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繰り返す日々に 5


 そこに女性の悲鳴が聞こえた。続いて駆けて来る足音が近い。ロエルの目の前を男が走って行く。強盗のように思われた。


「泥棒! 誰か、捕まえて!」


 彼は男を追って走り出した。全速力で距離を詰め背後から組み伏せた。暴れる男を力で押さえつける。そこへ女性が走ってきた。悲鳴を上げた当人らしい。


「鞄を切って、お金を盗んで行ったの」


「知らねえよ。あばずれが! お前こそどこかで盗んだんだろうが」


 ロエルが女性を見ると手に血の色が見えた。大事に抑えていた鞄の蓋をその手ごと男は切り裂いて行ったようだった。男のポケットを探れば紙包が現れた。女性にかざす。


「それです」


 周囲を見渡し、見覚えのある少年を見つけた。声をかけ、近くの巡回士を呼んできてくれと頼んだ。巡回士は街を見回り犯罪者の逮捕の権限を持つ。


 巡回士が来ると知って押さえた男が暴れ出した。ロエルは腕を取って更に強く押さえ込んだ。男の呻き声が上がる。もう少し力を入れれば、関節が外れるだろう。その手前で止めておく。山々を歩き回る彼は無頼な者とも渡り合うこともままある。そのため腕に自信はあった。そうでなければ今の仕事は務まりもしない。


 巡回士が現れて男の身柄は任せた。金を取り返した女性は何度も頭を下げた。頭巾をした質素な身なりだ。


「旦那が寝込んでいて、わたしが代わりに集金に出たんです。これを盗られたら月が越せないところでした」


 女性は血の滴る手をそのままに、泣き笑いの表情を浮かべるている。金が無事だったことこそ大事で、切られた痛みなど感じないかのようだ。目にしてロエルは胸が痛んだ。


 ハンカチを差し出し傷に当てるといいと勧めた。夜も遅い。この先また金を持った女性を狙う者が現れないとも限らない。固辞するのを押して家まで送った。幼い子供が飛び出して母親を出迎えるのを見て、彼は踵を返した。


 王都は治安がいいが大通りを外れた路地裏では強盗もある。男はまだ狙われにくいが先ほどのような女性はいいターゲットだろう。屈強な男が弱い女性から奪うところが実に卑怯で腹立たしい。相手は決して豊かではないのにだ。


 彼はいつも人助けをするのではない。自分でなくていい場合は見逃すことも多い。それほど正義感が強いと自負しているのでもなかった。ただ目下の者に弱いのは自覚している。それも特に女性だ。立場の弱い女性が虐げられているのを許せなく思う。


 そんな彼の性分はおそらく母に起因している。身分違いで父と結婚した母はそのことによる心労が多かったと聞く。彼自身が幼年学校時代に母の出自を理由に陰湿ないじめを受けたこともあった。相手数人の歯を折るまで殴ってやり返し、別の意味で母を泣かせたこともある。


 両親間は非常に仲が良く温かな家庭だが、母は遠慮があり表立った社交から遠ざかっている。


(母上が肩身を狭くされる理由など何もない)


 そういう感情が目の前の困った女性に投影されるのかもしれない。それによって義侠心を刺激されるのではないか。


 歩を進めながら、ふとアリスのことが思い出された。


(なぜ?)


 と不思議だったが、先ほど彼が救った女性からの連想なのかもしれない。彼女だって立場の弱い女性には違いがない。高家の出で決して目下ではないが。


 実家の暮らしのために嫁ぎ、そこで婚家に侮られた生活を送っていると聞く。レイナから聞いたことは驚くことばかりだった。それらの話に五年ぶりに再会した彼女の印象がぴたりと沿う。


(幸せかと聞いた問いに、答えがないのも当然だ)


 少ない自由に安い菓子を買って喜んでいた。それで彼女はいいのかもしれない。限られた日常の中で溢れないほどほどの喜びだ。それを楽しんでいる。そんな姫がいたのかと、境遇をおいたわしいと感じた。


「アリスにとって今の環境は決して悪くはないの……」。


 いつかのレイナの言葉だった。


(悪くはないだろう。不幸でもないかもしれない)


 けれども、そこに昼下がりの友人の言葉が被さって響く。


「姫が金満家に嫁がれて、お暮らし向きも変わったらしい。美麗な馬車で大学に通われるようになったのもその現れだな。かなりのお仕度金が婚家から支払われたそうだから」。


 彼女が婚家のドリトルン家で肩を小さくして暮らす代価で、その父が手足を伸ばして暮らしている……。歪な構図が胸をもやもやとさせた。


 自分には関係のないことだと思う。おせっかいだとわかってもいる。アリスの口から「辛い」などと訴えられたのでもない。


(ただ、僕が嫌なんだ)


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