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窓 3


 某家での室内楽の催しのことだ。音楽の狭間の休憩に人々が歓談している。レイナは夫のギアー氏と共に出席していたが、夫は知人と話し込んでいた。


 一人二人知った人々と話し、供されたお茶を手に取った。口に運ぶ前に呼び声に気づいて振り返った。そこにはこんな社交の場に珍しいロエルの姿があった。彼女に辞儀をする。レイナも笑顔でそれに応じた。


「嬉しい驚きだわ。あなたにここでお会いできるだなんて。お珍しいのではない?」


「母宛に招待が届いていたので、代理ですよ」


 それにしたって彼には珍しい。


(どういう風の吹き回しかしら?)


 二人はちょっとした近況をやりとりしたが、すぐ尽きた。先週夫が晩餐に招き会ったばかりなのだ。


 レイナはお茶を飲みながらひっそりとロエルをうかがう。落ち着かないような様子が目についた。この会には招待をもらった彼の母から送り込まれたのかもしれない。両親に結婚を急かされているという話は既に聞いていた。


(社交は花嫁探しのまず第一歩だもの。今日は若い令嬢も多いし……)


 社交に遠い彼が出席する理由もそれで納得がいく。母親思いのロエルがその母から嘆願されれば逃げにくいのではないか。


 こんな場に珍しい彼の姿をちらちらと令嬢らが意識しているのも、レイナには見て取れた。


「侯爵家のお嬢さんが歌われたのをお聞きになって? きれいな歌声だったわ」


「そうですね。途中から聞きましたが、とても上手でした」


「ほらあちらにいらっしゃるわ。せっかくだからご紹介しましょう。わたし、お母様の方とは仲がいいの」


 促すが、ロエルはぎごちなく笑い首を振った。


 夫から彼が素人でない女性とはつき合いがあると聞いていた。であるのに、女性に照れた様子が似つかわしくない。


(容姿がお好みじゃないのかしら? それなら、あの金髪のお嬢さんは……)


 レイナが室内の令嬢たちに目を流していると、ロエルのが小さく咳払いをした。


「ご紹介はいいのです。そんなつもりで来たのでは……」


「まあ、じゃあ何が目的?」


「あなたにご相談があって……。お邸に伺ったらこちらだと教えられました」


 深刻そうに目を伏せる彼にレイナは驚く。親友の夫ではなく自分を目指して相談とは何だろう。見当もつかないが、サロンから続く温室に彼を誘った。夜は少し冷えるため今は誰もいない。


 長椅子に並んで掛けた。背後には賑やかな談笑の声が流れてくる。


 周囲に飾られた花の香りを吸い込んで、レイナが言った。


「何かお悩みのご様子ね。怖いお話でないと良いのだけれど……」


 女性を怯えさせる類ではないという意味か、彼は小さく苦笑した。


「……僕のことで何か、お聞きなっていませんか?」


「あなたのこと? 主人は何も……」


「いえ、ギアー氏ではなく、その……たとえば手紙で……」


 夫の交際範囲がレイナの社交の中心で、主に女性間で手紙でのやり取りも頻繁だ。その中にロエルを噂したものなどなかった。女性関係の醜聞に心当たりでもあるのだろうか。


(おつき合いの女性との別れ話で揉めて、厄介な事態になったとか……)


 夫でなく自分に尋ねるのだから、それくらいしか浮かばない。


「いえ、あなたのお名前がお手紙に上がったことはないと思うわ。少なくとも最近では見ないわ」


「そうですか……」


「あのね、ロエル、わたしは世間も狭くてお役に立てるかわからないけれど、お力になれるのならならせてほしいわ」


 レイナの思考はロエルの醜聞方面に偏ってしまった。社交界は暇人が多く、噂には皆が飛びつきがちだ。真偽はともかく。


(これから花嫁候補を探すというときに、困った醜聞が持ち上がったら大変だわ。尾鰭をつけて広まりかねないもの)


 たとえば彼の人柄を保証する一筆が欲しいのなら、名を出しどれだけも書こうと思った。


「あなたにもお知らせしないとは、奥ゆかしい方だな、本当に……。実はアリス姫をご不快にさせてしまって……」


「アリス?」


 ロエルは唇を噛んでから頷いた。彼が説明した事の顛末にレイナはしばらく言葉を発せられないでいた。


「そんなご様子は、さすがに似ていらっしゃるな。あなたにまで嫌な思いをおさせしないといいが……」


 事情を聞いた後、たっぷりと間をとってからレイナは唇を開く。


「どうしてそんなことをなさったの? 外野からどうのできる問題ではないと思うわ」


 既にアリスはドリトルン家に嫁いだ身だ。若妻としての処遇に諸々の不満はあるが、本人は納得している。手紙から受け取る感じでも決して不幸ではない。養子のロフィという子供とも上手くやっているようだった。


 当初レイナ自身も気を揉んだが、どうしようもない現状に黙らざるを得なかった。何が出来るでもない。しかし、自分に叶う手助けは惜しまないと、そればかりは常々に伝え続けている。


 ロエルがアリスの境遇を不憫に感じたのはわかる。以前もドリトルン家の内情を彼から問われたことがあった。レイナが答えた内容に彼も納得していたようだったのに。


「さあ……、ついうっかり要らぬおせっかいを焼いてしまった。お父上のことまで口幅ったく……。自分が恥ずかしいです」


「アリスはのんびりとした子だから、もう気にしていないと思うわ。どんなに世知に疎くても、あなたがご親切でされたことなのはわかるはずよ。そうよね、高家のおじ様は世間からしたら浮世離れして見えるわね。分家のうちの父だってそうだわ。お金に関わることは汚いという思想があるの。それがなくて困って、色々売ったりしているのにね」


「図々しいが、お願いがあるのです。僕の詫び状をあなたの手紙に同封させていただけませんか?」


 ロエルはそう言い、上着の内側から手紙を取り出した。


(まあ準備がよろしいこと)


 手紙を受け取りながら内心おかしかった。預かり物を手に提げた小さなバッグにしまう。


 相談事が済み二人はサロンに戻った。夫と合流し歓談しつつ、レイナにはロエルの振る舞いが少し腑に落ちなかった。


 その場にいるアリスに手を貸すというのは、紳士らしい行いで奇妙ではない。しかし、今回は敢えて彼女を外に連れ出している。レイナの親族女性という関係性のみでのことで。


(変化のない暮らしをしているあの子を連れ出して下さるのは、とってもありがたいのだけれど……)


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