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幼な妻は泣くことを止めました〜いばらの館には夢見たものは何もなかった〜  作者: 帆々


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秘め事 5

 

 アリスはこの日、アレクジア公爵とも顔を合わせることになった。


 彼女たちがサロンに落ち着いたところで、外出すると知らせに来た公爵が顔を出した。穏やかな風貌の人物で、背格好はロエルと似ている。アリスと挨拶を交わした。


「この人にお友だちとは珍しい。ごゆっくり。ぜひ仲良くして上げて下さい」


「孤児院でご一緒したの」


「早々に仕立て屋を勧めては、普通のご婦人はびっくりされてしまうよ」


「まあ、そんなことしませんわ」


「ははは」


 夫人の手を握った後で公爵は部屋を出ていく。その後を大型犬がついて走っていく。あの犬はロエルの飼い犬だった。主人が留守で寂しいのだろうか。何もかもが彼の影だらけの空間にいて、アリスの思考はいない彼へ傾いてしまう。


 お茶が振る舞われた。知らぬ間に緊張していたのか、熱いお茶がひどく嬉しい。勧められて茶菓子にも手が伸びた。


(おいしい)


 緊張していたと感じながら味覚はしっかりしていて頬が緩む。何度かロエルからも「食い意地が張っている」と笑われてきた。


(こういうところなのかも)


 笑みを浮かべる夫人の視線も恥ずかしい。


「主人が言ったように、わたしにお友だちが少ないのは本当なのよ。変わり者だから……。アリスさんは普段どうお過ごしなの?」


 ジャムを練り込んだ焼き菓子を喉にやり、アリスはぽつぽつと問いに答えた。話すほどのこともない。外出は稀で、実家とはとこのレイナの邸ばかり。そこに最近は孤児院が増えた。


 ロエルから彼女のその辺りのところは聞いていないのか、夫人は意外そうな表情を見せた。金満家の若い奥方らしくない暮らしぶりが、珍しい様子だ。


「孤児院への興味はどういったことから?」


「興味は持ったことはありません。家名の世間からの印象を変えて行くにはそうするのがいいと、ロエル様に教えていただいて始めたことです。真剣に取り組んでいらっしゃるのに……、申し訳ありません」


「そうだったの……」


 夫人はしばらく絶句した。さすがのアリスもそんな夫人を前に菓子に手は出ない。


 沈黙の後だ。


「謝っていただく理由はないわ。動機はそれぞれですもの。わたしも似たような思いで始めたものだから、ちょっと驚いてしまって……。実際、それで救われたり助けになる人がいるのなら、いいのではないかしら? そう思うようにしているわ。誰が決めることでもないでしょう。……あの、家名の印象というのはどういうご事情? 差し支えなければうかがってもよろしい?」


 問われるままのドリトルン家の名とその家業、夫の子で養子となったロフィのことを告げた。その子がこれから紳士として育っていくのに、家名にまつわる醜聞はできる限り除いておきたい。そんな思いを伝えた。


「自分の知恵ではないのです。全部、ロエル様がそうすべきだと教えて下さって、それを真似ているだけですわ」


「あの子……」


 やや首を振り、夫人は微笑んだ。


「それで周囲の噂は消えはしないの。薄まっても消えないわ。ただ楽になるの、自分がね。あなたに視野を広げてほしいという思いでお勧めしたのなら、良いのだけれど……。汚名払拭の効果だけを謳ったのなら、間違いよ」


 長く実践した本人が語るのだから、真実に違いない。しかし、そこに視野が広がった人の余裕がある。それは別の居場所を作り、そこで心地よく呼吸している人の自信だ。


 少しだけその感覚が彼女にはわかる。赤子のロフィを押しつけられ四苦八苦した後、なぜか前と同じ場所にいながら、風景が異なるように思えた。わずかに自分の立ち位置が上がったような、そんな不思議な違和感だった。


(あのドリトルン家にいながら、辛さも虚しさも和らいだ……)


 それが視野を広げることであるのなら、続ける意味があると思った。彼も彼女へ万能の効果を解いたのではなかった。アリスに叶う、限られた手段の一つを提示したに過ぎない。


「ロエル様は誇張したことをおっしゃったのではありませんわ。わたしにもできそうだから教えて下さったのだと思います」

 

 彼女に行動することを教えた彼の瞳を覚えている。一心に彼女へ注がれたあの眼差しを。

 

(ロエルがあんなに真剣に勧めてくれたことだもの……)


 簡単に投げ出せない。


「ねえ、私的なことをごめんなさい。教えていただけないかしら? お気を悪くされないといいのだけれど……。あなたのお子様は前妻様がご生母でいらっしゃるの?」


「生母は前妻ではありません」


 ドリトルン家での自分の立ち位置を語ることは、もう苦くない。初めてそれをレイナに告げた時、取り乱した記憶がある。


(時が経ち、慣れて……。そして少しだけ視野が広がって、わたしは変わったのかも)


「養子を産んだのは夫の愛人です。舅がその出生を気にして、赤子の時にわたしの子にしたのです。それからずっと一緒ですわ」


「なかなかのみ込めないものでは?」


「そもそも経済的な結婚でしたからそれ以外選べなくて……。長く一緒にいるとすっかり家族だし、自分の子供になるものですわね」


「お心の広い方ね。あなたの行いは決して偽善なんかじゃないわ。動機がどうあれ、お子様の為に根差しているのですもの。落ち着いていらっしゃって、お若いのに偉いわ」


 しげしげと見つめられ、アリスははにかんだ。首を振る。


(とんでもない)


「ぼんやりしてばっかりの物知らずで、ロエル様もあきれてしまうのでしょうね。ご忠告をたくさんいただきましたわ」


「あの子が婦人にどう振る舞うのかを知らないの。母親なのに恥ずかしいわ。偉そうなおせっかいが過ぎていないとよろしいのだけれど」


「お優しくしていただいています。ご親切な方ですわ」


 嘘偽りのない言葉だ。だが、口にしながら瞳が落ちた。彼との連絡が途絶えてしまっていることが、どうしても目の前を暗くする。


 後ろめたさから、この優しげな母親にも彼との手紙のやり取りを打ち明けるのはためらわれた。


 わずかな沈黙の後で、アリスはそろそろ辞去を告げようと思った。今日の誘いも、ロエルを通じての興味のはず。素性に関して打ち明けるべきことは告げ、夫人の好奇心も満たされたのではないか。


 唇を開きかけた時だ。


「ロエルから連絡がないの。アリスさん、あなた何か聞いていらっしゃらない?」


 アリスの落ちた目が夫人に戻った。質問の意図が読めなかった。


「ご存知ない? あの子、今王都を出て山に調査に入っているの。帰ると言った三月をもう超えたのに、何の連絡もなくて……。主人はしばらく放って置けと言うのだけれど。帰りはいつも便りを寄越すの。わたしが心配症だからって。なのに今回はそれがなくて、何だか不安なの」


 彼女は夫人を見つめるが言葉が出ない。彼からの連絡がないと言う夫人の不安は、彼女とは別種の彼への不安だった。


「調査が延びる事情など、もしかしたら、あの子の友人の方からでもお聞きになっていない?」


 眼差しも声音も息子への心配がにじむが、そこまでの必死さはない。公爵にも「しばらく放って置け」となだめられ、それが妥当だと従っている。


 しかし、アリスは違った。元から抱いていた彼への不安がその色合いを変えた。彼女との恋の真似事に飽きて手紙を返さないのではなく、そう出来ないのだとしたら……。


(まさか……、ご無事ではない?)


 喉元にまで込み上げるほどの恐怖を感じた。この場がいつもの離れであれば、彼女は悲鳴をあげていたかもしれない。


「ごめんなさいね、妙なことを言って。きっと何かの理由で帰郷が遅れているだけのことだわ」


 とりなすように夫人が言う。アリスは溢れそうな涙を急いでハンカチで拭った。知人のロエルの帰郷の遅れで、なぜ彼女が涙ぐむ? 変な仕草に違いないが、夫人の手前を取り繕う余裕がなかった。


「……ギアー様がロエル様と仲がよろしいのです。その夫人がわたしのはとこになります。はとこなら何か聞いているかも……。尋ねてみますわ」


「まあそう、ありがたいわ。ぜひそうして下さる? 何かあればお知らせ下さいね」


 アリスはこれを潮に辞去を告げる。夫人と握手をし、親しい言葉をかけられた。


「またお会い出来ると嬉しいわ」


「ありがとうございます」


 夫人の視線に少しもの問いたげな色を感じたが、アリスは微笑んでそれを避けた。馬車に乗り込み、門を出てしまうと抑えていた涙が目から溢れ出す。


 ひとしきり泣いた後で、馬車を停めさせた。そのままドリトルン家へ帰るのではなく、ギアー氏の邸宅に寄ってほしいと告げる。夫人に言ったのは単なる慰めでなく、そうしてみようと思い立ったからだ。


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