参っております。真にロエル様に近しい者でなければ知り得ない情報を元にしての行動ですわ。それに、姫様を呼び出す意味も、ロエル様のご希望以外には浮かびません……」


 本人を前に明け透けな分析を聞かされ、シェリーシュは口元を歪めた。彼にしたって主人の一大事で駆けつけてきたのだ。夜分の訪問は常識外れは痛感するが、それを押しての行動に恥ずところはない。


「確かに、ご不審はごもっともです。では、これを」


 彼は胸から紙片を取り出した。折りたたんだ紙をアリスへ差し出す。それをミントはさっと取り、検めてからアリスへ手渡した。


 広げた紙に並ぶ文字。その筆跡に覚えがある。燃やしてしまった手紙と同じそれが、乱れた様子で並んでいた。



『お詫びを申仕上げなくては、

 あなたが怒っていらっしゃるように思います。

 

 何度も無理を言っている僕の言葉は信用がないでしょうか。

 あなたにお会いしたい


 それであきらめがつく



 ロエル・ゼム・アレクジア』



 力の尽きるような署名の乱れを目にし、それが彼女の頬を打つようだった。


「行くわ。行かせて」


 すぐに立ち上がった。アリスの言葉にシェリーシュはほっと息を吐いた。拒否されれば虚しい返事を持って取って返すしかなかった。それを弱り切った主人へ伝えることはどうして辛い。


「ミントもお供を……」


 そこで侍女は言葉を途切れさせる。アリスに付いて行けば、幼いロフィを置き去りにしてしまう。また、アリスの留守が長引いた場合、不在の取り繕いにどうしても自分の存在が必要になる。


 ミントの考えを読み取って、アリスは頷いた。


「一人で大丈夫。この人も付いてくれるもの」


 それ以外方法はないが、夜分に知らない者にアリスを託し、知らない場所へ向かわせることがミントには苦しい。


 アリスはロエルの手紙をきれいにたたみ、胸元に差し入れた。


「支度をして頂戴。急ぐわ」


「はい」


 すぐに動いたミントの用意したボンネットを着け、ショールを羽織った。シェリーシュの後に従い用意の馬車に乗った。馬車は塀の外に用意されてあった。邸外でこれなら気づかれない。破れた塀から敷地外へ出る。


「お預かりしました。必ずご無事にお送りいたします」


 馬車の隣で騎馬した頼もしいシェリーシュの言葉にミントはきっぱりと返す。


「当たり前です。違えることは許しませんから」


 静かにミントに見送られ馬車は動き出した。母屋から離れていることがありがたい。誰にも知られずに済む。


 揺れる馬車の暗がり中で、アリスは胸にしまったロエルの手紙を感じ続けていた。


 数日前に、彼への思いを封じて終わりにしようと決めたばかりだった。それが今、こうも簡単に覆されてしまっている。


 その決意は、事情を知るレイナやミントに迷惑をかけない為のものだったが、果たしてそうだったのか。嘘ではない。罪悪感は確かにあった。しかし、返事をくれないロエルへの疑心と、その辛さから逃げたかった思いも底にはあった……。


 彼からの手紙の束を投げやりに暖炉に放り込んだ。あの捨て鉢な行為は彼女の心そのものだ。同じ頃、ロエルは病床にあり苦しんでいたのに……。


「ごめんなさい……」


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