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幼な妻は泣くことを止めました〜いばらの館には夢見たものは何もなかった〜  作者: 帆々


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窓 7

 

 夕刻前にはアリスは辞去を告げた。夫妻は「晩餐も」と惜しんでくれたが、次もまた会える。これまでとは違う。互いに軽い気持ちで別れを交わした。


 その時ロエルが彼女の袖をちょっと引いた。ためらいがちな仕草だった。夫妻から離れ、彼女を窓際に誘った。


(何かしら?)


 アリスはロエルの行動に驚いたが、取り立て身構えることもなかった。ギアー夫妻を交えた四人の時間は、ひどく和やかで楽しいものだったから。


 彼は彼女を伏せた目で見ながら切り出した。


「当主代理になる意味をおわかりですか?」


「え」


「まだ幼児が当主ならその代理は長く続くでしょう。少なくともその彼が成人するときまで。……ディアー氏の父親が彼を下ろした理由はおそらく読めます。あなたはきっとお聞きのはずだ。あまりいい噂を耳にしません」


 アリスは言葉を発せられない。ロエルの声は低く真剣でだった。なぜ自分にこれらを言うのかわからない。


(二人の前でだって……)


 ちらりと夫妻をうかがうが、二人は使用人と何かを話しているところだ。


「孫の成長に期待をかけて、何かと非難のある家業をたたむつもりなのは推測できます。きっとあなたの出自を最大限に使い、家名の売り出しを考えているのでしょうね」


 アリスははっとした。彼は舅の意図をほぼ把握してしまっている。


(でもそれで、何を……?)


 ロエルは彼女を見つめた。


「当主代理ということは、姫の名がこれから世間にどんどん出てしまうことです。幼い当主に代わってあなたがドリトルンの代表になる。おわかりですか?」


「でも、舅は何も変わらないって……」


「お暮らしはさほど変わらなくても、あなたの名は勝手に世間に広く知られて、人々に周知されるのです。ドリトルン家への批判もあなたに集まることになるのですよ。……僕の家もかつてドリトルン家の顧客の一つだった。家名を晒したくない弱みにつけ込んで、契約以上の暴利の返済を迫るのです。方々でこれをやっている。あれは恨みを買うでしょう」


 ロエルの言葉は続く。


「自由が増えたことは喜ばしいが、どこへ出かけても人々はあなたの後ろにドリトルン家の看板を見る。それらに耐えられますか?」


 彼の抑えた声は見えない鞭のようだった。それが次々に彼女の心を打っていく。痛みがあるはずはないが、胸の奥がきりきりと絞られるよう苦しさがある。


「家名に付いた黒い汚れを拭うために、姫が矢面に立たされることになる。これがドリトルン家の当主代理を担うということです。それをよく理解されていますか?」


 ロエルの視線に耐えかねて、アリスは目を伏せた。話は聞いた。戸惑いが大きいが理解もした。あの舅ならそんな魂胆があっておかしくないと納得もいく。


 しかし同時に不快さも浮かんだ。「おわかりですか?」「理解されていますか?」と問いは丁寧だが、そこに幼児に説くような侮りも感じられた。世間知らずでのんきな気性は痛感しているが、彼にそれを見下される理由はない。


「あなたの人生が食い潰されてしまう」


 彼の吐息を感じるほどの近い距離。熱のある言葉だった。なぜ、とも思った。


(どうしろと……)


「ロフィが……、養子の子が遠い寄宿学校に追いやられてしまうのです。まだ四歳なのに……。だから、従ったのです」


 まなじりに涙が浮かんだ。それを見られないように顔を背け、彼の前から足早に去った。レイナに短く断りを告げ、そのまま玄関まで急ぎ足で向かう。




 

 アリスが去り、ロエルは同じ場所で彼女が去った方を見たままだ。


(しまった。またやった)


 気をつけたつもりが、つい気持ちが入り詰問口調になった。彼を前に戸惑いを隠せないでいた彼女の白い顔も浮かぶ。


 いきなり背を向けられるのは二度目だ。自分に完全に非があるとはいえ嫌な気分だった。


「おい、どうしたんだ?」


 ギアー氏が彼へ声をかける。二人で親密に話し合っていたはずが、急にアリスが逃げるように帰って行った……。レイナも気がかりなように彼を見ている。


「また姫のご機嫌を損じてしまった……」


 窓にもたれてロエルはため息を吐いた。怖がらせることはしないと決めていたのに、彼女を前にした自分の自制心のなさが情けなくなる。選んではいけない方へ敢えて進んでいるようなアリスの状況は、彼の目にあまりに危なっかしい。


(だから、つい……)


 思わず片手で目をおおっていた。叶うことなら時間を巻き戻したい。彼女はもう自分に会ってくれないのではないか……。暗澹とした思いが胸に広がった。


「何を話していたんだい?」


「……ああ、当主代理のことで気にかかったから、それを……」


 レイナに促され彼は椅子に掛けた。本当は気を落ち着けるために歩き回っていたかったが、従った。勧められてお茶にも口をつけた。味を感じなかった。


「あの子が当主代理になることで、何か問題が?」


 彼はアリスに伝えたのと同じ内容を手短かに繰り返した。レイナは口元を抑え夫を見た。アリスが今後被りかねない被害に衝撃を受けたようだ。泣き出しそうな顔をしている。


「そんなひどいことってあるかしら……」


「損ばかりでもないよ。それでドリトルン家での待遇が改善されるのなら、アリスにとって受けた方が益がある。社交も控えめにやれば噂も本人には届きにくいだろう。それに、君が側にいれば守ってあげられるじゃないか」


 ギアー氏は妻を宥めるために楽観的な意見を述べた。


「本人の耳に入らなくても、噂は絶対に付きまとう。彼女の出自がドリトルン家に都合よく利用されて穢される。……堪らないじゃないか」


「あの子自身はそう悩まなくても、高家のおじ様のお耳に入ることを気に病みそうね。今までも何も話していないようだから……」


「姫のお父上の方からドリトルン家に申し入れしていただくことはできませんか?」


 以前ロエルはこれと同じことをアリスに詰め寄ったことがあった。しかし父親には事実を伏せておきたい様子だった。娘のために一肌脱ぐぐらい当然に思うロエルには、ためらうアリスが焦ったく理解しにくかった。


「世俗ごとに関わらないのが高家の在り方だから、難しいでしょうね。わたしもその出身だから言うのだけれど、本当に王国の飾りのような存在なの。きらきらして重みもあるようだけれど、見る側もそう思ってくれなくては意味がないわ」


 レイナの言葉は婉曲にだが、アリスの父が何を申し伝えてもドリトルン家には通用しないと言っている。それをアリスも同じく感じていたからこそ、父には何も伝えずにきたのに違いない。


(どうにもならないからこそ、父親を思い黙っていた……)


 彼女の心情にやっと辿り着き、ロエルは自分がいかに自惚れていたかを知った。何か行動を起こせば必ず答えがある。その答えを元にまた行動を……。そんな風に彼はこれまで眼前の問題を次々攻略していった。そしてそれは失敗もあるが大抵が身を結んだ。自分だけでなく誰もが同じだと信じていた。


(そうではない場所もある……)


 いつかレイナが高家を評してこう言っていた。「半分目を閉じて育つようなもの」と。我欲を封じ諦めを美徳として叩き込まれる様は、まさに目を薄く閉じているに近い。


(あの人は慣れているのかもしれない。耐えるとか、堪えることに……)


 しかし、彼の記憶するアリスの面影は可憐だが、儚いようで痛々しい。泣き出しそうなさっきの表情が思い出され、彼の胸の奥がちくんと痛んだ。まるで、つながれた小鳥が羽をむしられていくような残酷さを感じる。その想像に自分で自分を苛んだ。


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