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繰り返す日々に 3


 帰宅後、手袋を脱ぐレイナに執事が伝えた。


「アレクジア様がお越しでございます。旦那様と書斎にいらっしゃいます」


「あらそう、ご挨拶に伺うわ」


 レイナは髪を整えてから夫たちのいる書斎に向かった。二人は話し合っていたが、彼女が現れると立ち上がって迎えた。


「こちらにはお久しぶりね。いつ王都にお帰りになったの?」


「先週です」


 そう答えたロエルはいたって身ぎれいな紳士の姿をしている。数年前とは異なり、埃まみれの汚れたなりでレイナの前に現れることはなくなった。だが、希少石や金銀の鉱脈を調査するのが彼の仕事で、現地では自ら穴に入り泥だらけになるのも厭わないという。


 レイナの知る中では一番のハンサムだ。


(しかも独身の)


 彼女の夫の親友で、地方から帰れば必ずこの邸に挨拶に顔を出した。レイナもロエルとは親しい。彼は公爵家の一人っ子で両親の愛情を一身に受けて育った貴公子だった。驕ったところのないさっぱりとした性格で、何かと噂の多い社交界でも悪評を聞かない。


 以前レイナがそれを褒めると、


「僕は社交に真面目じゃないから、皆に忘れられているだけですよ」


 と返したことがあった。

 

 確かに、招待は受けても派手な催しに出席したとは聞かない。貴族の花嫁探しには社交以外はないから不思議で、夫のギアー氏に尋ねたことがある。それには、


「母上のことを気にかけているのだろう。嫌な目におあわせするのじゃないかと……」


 と歯切れの悪い返答だった。夫の濁した言葉にレイナも遠慮しそれ以上は問わなかった。のち、人伝えにその事情を知ることになった。ロエルの母の公爵夫人は使用人の出身だという。


「元家庭教師だそうよ。ごく貧しい家の出の。それを公爵様がお見そめになって奥様になさったとか……。とてもおきれいな方らしいから、殿方を籠絡する才能はしっかりお持ちだったようね」


 相槌の打てない嫌らしい内容で、レイナは胸が悪くなったのをよく覚えている。ともかく、そんな母親への陰口の存在がある社交には、ロエルの足も向かないはずだ。自身の存在から人々の母への侮蔑は引き出されてくるだろうから。


 ロエルはギアー夫妻の勧めに従い晩餐にも残った。気の置けない間柄で会話は尽きない。屈託なく笑う彼の寛いだ様子を見て、レイナも嬉しくなる。五年前の彼の鉱脈の発見によって、アレクゼイ公爵家の危機的な経済状況は完全に窮地を脱した。


 彼が自らの足を使って領地を調査し、実現させた大成功だ。大学を休学し領地の山を歩き続けた。その後復学し、更に鉱山開発を研究した。その知識と技能を使って卒業後も鉱脈の調査を仕事としている。国からの依頼も手がけるというから、旅も多く忙しいようだった。


「お母様もご安心でしょう? あなたが公爵邸にいらっしゃるのは」


「今回も泥まみれで帰ってきて、母はあきれていました。せめて汚れを落としてから王都に入ればいいのにって」


「お仕事のお帰りくらい馬車でのんびりなさればいいのに。少ない供人と長駆してお帰りなんて」


「ロエルがそうするのは時間を稼ぐためだけではないよ。汚いなりをしていれば誰も襲わないかららしいよ。合理的なんだそうだ。まあ君を襲う愚かな盗賊もいないだろうがね」


「退屈しのぎに襲ってきてほしいよ」


 剣の腕に相当自信もあり、ギアー氏に応じて薄く笑った。


「冗談でもそんなことをおっしゃらないで」


 才能を活かしロエルが充実した生活を送るのはレイナも知る。しかし、それと家庭を持つことはちゃんと両立すると思う。それを公爵夫妻も望んでいるのは事実だった。


 晩餐の後だ。先にサロンへ引き取ったレイナの元に、ロエルがやって来た。聞きたい事があるといいう。


「何かしら?」


 彼女を前に彼はためらう様子を見せた。黙ったまま暖炉の前を二往復した。レイナがお茶のためベルを振ろうと卓上に手を伸ばした時、彼が言った。


「ドリトルン家のことを何かご存知ですか?」


 ベルに触れかかった指が止まった。意外な質問に驚いてロエルを見る。ドリトルン家は金貸しとして一部で有名だった。彼の公爵家も経済難の時期、高利で借金をしていたと聞く。しかし、それも返済がとうに済んだはずだ。


 ドリトルン家は家業以外ではレイナもやや関わりがある。はとこのアリスが当主に嫁いでた。仲がよく手紙のやり取りは頻繁だった。


 その内容は互いの近況や生活のこと……。他愛のないものばかりでドリトルン家の内情はあまり書かれていない。アリスの結婚の事実を知った当初は義憤や心配や勝り、何とかできないものか、自分なりの助言を書き記したことも多々あった。


 二人ともが同じように経済的な事情で裕福な男性の元に嫁いだ。運よくレイナは夫となったギアー氏が誠実で愛情深い人物であったため、至極幸福な生活を手に入れられた。片やアリスは名ばかりの妻で、自由を縛られ本邸に住まうことも許されずにいる。更に愛人の生んだ子を育てることまで強いられているのだから、その不遇さは信じがたい。


 アリスへの過去のおせっかいは彼女への申し訳なさも大きいのだろう、と振り返ることもある。


(運、だけでわたしは幸せを手に入れている)


 そのほんのちょっとの運命の匙加減。自分にあって、アリスになかったその差が罪悪感の種だろう。自分にできることなど何もないことも悟った。おせっかいは萎むように手紙から消えていく。それと一緒に彼女へ持つ申し訳なさすら勘違いだとも気づいた。


 姉のような位置で近況を絶やさず伝え合う。笑顔の種になる贈り物をする……。五年の間にすっかりそんなところに落ち着いた。


「先日、アリス姫をお見かけしました。あなたのご親族でいらっしゃるのでしたね」


 ロエルが言い出したのは、やはりアリスのことだった。けれども意外さは消えない。実家訪問の帰りのことだという。


「手紙のやり取りはしょっちゅうだけれど、会うことは稀なの。以前は二年も前だった……。出かけていいのは実家のみらしいわ。それも月に一度ほど。婚家が厳しいのは嫁いだ身には辛いものね」


 おせっかいはあきらめたはずが、レイナの言葉には若干の恨みがこもる。お茶のためにベルを振った。


「なぜそんな……?」


 ロエルの問いに答え終わるより早くお茶がそろった。注いだそれを彼へ差し出しながら、レイナは言葉を選んだ。


(どうしたって、ドリトルン家に悪くにしか言えないわ)


「ドリトルン家に都合の悪い事柄は隠しておきたいのでしょうね。彼女の外出を許せば、何かしら事情を知る人が現れるでしょうし」


 アリスの手紙から遠回しに書かれた事柄を拾い、レイナなりに考えたものだ。当主で夫のディアーはそれほど影響力もないようだ。その側近のフーという男性が邸内の実力者であるらしい。レイナも一度だけ会ったが、不遜で図々しい態度には言葉もなかった。


「世間知らずなあの子をそのままにしておきたいのだと思うの。何も知らなければ、他と比べて不満も生まれないから。わたしも含め高家の女は、半分目を閉ざされて育つようなものなの」


 レイナの生家も困窮していた。それに耐えるのが美徳だと周囲に強いられてきた。誇り高さしか残されたものがないと、いよいよ矜持ばかりを磨かされる。


「生活に不足はなく、宗家のおじ様にも十分お手当を下さるらしいわ。アリスにとって今の環境は決して悪くはないの……。あの子、あなたに何か言って?」


「いえ」


 ロエルは首を振る。


 そこでアリスの話は途絶えた。夫のギアー氏も現れ、三人での会話が始まった。


 ロエルのアリス絡みの問いは、彼のちょっとした好奇心だったのだろう。見知った女性に数年ぶりに出会い言葉を交わせば、共通の友人に話したくなるもの。それ以上の熱意を彼女は感じなかった。


 彼の妻となる人には興味があるが、本人からはその気配も感じられない。夫が仄めかすには、気晴らしに交際する楽な身分の女性もあるらしい。「実にいいやつだ。決して放蕩者ではないが気ままな貴公子だよ」とは夫の弁だ。


 レイナは今夜のことをアリスへの次の手紙に書こうと思った。


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