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幼な妻は泣くことを止めました〜いばらの館には夢見たものは何もなかった〜  作者: 帆々


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箱の中のアリス 4


 公爵邸は広々とした庭に囲まれた美しい邸宅だった。やや古色ある佇まいが優雅な格式高さを感じさせた。


 書斎の椅子にかけると、すぐに大きな犬が走り寄ってきた。庭へ開いた掃き出し窓から入ってきたのだ。じゃれついた後でロエルの足元にぺたりと座り込んだ。


「なぜてやって下さい。おとなしいから噛みつきませんよ」


 ロエルは呼び鈴を振り人を呼んだ。現れた従僕に母親を呼ぶよう命じた。アリスは犬が珍しい。おっかなびっくり手で触れる。


 彼の言うように慣れない彼女にも従順で、威嚇もせず触らせてくれる。


「このノアンは僕が五年前に山で見つけて、連れ帰って来たのです。可哀想に母犬は死んでしまっていたから」


「そう…。でもお前は幸せね」


「動物を飼われたことがありますか?」


「いいえ。でも……、邸に出たねずみになら、名前をつけていたわ」


 アリスの答えにロエルは笑った。いつまでも笑うので、おかしなことを言ったのかときまり悪くなった。


 そこへロエルの母が現れた。伴った使用人がお茶の用意を運んで来た。


「楽しそうに笑うのが聞こえたわ。ロエル、こちらのお嬢様をご紹介して頂戴な」


 アリスへ微笑む彼の母は、ろうたけた美しい人だった。秀麗な面差しは息子とよく似ている。彼の金髪はきっと母譲りだろうと思われた。


「母上、こちらが孤児院へ慰問をされているアリスさんだよ」


「あなたが……。息子から話を聞き、ぜひお会いしたかったの。どうぞおよろしく」


 アリスは丁寧に辞儀をした。これまで親族以外で彼女が先に辞儀をすることはなかったが、相手は年上の女性でロエルの母だ。自然に目上の人物への対応になった。


「お茶をどうぞ」


 夫人はきれいな挙措でお茶を振る舞うが、その目はアリスに強い興味を隠さない。彼女は息子が邸に連れて来た初めての女性だった。華やかな社交にそっぽを向き地方の山々を歩き回る息子が、このまま結婚から縁遠くなってしまうのかと、母親としてややじりじりもしている。


「どちらのお家の方? ギアーさんの関係の方だと聞きましたけれど。そのご親族の方かしら」


「ギアー様の奥様、レイナのはとこになります」


 公爵夫人は上目遣いにちょっと考える風を見せた。ロエルへ向く。


「あちらの奥様は確か、やんごとないお家から降嫁なされたのよね?」


「レイナ夫人は高貴でも王家でないから降嫁は変だよ。二人は普通の結婚だったよ。アリスさんも夫人と同じ高家のご出身なんだ」


 ロエルは足元のノアンに菓子をちぎってやりながら言う。


「では、姫君でいらっしゃる……。知らなかったとはいえ、ご無礼を。申し訳ありませんわ」


「どうかお止め下さい」


 夫人の恭しい礼にアリスは首を振り応じた。


「レイナと同じくわたしも他家に嫁いだ身です。ロエル様とは彼女の邸でお会いしました。息子の件でもご親切にしていただいております」


 アリスの言葉に夫人は表情を変えなかったが、内心の落胆は大きく目を伏せてしまう。非常に珍しい息子の行動は、知人への単純な親切だった。期待した分の反動が大きかった。邸にまで連れ母親に紹介するのだから、と嬉しい予想に弾んでいたのに、だ。


「アリスさんは今日たくさん慰問物資を用意されたんだよ。上等な布地が多くて施設の人も喜んでいたんだ」


「あら、それは素晴らしいわ。今度行って、院長と衣服に仕立てる相談をするわね。布地が一番ありがたいわ」


 その言葉を聞き、夫人が今もよく孤児院への慈善に赴いていることが知れた。


「仕立ての仕事をたくさん請け負ってくるから、そんな時母の居間は仕立て屋のようになるのですよ」


「公爵夫人自らなさるのですか?」


「寄付していただいた生地を仕立て屋に出しては意味がないですから。施設の大きな女の子には手伝ってもらえるので、大した仕事ではないのですよ。ロエルは面白がってそう言うのですわ」


「だって、本当に仕立て屋を始めるのかと思ったよ」


 ロエルはアリスへ向き、


「母はじっとしていられない人なのですよ。仕事がなければ自分から作って働きたがる」


 と笑う。その表情に母親への愛情がうかがえた。アリスも微笑んで応じながら、いつかこの彼が母へ評判の菓子を土産に買っていくと言ったことを思い出した。普段から彼は母親に優しいのだ、と芯から思う。


「時間があるからやっているだけですよ。……そうロエル、あなたさっきは何をおかしがっていたの? 外まで笑い声が届いていたわ」


「ああ、あれか……」


 彼はアリスをちらりと見た。


「あなたの面白い経験を母に伝えてもよろしいですか?」


 問われた彼女は頷いた。その返事を待って、彼が母親にアリスが邸に出没するねずみに名前をつけていたことを伝えた。話に夫人も笑いをもらした。


「あなたが気取らないお人柄で、母も驚いたのじゃないかな」


「単に物知らずなだけですわ」


「発想が斬新で愉快だと言いたかったのですよ」


 アリスはややはにかんで手のお茶のカップに目を落とした。


 二人の様子を近い距離で眺める夫人は、アリスを前にした息子の仕草に不思議な思いでいた。優しい紳士であることは知っている。しかし、女性にこんなに朗らかな態度を見せる性格ではなかったはず。その必要を認めないからこそ、社交界に顔を出すのを拒んでいるというのに。


(あんな楽しげに笑うなんて……)


 微笑を通してアリスを見つめる。若く清楚な彼女は既婚者で子供まであるというのに。





 ロエルとは公爵邸の前で別れた。その際、彼は約束の王宮への推薦状を渡してくれた。


 アリスが礼を言うと、真面目な顔で言う。


「忘れた振りでいようと思っていました。そうすれば、またあなたにお会いできるから」


「……でも、渡して下さったわ」


 馬車へ進む砂利を踏みしめながら答えた。やっとの思いで出た言葉だった。彼が次にどんな言葉をつなぐのか。めまいがしそうなほど一心に待った。


(何を期待しているの?)


「ねえ、アリス」


 呼びかけに彼女は顔を向けた。彼は瞳を少し伏せて彼女を見つめる。長くはないが、息を止めるには苦しいほどの時間が過ぎた。


「あなたから手紙を下さい」


「……ロフィの小姓見習いの様子をお知らせしますわ」


「ええ、きっと」


 彼女は馬車に乗り込んで、窓越しに見送るロエルへ手を振った。馬車が公爵邸の門を出るまで、訳なく幾度か振り返った。木々が遮り見えるはずもないのに。


 なぜか長く吐息する。

 

(推薦状のお約束、わたしも忘れていた……)


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