約束を果たした騎士団長は魔女を溺愛することに決めた。
「ティファナッ!!」
そうして、雨の降りしきる森を駆け抜け、ラファエルは再び魔女のもとを訪れた。
「……う」
「ティファナ!」
ティファナはまだ生きていた。
が、腹部からは大量の血が流れていた。
「くそっ」
顔色も悪く、呼吸も浅く速かった。
「……ああ。良かった。
また、会えた……」
ラファエルの顔を見たティファナは、青い顔をしながらも実に嬉しそうに微笑んだ。
「ああ。戻ってきた。
全部終わらせて戻ってきた」
ラファエルはティファナの手を強く握る。
「……ふふ。さすがは、私が見込んだ、男、ね……」
しかし、ティファナにはラファエルのその手を握り返す力もなかった。
「ティファナ。約束通り戻ってきた。
迎えに来た。
君は俺の妻になるんだ」
「ふふ。なによ、その、プロポーズ」
唐突な申し出にティファナは思わず笑う。
「でも、ごめんね。それは、無理かも……」
「おいっ!」
ティファナは目をそらし、悲しげに笑う。
「さっきから、血と魔力が止まらない。
魔女は、不老だけど、不死、じゃない……まして、レプリカとはいえ……聖剣。
これは……たぶん、死ぬわ……」
「駄目だ!」
ラファエルは握ったティファナの手にすがるように額をつける。
「君を愛してる。
誰よりも、何よりも。
君には助けてもらってばかりだ。
王にだって、君の力がなければ負けていた。
だから今度は俺が君を助けるんだ。
俺が、君を幸せにするんだ!」
「……眩しい、わね」
ティファナには、聖剣よりもラファエルの方が眩しく輝いて見えた。
「そんなに想ってもらえて、私はもう、十分幸せよ」
「違うっ!
これからだっ!
これから幸せになるんだ! 俺が、幸せにするんだ!
君を幸せにすることが、俺の幸せなんだよ!」
「……ズルい。そんなこと言われたら、すがりたくなっちゃうじゃない……」
「すがればいい!
くそっ! 何か、何か手はないのか!」
それは神への祈りのようだった。
その祈りが届いたからなのか、ティファナがそれの存在に気が付く。
「……何か……アナタの、懐に、魔力が……」
「!?」
ラファエルは思い出す。
本当に必要な時以外は決して使うまいと、でも肌身離さず持っていようと、服を換えても懐に入れ続け、戦闘中でもその瓶を割るまいと動いていたソレのことを。
むしろ、なぜ今ここでそのことを忘れていたのかと自責の念すら感じていた。
それほどに、ラファエルは動揺していたのだ。
そした、ラファエルは懐から青白い透明な液体が入った、小さな透明な瓶を取り出した。
「……魔法回復薬、使わなかったのね」
「君のおかげでな」
「ふふ」
ティファナのサポートのおかげでラファエルはそれが必要なほど致命的な怪我をすることがなかった。
だから今、ここにこの魔法回復薬があるのだ。
「さすがは、私ね」
「自分で言うなよ」
ラファエルは瓶の蓋を開ける。
ティファナを支えながら起こし、薬を飲ませようとする。
「ごほっごほっ!」
「大丈夫かっ!?」
しかし、むせてしまって自力では飲むことができないようだった。
「……よし。飲ませてやる」
ラファエルはそう言うと、薬の瓶を自分の口元に持っていった。
「ま、待って!」
「ん?」
それを見たティファナが慌てた様子でラファエルを止めた。
「そ、そ、そ、それって、ア、ア、ア、アナタが、口に含んで、私に、の、飲ませる、的な?」
「……そうだが?」
「ムリ!」
「……傷付くんだが」
「あ、ちがっ! イヤじゃない。イヤじゃない、けど、なんか、だって……初めて、なんだもん」
「この非常時に何を言っている。
これは救命措置だ。勘定に入れなくていい」
「そ、そうだけどさ」
ティファナは傷の痛みなど忘れてしまったかのように、真っ赤な顔をして唇を尖らせていた。
「……お前、俺が気付いてないとでも思ったのか?」
「へ?」
観念しないティファナを見て、ラファエルは切り札を切ることにした。
「俺が森で倒れたとき、どうやって俺に魔法回復薬を飲ませた?」
「うげっ!?」
「こうやって、口移ししてくれたんだろ?」
ラファエルは顔をぐいっとティファナに近付けた。
「……へい」
「なんだよ、その返事は」
しぶしぶ頷くティファナにラファエルは吹き出す。
「あ、あれは救命措置でっ! ……あ」
「なら、これもオッケーだな」
墓穴を掘ったティファナにラファエルはニヤリと笑う。
二人の顔は鼻と鼻がくっつきそうなほど近くにあった。
「で、で、でも……」
「もう黙れ」
「ふむっ!?」
グズるティファナを黙らせるように、ラファエルはティファナの唇にキスをした。
「……ほへ?」
「これで、初めてじゃないだろ?」
惚けているティファナをしり目に、ラファエルは魔法回復薬を口に含んだ。
「ズル……んっ」
そうして、ラファエルは今度こそティファナに魔法回復薬を飲ませたのだった。
「……ん」
こくりと、ティファナの喉が動く。
すると、たちまちティファナの腹の傷がふさがり、顔にも生気が戻っていった。
「……む?」
「……」
「む! むー! むー!」
もう魔法回復薬は飲み終わったというのに、しかしラファエルは唇を離してくれなかった。
「……んん……ん……」
やがて、ティファナが身も心も蕩けてしまいそうだと思った頃、
「ぷはっ!」
ラファエルはようやくティファナの唇から離れた。
「長いっ!」
ティファナは真っ赤な顔してプンプンと頬を膨らませて怒った。
「……悪い。離れたくなかった」
「っ!?」
しかし、同じように真っ赤な顔をしたラファエルを見て、ティファナはさらに顔が熱くなるのを感じた。
「……体は?」
「ん。大丈夫。傷も治ったし魔力も戻った」
「そうか」
ラファエルは心底安心していた。
そして、それと同時に二度とこの手を離さないと強く心に誓った。
「……それに」
「ん?」
ティファナが上を見上げたのにつられて、ラファエルも上を見上げる。
「……雨が」
いつの間にか、森に降るやまない雨がやんでいたのだ。
「呪いが消えたから、神の恩寵が正しい形に戻ったんだわ。
力はそのままだけど、もう呪いを受けることはない。
魔女は真の世界の守護者になれたのよ」
「……そうか。
なら、安心して森から出られるな」
「へ?」
きょとんとした顔のティファナにラファエルもきょとんとした顔で返す。
「俺の屋敷に来るんだろ?
俺の妻になるんだから」
「あ……そっか」
「おいおい、大丈夫か」
「や、なんか実感なくてさ。
雨のない空を見るのも、森から出るのも、久しぶりすぎて」
ティファナは頭に手を当てて、ハハハと笑った。
「……」
「わぷっ」
ラファエルはそんなティファナの頭をぽんぽんすると、そこにあったティファナの手を掴んだ。
「この手を決して離さないと誓おう。
俺の全てをかけて、君を幸せにしてみせる……ん?」
そこで、傍らに置いてあった聖剣ソクラウスから一筋の光が放たれた。
二人の頭上に放たれた光は枝に咲いていた花を手折り、ラファエルの手元にひらりと花を落とさせた。
「ふっ」
ラファエルは聖剣の粋な演出にのることにした。
紫色のその花をティファナに差し出す。
「花束じゃなくてすまないが、これを君に。
そうだな。毎年、同じ花を贈ろう。
いつか、立派な花束ができるまで」
「……」
ティファナはその花を受け取ると、潤んだ目でラファエルを見上げた。
「……立派な花束ができても、でしょ?」
「!」
「私の方だって、もう離してあげないんだから」
「っ!?」
そうして、今度はティファナの方からラファエルにキスをしたのだった。
雨上がりの虹がかかる空に馬の鳴き声が響き、聖剣の光が二人を照らした。
その後。
「……ファ、ファティマ?」
「ティ、ティファナ姉さん、なの? 本当に?」
「ファティマ!!」
「姉さんっ!!」
かつて山賊にさらわれて売られたティファナの妹が実はラファエルの家のメイド長であるファティマであることが判明し、二人は感動の再会を果たす。
「そういえば、親父は酷い目に遭わされてしまう奴隷になりそうな子供を買って、よくメイドにしていたな」
「ええ、ええ。旦那様のおかげで、ファティマは大変よくしていただきました」
「そのファティマのおかげで、俺はここまでやってこれたと言っても過言ではないな」
「そう、だったのね」
因果は巡る。
何か一つでも歯車が合わなければこの結果にはならなかった。
悲劇でも、そうでなくても。
「……」
ラファエルはそれこそが人生なのだと感じていた。
「さ。ぼっちゃ……いえ、旦那様。奥様。
そろそろ参りましょう」
「……ああ」
「そうね」
感動の再会が終われば、仕事の上では自分はメイド。
その分別を分けた矜持に二人は従うことにした。
そうして二人は扉を開けた。
そこには操られていた騎士や大臣たちの姿があった。
ラファエルたちは城にいるのだ。
「さあ。皆がお待ちですよ」
「ああ」
かつての部下であった騎士に誘導され、ラファエルは歩いていく。
「……おいで」
「ん」
そして、ティファナは差し出された手を掴み、ともに歩き出す。
二人は、太陽が光り輝く空間へと出ていった。
わーわー!
英雄王だー!
王さま~!
王妃様、なんてお綺麗なの!
二人を迎えたのは万雷の拍手と歓声。
聖王国の国民の全てが城の前に集まっていた。
新たな王のお披露目の場に。
「……俺が王か。
実感が湧かないな」
「あら。案外似合ってるわよ」
国民の呪いが解けたとき、彼らはそれがラファエルによるものだと知った。
それが聖剣ソクラウスによる浄化の光であったから。
自分たちが信じていたものが消えてしまい、民は新たな導を求めた。
そうして、自然とラファエルを次なる王へと推す声が上がっていったのだ。
表向きには反対する者はいなかった。
国民の大半が、ラファエルを次の王へ、と声をあげたから。
ラファエルは渋ったが、
「あなたが道を誤ったら私がぶん殴ってあげるから安心しなさい」
ティファナに自信満々にそう言われ、王座につくことを決めた。
「……まだ、終わりじゃないんだよな?」
民に笑顔で手を振りながら、ラファエルは隣に立つティファナに話す。
「ええ。呪いはなくなったけど、それによって魔女もまた自由になった。
魔女は七色。全部で七人。
良い魔女もいれば、そうでない魔女もいるわ。
人間に強い恨みを持つ者もいる。
私たちはこれから、他の魔女に世界の守護者として協力していってくれないかと打診しに行かないといけない。
そして、世界を滅ぼそうとする、まつろわぬ魔女がいた場合、それを倒さなければならない。
それが、守護者としての役割でもあるから」
「それにそれは、人類を守るためにも必要なことだ。
だから俺と君の、二人の使命というわけだ」
「そーゆーことね」
深刻な話題だが、ティファナは至って気楽だった。
「ま、心配ないわよ。
私は魔女で一番強いし、あなたは聖剣に選ばれた英雄王。
万が一戦いになっても負けることはないわ」
「……そうならないことが一番だけどな」
「まーねー」
「……俺は、君に傷付いてほしくないからな」
「あら。心配してくれるの?」
「もちろんだ。
俺はもう二度と、君に悲しい思いはさせない」
「……あなた」
「俺は君の笑った顔と、真っ赤な顔と、蕩けた顔しか見たくない」
「んなっ! あ、あんたこんなとこで何をバカなことをっ!」
「場所とか関係ない。
俺は愛を伝えたいときに君に愛を伝えると決めたんだ」
「ダメだこいつ!」
「……ふっ」
ラファエルは思わず叫んだティファナに微笑むと、彼女の顎をくいと持ち上げた。
「え、ちょっ」
「だから俺は、君への愛をこんな所でこんな形で民に伝えようと思う」
そして、ラファエルはティファナの唇に吸い込まれるようにして近付いた。
「……もう」
ティファナは怒りながらも、目を閉じてその唇を迎え入れた。
二人の、聖王国の明るい未来に民からは惜しみない拍手と歓声が送られたのだった。
これは伝説の始まり。
英雄王と、世界の守護者たる七人の魔女の始まりの物語。
のちの時代、王となる者は七人の魔女の中からその伴侶を選ぶようになる。
そして王妃となった魔女は不老の魔法をやめ、王とともに有限の人生を歩むことになる。
王が道を誤れば魔女が、魔女が道を誤れば王が、相手を正しき道へと戻すために。
伝説の始まりとなった、英雄王と雨の魔女の生きた道筋にならって……。