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窓 1


 動物園前は人々で賑わっていた。動物園ばかりでなく、その周囲にぐるりと展開した屋台を目当ての客も多い。


 馬車溜まりで車を降りた。馬車を乗り降りする人々に紛れ通りへ出た。ロエルはすぐに角に立っていた。彼女の姿を見つけると帽子に手をやりつつ駆けてきた。


「来て下さるとは……。待ちぼうけを覚悟していたんです」


 驚きの混じった笑顔を見せた。


 そこで初めてアリスは自分の衝動を振り返り、恥ずかしくなった。しかし、相手はレイナも親しいロエルであるし、何より美味しい菓子を紹介してもらうためにやって来た。責められる行為ではないはず。


「離れないで下さい」


 その言葉通り、彼の側について歩く。一見して上流そうな人物もいれば庶民風な人々も混じる。銘々が好みの菓子を買い、それを口に頬張るなどし楽しんでいる。それらを見るだけでアリスの胸は高鳴った。


 少女が綿をつけた棒を口に入れている。思わず目が吸いついた。アリスの様子にロエルが足を止めた。


「どうです? お上がりになりますか?」


 彼女の返事を待たずに彼は店から綿あめを買い、アリスに差し出した。礼を言い受け取ったそれをそっと唇に触れさせた。温かなあめがじゅわっと溶けていく。


(甘くて美味しい)


 ロエルは彼女が目に留めたものを次々に買い与えてくれた。糖蜜をかけた揚げ菓子やふわふわの蒸しパン、キャラメルがけのローストナッツ……。さすがに多く、一つつまんで食べ切れないものは持って帰ろうと袋を閉じた。


(でも、これ美味しい)


 最後のつもりで閉じた袋から揚げ菓子を出し頬張った。


「気に入っていただけたようで良かった。僕も一つ母への土産に買いましょう」


 自分の注ぐ視線を感じ、頬をふくらませたままロエルを見上げる。目が合い、しばし留まった。先に外したのは彼の方だった。


「こんな場所があるなんて、知りませんでした。楽しいところですね」


「こんな場なら他にも幾つもありますよ。姫は行ってみたいと思われますか? よろしければ、次の機会にご案内しましょう」


「ご親切にありがとうございます。……あの、レイナがあなたにそのように?」


 手紙でもレイナはアリスの自由のない暮らしぶりを嘆いていた。それで親しいロエルに彼女を連れ出してくれるように頼んだのかもしれない。そう考えれば彼の行動に納得がいく。


「いえ、レイナ夫人は何も。僕が勝手にすることです」


「どうして?」


 彼女が見るロエルはやや返事に窮しているようだった。軽く咳払いしてから、


「ご迷惑でしょうか?」


 と質問で返した。


「いいえ。とても楽しいですわ」


「なら僕も楽しい。それだけですよ」


 いつしか動物園の裏手まで来ていた。ロエルがさりげなく彼女を促し、二人は来た道へ踵を返した。


「あなたのお父上はご療養中とうかがっていましたが、もうお加減もよろしいようですね。大学にも通われていらっしゃる」


「ええ、それが父の張りになるのでしょう。お仕事を再開してからの方が体調も良いのだと、執事も申しておりますわ」


「お邸を出られた姫もご安心でしょう」


「娘としてありがたいです」


「……あなたのお暮らしのことはお父上はご存知なのですか? ドリトルン家でのお立場のことです」


 アリスは返事をせず彼を見た。問いの意味がわからなかった。隣を歩くロエルのきれいな横顔をぼんやりと見上げた。


「どうなのです?」


「さあ……」


「さあって、どういう意味です?」


 視線を下げた彼女に代わり、ロエルが彼女を見つめる。その視線を感じながらアリスは戸惑っていた。父には自身の境遇は伏せ続けている。知る周囲にもそれを頼んでいた。理由は父が不快な思いをしないためだ。


(お父様はわたしが何不自由なく暮らしていると信じている)


 その幻想を砕く理由が彼女にはない。


「厳しい所ですけれど、それがドリトルン家のやり方だと聞いています。……十分なことはしてもらっていますから、何も……」


「異常に思いますよ、あの家のやりようは。あなただけがご実家の犠牲になられているのではないのですか?」


 ロエルの言葉は彼女の頬をぱちんと打つようだった。彼女の周囲の誰もがドリトルン家を悪く言う。結婚までの経緯からその後の彼女への扱いまで、それらはほぼ真実で正しい。しかし、それが高家にどう益したかを口にする者はいない。


(フーは言っていたわ。初めからわたしが「売られた」のだと)


 十五歳だった。まだ幼さを残しながら嫁いだ彼女には夫になる人への夢があった。数ヶ月でそれらは無惨に散らされていく。そこからは静かな観念の日々だ。


 ロエルの言葉はそれを今更彼女に突きつける行為だった。


 なぜこんなことを聞くのか彼女は少し苛立っていた。ごく私的な内情に触れるものだった。


「それでいけないのですか? 家には家の在り方がありますもの。わたしの出自ではそれほどおかしなお話でもないように思います」


「いい悪いの問題ではありませんよ。あなたが幸福かどうかでしょう。以前、僕がお聞きした時を覚えていらっしゃるかどうか……。あなたはそれにお答えになれなかった」


 アリスは彼からの問いを覚えていた。それに返事をできず、彼の前から立ち去ったことも。


「お父上にお知らせし、正式にドリトルン家に申し入れを行っていただくのがいい。そうしてあなたへの待遇を善処させるのです」


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