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窓 5


 静かな午後に母屋からメイドが使いにやって来た。


「大旦那様がお茶にお招きでございます」


 珍しい出来事で、アリスは目を瞬かせた。ミントも驚いた顔で主人を見た。夫ディアーの父である舅から声をかけられたことすら記憶に薄い。会うことも稀で離れに暮らすアリスには縁遠い存在だった。


 隠居した身というが今も実権は握ったまま、というのは使用人らもっぱらの話だ。「大事な要件はフーさんはまず大旦那様にお知らせに向かいますもの」とか。一応当主のディアーは蚊帳の外であることも多々あるらしい。


(なぜ?)


 急な招待が訝しい。しかし断る理由もなく招待に応じた。寝室に下がり身なりを整えていると、それを手伝うミントが、


「坊っちゃまの寄宿学校の件ではないでしょうか?」


 と浮かない表情で言う。


「でもあれは立ち消えたのでしょう。あんなにロフィが嫌がればどうしようもないわ。土台、無茶なお話だったのだし」


「そうであればよろしいのですけれど」


 メイドについて母屋に向かう。滅多と入ることがなく五年経っても勝手がわからない。実家の高家とは異なり邸内は装飾がきらびやかだ。招かれたのは庭に面したサロンだった。


 舅は暖炉に近い椅子に掛けていた。アリスはその前に行き深く辞儀をし礼を取った。優美なディアーに似たところはなく厳つい容貌の人物だ。彼女の礼にぞんざいに応じた。


「ロフィの様子はどうか? 機嫌は治ったのか?」


 メイドがお茶の支度を終えると、舅が口を開いた。


「母親のところにすっ飛んで帰って、ずいぶん甘えていたとフーが言っていた」


(ロフィの様子をお知りになりたいのね)


 招待の意図が読めアリスは少しだけ気が楽になる。


「まだ四歳ですから、お話に驚いたのでしょうね。今はもう元気に駆け回っておりますわ」


「どうかね、わしはぜひにも勧めたいのだがね。寄宿学校の第一号生というのは名誉なものらしいからの」


 舅の中ではまだ寄宿学校入学の話は続行している。それに驚きアリスは返事が遅れた。無茶な思いつきだが舅なりの理由もあるはずだ。


「お義父様はどうしてロフィにその寄宿学校をお勧めになるのですか? 学校は他にもありますでしょう?」


「家にいては女どもが子供を甘やかす。寄宿学校の寮に入れば、厳しい監督が指導して鍛錬してくれる。逞しく強い男に育つだろう。甘えた性根もピンと治る」


「ディアー様も寄宿学校に入られたのですか?」


「あいつは十六の歳に入学させたが、半年もたずに逃げ帰ってきた。だから早いに越したことはない」


「ディアー様もロフィの入学に賛成でいらっしゃるのですか?」


「さあな、聞いておらんから知らんな。ろくに会わずにあんたに任せっぱなしなのだから、伝えたところで意見もないだろう」


 頷くことは避けたが、舅の言葉にアリスは深く納得した。彼がロフィーを顧みたことはほぼない。誕生してから離れから要望が増えた。それらを叶えてくれたのは舅の意向をフーが汲んでくれたからだった。


(ディアー様からは何もない)


 ロフィが彼女に強く依存するのは当然に思えた。注いでくれる愛情を自然に求めているだけのこと。父の愛情を期待できないから、彼女もよりロフィに愛情深くいたいと思ってきた。


 それを引き剥がし遠い寄宿舎に追いやるのは残酷過ぎる。ロフィの小さな心はひどく傷つくだろう……。


 それをどう表現すれば舅に納得してもらえるだろうか。アリスは供されたお茶を手に真剣に悩んだ。


 一心に考えるが妙案など浮かばなかった。舅を変心させる魔法の言葉などきっとない。自分にできるのは心からの思いを丁寧に伝えるだけ。結局彼女はそこに落ち着いた。


 舅の目を見て思い切って口を開く。


「わたしは……、賛成できません」


 鋭い視線が彼女をまっすぐに見返した。なぜかそれに怯えは感じない。前に菓子を買う金が足りず、店のおかみに急かされた時の方がよほど怖かった。


「かわいそうだとかまだ小さいのに、などの抗弁は聞きたくない」


「はい。十六歳でもディアー様はお辛かったのでしょう。それで逃げ出したくなるほど…」


「あれは堪え性がないのだ。飯がまずいの勉強が辛いの…、文句ばかりだ。王都の学校に通わせても放校すれすれの成績で、大学に押し込むのにどれだけ金を使ったか。大学に入れば悪友ばかりとつるんで、卒業させるのにまた大金が要った」


 苦々しい口ぶりだ。その経験を踏まえて今回の話が出てきたわけだ。一般的な入学年齢の十六歳では遅いという、舅なりの理屈はあるようだ。


「まだ手習いも不十分な子供が、親元を離れた厳しい環境でやっていかれるでしょうか……。友達もできず、一人小さくなっている姿しか浮かびません」


「そうした中から反骨心が生まれる。目上の者への忠実さも育つのだ。幼いからと甘いだけでは脆弱に流れるだけではないか。フーもそうだった。孤児をわしが引き取ってすぐ寄宿舎に放り込んだ。十歳だった」


 フーの名前が飛び出して、アリスは意外な思いだった。あの彼がそんな幼い頃からこの邸に関わっていたとは。


(十歳で……)


 あの冷たい表情のまま生まれてきたような彼の子供時代は、想像し難い。孤児であったことや寄宿舎での過去なども今の彼を成す要因の一つだろう。

 

(お義父様はロフィにフーのようになってほしいのかしら。だから、早くからの寄宿舎入学を進めるのかも)


 ともかく、舅の意志は固まっている。アリスが何を言ったところでそれを覆すのは難しそうだ。なのに、ここに呼び彼女の意見を聞こうとした。ドリトルン家の中で彼女の存在は名のみのもので、重さもない。決めたのなら、その時期に有無を言わせずロフィをさらって連れ出せばいいだけのことだ。


(どうして?)


 わからない。


「なぜお義父様はわたしの意見を聞いて下さるのですか? 反対を言うとおわかりのはずでしょうに」


「……ディアーの代で金貸しを辞めようと思っておる。随分と我が家は世間の評判が悪いからの。あんたを息子に娶せたのもその準備だ。実母がどうであれ、孫は高家の出の母を持つ。その出自と資産があれば、ロフィの時分にはドリトルンの家も上流に食い込むのも可能だろう」


 その話と彼女の問いがどうつながるのか。アリスは小首を傾げて舅を見た。


 そんな彼女を見て舅は小さく笑った。小動物の仕草でも見るような。その笑みがアリスにはフーによく似て感じられる。


「ディアーを当主から外す。その後にはロフィを座らせる。もちろん子供だから名代が必要だ。それを母親のあんたにやってもらう」


 彼女には舅の言葉がすぐには理解できなかった。健康で若いディアーを差し置いて幼いロフィがその後をつぐというのがのみ込めない。


(わたしにその代理をさせるだなんて)


 それら三つの事項がつながらない。


 驚き過ぎてややぽかんとしたアリスを置いて、舅は愚痴まじりに告げる。


「ディアーめ博打で大損を作りおった。あれを当主のままにしておいたら、金庫にでかい金食い虫を買うのと同じことだ。あれには裏で金貸し業を続けさせる。今も客は多いからすぐに廃業とはいかん。まだ伝えておらんが、責任も消え却って喜ぶのかもしれんな」


「……ロフィの名代はディアー様ではいけないのですか?」


「それでは現状と変わらん。ディアーがロフィの名前で博打の借財を作るだけだ。だからあんたでなくてはならんのだ。人聞きもいい」


「でも、わたしは何もできません……」


「そんなことはいい。あんたのやることは今までと変わりない。ロフィの母親でいることだけだ。それがのめないと言うのなら、ロフィは寄宿学校へ放り込む」


「え」


 舅はまたアリスの驚きを薄く笑った。


 彼女を呼んだのはこの要求を直接伝えるためだ。断ればロフィは彼女の意見など関係なく寄宿学校に入学させられてしまう。


 納得できる話だった。これまでの経緯を考えれば至極当然の成り行きだった。それが逆に彼女を落ち着かせた。舅の意向に従えば、ロフィを辛い目に遭わさずに済む。まだ若いディアーが当主を下ろされるのは気の毒だが、その適正なしと舅が見定めたのなら彼女が口を挟む余地もない。それまでだ。


「ならお義父様のよろしいように。お受けします」


 答えて、アリスはテーブルに並んだ茶菓子に目が行った。母屋の菓子の全てが離れに回ってくるのではなかった。多めに用意した一部に過ぎない。目にしたことのない焼き菓子やフルーツを使ったものもある。


 一つつまめばすぐに頬がほころんだ。


(ロフィにも食べさせてあげたいわ。ミントにも)


 舅は菓子類に興味がないようで、手をつけなかった。


「いただいて帰ってもよろしいですか? ロフィにも食べさせてあげたくて」


「好きにすればいい。外で残り物をもらって帰るのは高家のやり方か? わしらは知らんな」


「実家ではお菓子などありませんでしたわ」


 舅の口調に皮肉を感じたが、それはアリスの頬をなでただけで終わる。テーブルの菓子をナフキンにたっぷり包んで膝に乗せた。


 サロンにフーが現れた。アリスを認め目だけで辞儀をする。それを潮に彼女は立ち上がった。舅に辞去を告げ部屋を出る。腕にナフキンの包みがあるだけで心が弾んだ。


 玄関へ向かう途中、甘い香りが漂った。ちょうど階上から夫ディアーの愛人ブルーベルが降りてくるところだった。香りはその香水が匂ったのだった。


「ちょっと、あなた」


 素早くブルーベルはアリスに駆け寄って来る。そんな仕草はあだ名通り子リスを思わせる敏捷さだ。


「義父様と何を話していたの?」


 彼女は夫の愛人だから舅を「義父様」と呼ぶのはおかしい。しかし実質邸の女主人であるのだから、周囲も本人も違和感がないのかもしれない。


「ロフィの学校のことを……」


 舅がまだ発表していない以上、ディアーが当主の座から降ろされる話はできない。それで話が逸れると思った。


 しかしブルーベルはロフィについて何も問わず、更に食い下がった。


「義父様から呼び出しなさったのですって? 離れのあなたに一体何のご用があるのかしら……。変ね。何かねだったのじゃなくって?」


「いいえ。お菓子をいただいて帰るだけですわ」


「ふうん。……それ、今後は厨房に言いなさいね。同情を引くような真似はみっともないものよ」


 言葉の意図が読めず、アリスは小首を傾げた。


「……もうよろしいですか?」


 離れに帰ってロフィに読み聞かせをしてやる約束がある。


「どうぞ」


 ブルーベルに辞儀をし母屋を出た。


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