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呪いの剣と聖剣が煌めき、魔女は雨を降らす。

「よーし、止まれ」


 無事に雨の森を抜け、王都へと戻ったラファエル。

 しかしそのまま王のいる城へは向かわずに、愛馬であるパトリシアをとある屋敷で止まらせた。


「ぼっちゃま!!」


「ファティマ」


 すると、屋敷から年老いたメイドが慌てた様子でパタパタと飛び出してきた。


「良かった。ご無事だったのですね。

 ぼっちゃまにまで何かあれば、ファティマは、ファティマは……」


「心配かけてすまない。

 戻るのに手こずってしまったが、こうして怪我もなく無事だ」


 ラファエルは安心して袖を濡らすファティマの肩に手を置く。


 ファティマは騎士爵を持つラファエルの家のメイド長を務める人物。

 もともとは貴族であったラファエルだが、彼が幼い頃に両親が事故で亡くなって没落していた。

 ファティマは彼が成長して武勲を立て、再び貴族に返り咲くまでの間もラファエルの面倒を甲斐甲斐しく見てくれていた。

 もともとは彼の両親に仕えていたこともあり、生まれた頃から自分の世話をしてくれているファティマはラファエルにとって祖母のような母のような存在だった。


「戻って早々にすまないが、これから陛下に謁見してくる」


「ええ。そうですね。

 早く無事をお伝えしないと。

 陛下もきっとご心配されております」


「……ああ、そうだな」


 一見すると王に敬意を払っているように見えるが、ラファエルにはそれがもはや作られた敬意にしか思えなかった。


「お召し代えだけ致しましょう。

 用意はできております」


「助かる」


 ラファエルはファティマとともに屋敷に入っていく。

 自分の帰りを信じて謁見用の衣装を用意しておいてくれる。

 ラファエルはファティマのありがたさを改めて感じた。








「……よし」


「よくお似合いにございます」


 湯浴みをし、軽食をとったラファエルは亡き父の形見である礼服に袖を通した。

 所々に金の刺繍がなされた、かっちりとした濃紺の貴族服。


「……ファティマ」


「はい?」


 こてんと首を倒す見慣れた笑顔。

 ずいぶん年を取ったが、ラファエルはファティマの顔を見るとやはり安心した。


「……これが終わったら、俺は嫁を取ろうと思う」


「まあ!」


 ファティマには話しておきたかった。ティファナのことを。

 話すことで自分に気合いを入れる意味合いもあったようだ。


「ぼっちゃまが選んだお方ならファティマは大歓迎でございます。

 お会いできるのを楽しみにしておりますね」


「!」


 そう言って無邪気に笑うファティマの顔が一瞬ティファナと重なった。


「……俺は重症だな」


「はい?」


「いや、なんでもない」


 そこまで自分はティファナにのめり込んでいるのかとラファエルは気恥ずかしい気分になった。


「……いってくる」


「お気をつけて」


 しかし、それを決意と勇気に変えて、ラファエルは屋敷を出立した。

 深く下げられたファティマの姿に、ここにも必ず戻ると胸に誓って。











「団長っ!」


 ラファエルが城に着くと、二人の門兵が慌てた様子で駆け寄ってきた。


「ご無事だったのですね! 良かった!!」


「ああ。すまない。心配をかけたな」


 ラファエルの手を取って泣き出してしまった門兵を宥める。

 この門兵は遠征で魔物に襲われた時にラファエルが逃がした兵の一人だった。


「私は皆に報せに行きます!」


「ああ。あと、陛下に謁見したい。そっちを先に頼む」


「分かりました!」


 城内に走るもう一人の門兵に言伝てを頼む。

 いくら騎士団団長といえど、王と謁見するには申し合わせが必要となる。

 それほどに、聖王国の国王は民から神聖視されていた。


「今は騎士団がわりと出払っているので、団長に会いに来れる団員はあんまりいないでしょうね」


「そうなのか」


「はい。緊急の案件だそうで。

 そうだ。

 陛下も、団長の無事を祈っておりましたよ。きっと、陛下の神への祈りが届いたのですね」


「……ああ、そうだな」


 そんな祈りなどラファエルは微塵も感じたことはなく、魔物の討伐もティファナとの邂逅も、全ては自分の力によるものであった。

 ラファエルは涙を流しながら王を崇める兵の姿が妙に気持ちが悪く感じていた。

 自分も、数日前までは『こう』だったのだと思えば余計に。


「団長っ!」


「……早いな」


 そのあと門兵と二、三、問答を重ねていると、先ほどの門兵が戻ってきた。


「陛下がすぐにお会いになるそうです」


「……そうか」


「陛下も団長の無事が嬉しいのですね」


「……光栄だな」


 上の者は下の者を待たせる。

 それは格の差を知らしめるため。

 それが貴族というもの。王族ともなれば尚更。

 軍事上の緊急の要件でもなけれは、ラファエルが王とすぐに会える道理はない。

 騎士団団長の帰還が軍事上の緊急の案件と言えなくもないが、無事ならばそこまで急ぐ必要はない。

 かつての自分ならばもろ手を挙げて喜んだのだろうが、ラファエルには今は何やらキナ臭い感じがするだけだった。










「陛下。

 この度は謁見のお時間を賜り、恐悦至極にございます。

 聖騎士団団長ラファエル。ただいま帰還致しました」


 そうして謁見の間。

 玉座に座る国王にラファエルは跪いて挨拶を述べた。

 王の正面、赤絨毯に膝をつくラファエル。その左右には大臣や騎士など、二十人以上の人間が二人のやり取りを見守っていた。

 その誰もがラファエルの帰還を喜んでいるように見受けられた。


「おお。ラファエル。

 余は心から心配していたぞ。

 よくぞ、よくぞ戻った」


 王は目元に涙を浮かべながらヨロヨロとラファエルに近付き、その肩に手を置いた。

 白く長い髪。齢四十とは思えない若々しい姿。冠に赤いマント。腰には王の証たる鷹の紋章がついた一振りの剣。

 そんな王の涙に、周りの者たちもつられて涙を流す。


「……格別のご高配、心よりの感謝を」


 ラファエルはまるで舞台の上の芝居を観ているような気分になり、思わず聖剣を握りそうになるのを懸命に堪えた。


「……でだ。ラファエルよ。

 余は(ぬし)に尋ねたいことがある」


「……なんでございましょう」


 王はラファエルの肩に手をかけたまま、耳を寄せるようにして小さな声で呟いた。

 他の者には聞かせまいとするように。


「……主の呪いを解いたのはどこの魔女だ?」


「……っ!?」


 途端、ラファエルの肩がみしりと悲鳴をあげる。

 ラファエルの肩におかれた王の手が、肩を握り潰さんばかりに強く握られたのだ。

 その空気を感じた瞬間、ラファエルはティファナが話したことが全て事実であると察した。


「赤き炎の魔女か?

 青き無垢の魔女か?

 藍の深淵の魔女か?

 はたまた、橙の籠絡の魔女か?」


「……」


「……それとも紫の、雨の魔女か?」


「……」


「……そうか。森の雨か」


「っ!」


 動揺は見せまいとしていたはずだが、王はラファエルの僅かな動揺を敏感に察知し、すぐに理解する。


「……ならばちょうど良かったな」


「?」


 ラファエルの肩から手を離した王はニヤリと笑う。


「森の雨の魔女。紫の魔女に、先ほど討伐命令を下した。まもなく騎士団が到着するだろう。

 貴様の捜索に騎士団を派遣していた所、降り止まぬ雨の森が発見された。

 貴様のおかげだ。礼を言おう」


「!?」


 今は団員が出払っている。

 門兵の言葉をもっと深読みしておくべきだったとラファエルは後悔する。

 しかもそれが自分のせいであると王は言う。


「……そうか。そんなに紫の雨の魔女が心配か。ずいぶん勾引(かどわ)かされたようだな」


「……くっ」


 王が冷たくラファエルを見下ろす。

 ラファエルがティファナの身を心配した一瞬を王は見逃さなかったのだ。

 

「貴様は魔女に騙されたのだ。

 今ならまだ許そう。

 再び、余の夢の中に戻ろうではないか」


 しかし、王は途端に目を優しくし、ラファエルに手を差し出した。


「……」


 再び盲信の呪いをかけさせれば不問にするという。

 王はラファエルに、再び人形になれと誘っているのだ。


「……断る。彼女は俺を救いだしてくれた。

 再び、あんたの傀儡になるつもりはない!」


 バッ! と後ろに下がりながら立ち上がり、ラファエルは聖剣ソクラウスを抜いた。


「……はあ」


 それに対し、王はあからさまに溜め息を吐いた。


「……?」


 そこでラファエルは何かがおかしいと感じる。

 ラファエルが抜剣したというのに、周りの者たちは微動だにしないのだ。

 しんとしたその空気に違和感を感じ、ラファエルは周囲を見回した。


「っ!?」


 すると、周りの全ての人間が虚ろな目をして項垂れていた。


「残念だ。非常に残念だよ、ラファエル団長。

 やはり呪いは必要だ。

 人は自由になれば、すぐに剣を取る。

 人間は愚かだ。

 余がその人生の全てを管理してやらねば」


 王はだらんと項垂れたかと思うと、すうっと右腕を上に挙げた。


「……どうせ魔女は死ぬ。

 せっかくだ。貴様もあとを追わせてやろう。

 余は、慈悲深いからな」


 そして王が指をパチンと鳴らすと、その場にいた全員がまったく同じタイミングで同じように剣を抜いた。


「くっ!」


 全員が見知った顔。

 しかし、そのどれもが今は感情を失くした人形のように、抜いた剣をだらりと握っていた。


「愚か。愚かなり、ラファエル。

 愚かなる魔女の言葉に耳を傾けるなど。

 神の定めた理不尽な(ことわり)に還ろうなどと。

 実に愚か。

 我々人間はかつて運命だとかいう神の理不尽なまでの決定事項に振り回されていた。

 そこから脱却しようともがいた成果が呪いだ。

 優秀なる王が民を完全に管理し、統率する世界。

 それによって理不尽な死も戦争もなくなり、人々は平和に暮らせる。

 貴様はそれの何が気にくわないと言うのか。

 神の恩寵たる魔女はそれが気にくわないと言うだろう。神に逆らっているのだからな。

 だが、今や余が神だ。

 余が神として人間を管理する。

 人間であった神だからこそ寄り添える。

 理解できない理不尽な死などない。

 それが聖王国のあり方だ。

 これはもはや理想郷であろう!」


「……」


 ラファエルはもはや王の話に耳を傾けてはいなかった。人である魔女にその理不尽な運命を丸ごと背負わせている王の話など……。


 それよりも、王は人々の心情を縛るだけでなく、その意思も肉体も完全に操ることができた。

 ラファエルにとって、王が想像以上の難敵であることの方が重要であった。

 

 このままでは不利。

 出来ることならば操られている仲間たちとは戦いたくない。

 

 ラファエルは周囲に目を走らせ、一旦この場から離脱することを考えていた。

 入ってきた扉は固く閉ざされている。

 窓には分厚いカーテン。謁見の間の窓は特殊強化加工がなされているから壁と同義。破るのは難しい。

 となると、入口以外に他に出口はない。突破するならば、やはり扉だろう。

 ラファエルはそう結論を出そうとしたが、


「ああ。もちろん当然だが、逃がしなどせぬぞ」


「ちっ」


 王は入口に人を集めた。

 しかも、ラファエルの部下である騎士ばかり。

 これでは斬り捨てて脱出するのは難しい。


「ちなみに貴様の周りにいるのは、少なからず貴様に恨みがある者たちだ。

 余が抑えていたから今まで貴様には害が及ばなかったが、ここらで発散させてやろう。

 どうだ? 余は寛大であろう?」


「……」


 ラファエルを囲むのは大臣やら武官やら、若くして武勲で出世していったラファエルのことを快く思わない者たち。

 ようは、そいつらに自分を殺させようというのだ。


 しかし、自分に恨みを持っているとはいえラファエルには彼らを斬り捨てることは出来なかった。

 どう思っていようと、今の彼らには意思がないのだ。

 覚悟を持たぬ者に望まぬ死を与えるのはラファエルの信条に反した。


「それも、愚かな人間には不要なものだ」


「!」


 ラファエルのそんな葛藤を見透かしたかのように王は嘲笑する。


「情が邪魔をして戦えない。

 自分が殺されるというのに、殺しに来ている者を殺せない。

 実に愚か。やはり人間は愚かだ」


「……神、気取りか」


 嘆くような王にラファエルは剣を強く握った。


 ラファエルがこの場を脱したいと思った理由は仲間とは戦えないということの他に、もう一つあった。

 むしろ、そちらが本命といえよう。


 ティファナが心配なのだ。


 魔女は強い。

 騎士団が束になってようやく勝負になるレベル。

 ティファナならば心配いらないだろうとは思うが、ラファエルは気が気ではなかった。

 嫌な予感を拭えずにいたのだ。

 これだけ狡猾な王が、魔女に対する特効を持つ聖剣なしに騎士団を討伐に向かわせるとは思えなかった。


「……」


 何か、とんでもない切り札を騎士団が持たされている可能性がある。


「……」


 やはり、どうしてもここから脱してティファナのもとに行かねば。


 ラファエルは改めてそう決意し、峰打ちのみで入口を塞ぐ騎士たちを気絶させられないか隙を窺った。


「……っ」


 だが、そんなものは欠片も存在しなかった。

 感情のない人形と化した彼らは、ただ王からの命令を待つだけの存在となっていた。

 まばたき一つしない。呼吸さえ他の者と一律。

 言い様のない恐怖に、ラファエルはただ戸惑うことしか出来なかった。


「……」


 だが、ラファエルは諦めてもいなかった。

 何か、何か糸口があるはずだと。


 人間の感情を完全に抑制し、意のままに操る。

 そんなものを何もなしに使えるのだろうか。


 ラファエルは王の呪いの力を分析していた。

 

「さて。もういいかね。

 そろそろ余は飽きてきた。

 貴様には死んでもらって、またこの聖王国に完璧を取り戻そうではないか」


「くそっ」


 じりじりと剣を持った臣下たちがラファエルを囲うように迫ってくる。

 ラファエルは聖剣ソクラウスを構えながら、しかしそれを満足に振るえずにいた。


「ではな。愚かなる魔女に惑わされた人間よ。

 あの世で神に恨み言でも聞いてもらうといい」


 王はそう言うと、再び指をパチンと鳴らした。

 ラファエルの周囲の人間たちが剣を振りかぶる。


「!」


 しかし、ラファエルは今度は見逃さなかった。

 大げさな指の動作。声を遠くに飛ばして呪いをかけられるほどの力ならば、本来はそんなもの必要ないはずなのに。


 人が意味がありそうな動作をした時は、何かから目をそらしたい時だ。


 ラファエルは騎士団での訓練の際、騎士たちにそう指導していたことがある。


 あの指を鳴らす仕草は、他の何かからラファエルの目をそらすため。


「……あれか」


 そして、ラファエルは理解した。

 王が臣下を操る時、王の持つ剣の、鷹の紋章が黒く光っていることを。

 呪いの発動媒体。

 血のみでは受け継げなかった呪いの力を、呪物と併用することで王は強力な呪いの力を振るっていたのだ。


「!」


 近くにいた大臣が大きく出た腹を揺らしながら剣を振り下ろしてくる。

 体型に似合わぬ見事な剣撃。

 その者の身体能力さえ超えた動き。

 早く終わらせなければ彼らの体がもたない。

 そう判断したラファエルは聖剣ソクラウスを天に掲げた。


「魔を祓え! ソクラウス!!」


「ぬっ!?」


 天に向けられた聖剣ソクラウスは青白い光を放つ。

 それは一瞬のうちに、しかし一瞬だけ、ラファエルの周囲を強烈に照らした。


「……なっ!?」


 王が眩んだ目から回復すると、ラファエルを殺すように命じたはずの者たちの動きが止まっていることに気付いた。


「馬鹿なっ!」


 王はその後も何度も呪いの力で命令を下すが、臣下たちは体をブルブルと震わせるだけだった。


「無駄だ。聖なる光が呪いを一時的に無力化した。彼らは貴方の命令に従おうとしているが、体が動かないんだ」


「……おのれ」


「……」


 それはラファエルにとって賭けだった。

 聖剣の力を十分に引き出せていないラファエルにはその光を確実に出せる自信がなかったから。

 しかも、出すことができてもその効果範囲は狭く、光も一瞬。

 実は入口を守っている騎士たちには光は届いておらず、王が彼らに命令すればラファエルは為す術なく騎士たちに襲われるのだ。


「……」


 つまり、王がそれに気付く前に終わらせなければならないのだ。


「終わりだ」


 ラファエルは王に聖剣の切っ先を向ける。


「魔を滅せよ! ソクラウス!!」


 そして、再び聖剣ソクラウスから青白い光が放たれる。

 今度は切っ先から光線状に、真っ直ぐ王へと向けて。


「くっ」


「いけぇっ!!」


 聖なる浄化の光が王を襲う。


 ラファエルは二度目にしてそれが出せる確信を持っていた。

 聖剣ソクラウスが自分に応えているのが分かったのだ。

 おそらくは王の呪いから解放されたことで、真の聖剣の所持者として認められたのだとラファエルは理解した。

 浄化の光を自在に出せるようになったのだからと、ラファエルは入口を守る騎士たちに光を浴びせることも考えたが、ここから出て全力でパトリシアを走らせてもティファナを討伐しようとしている騎士団には追い付けないと悟り、呪いの元凶たる王を討つことにしたのだ。


 呪いが解ければ騎士も止まると。


「ナメるなぁっ!」


「なっ!?」


 しかし、浄化の光は王の剣に弾かれて天井へと飛ばされてしまった。

 物理ではない浄化の光はそのまま天井を透過し、空へと打ち上がって消えた。


「愚か。愚かなり、ラファエル。

 聖なる浄化の光?

 魔を滅する?

 神たる余を、悪しき魔だと?

 それは魔女の方だろう。

 余は神だ。

 聖なる浄化の光などにはやられぬ」


 王は勝ち誇った顔をしていた。


「……」


 だが、ラファエルには分かっていた。

 王は光を弾いたのだ。

 弾かねばならないモノだったのだ、浄化の光は。

 つまり、当てれば勝てる。

 ラファエルは何としても聖剣ソクラウスの光を当てようと再び剣を構える。


「……ふん」


「?」


 しかし、王はそこでさらなる卑劣な手段に出る。


「これを見よ」


「……」


 王が剣で宙に丸を描くと、その空間に王都の光景が映し出された。


「……あれはっ!」


 そこには、苦悶の表情をした騎士団が民に襲いかかっている姿が映し出されていた。


「な、何をっ!?」


 泣き出しそうな顔をした騎士たちは剣を振り上げ、今にも民を切り捨てそうな状態であった。


「貴様が悪いのだ、ラファエル。

 王の命令は絶対だ。

 騎士たちには余の合図ですぐに民を斬り捨てられる状態でいろと命じてある。

 本人たちにその気はなくとも、『王家に忠誠を』という呪いがある限り、それに逆らうことは出来ない」


「く、そぉっ!」


「おっと、動くなよ。驚いて指を鳴らしてしまうぞ?」


「……くっ」


 再び浄化の光を王に放とうとしたラファエルだが、王にすぐに察知されて止まらざるを得なかった。


「……貴様。自分の国の民だぞ」


 ラファエルはギロリと王を睨み付ける。


「だからであろう?

 この国の者はあまねく全てが余のモノだ。

 自分のおもちゃをどうしようが、余の勝手であろう?」


「……クズめ」


「まあこの際、貴様には邪神と思われても構わん。どうせもう死ぬのだしな」


 王が剣を光らせる。

 すると、入口の扉を守っていた騎士たちが動き、ラファエルを囲った。


「……ちっ」


 王は気付いたのだ。

 ラファエルの間近で光を浴びていない騎士たちは動かせると。


「聖剣の力もそんなものか。

 所詮は人の気持ちなど理解しない神の産物よの」


 王はラファエルの持つ聖剣ソクラウスを冷たく見下ろす。


「……くそっ」


 ラファエルは自分がまだ聖剣の力を引き出しきれていないことが分かっていた。

 そして、内心だいぶ焦ってもいた。

 王の力のカラクリには気付いている。その打開の仕方も。

 しかし、ラファエルにはそれを実行するだけの決め手がなかった。

 聖剣の力を完全に引き出せばあるいは可能性はあったが、それは無い物ねだりにすぎなかった。


「……」


 何か。何かチャンスがあれば。

 ラファエルはそう考えながら、ただそのときを待った。















「……」


 椅子に座っていたティファナが静かに目を開ける。


「……来たわね」


 降り止まない雨を渡る無数の足音。

 雨が遮られることでティファナは状況を把握することができた。


「……馬は途中で置いてきたのね。

 騎士が二十名。全員が加護付きの軽鎧」


 ギィと席から立ち、ゆっくりと玄関扉に向かう。

 黒い艶やかな髪と黒いローブがティファナに追い付かんと泳ぐ。


「……ナメられたものね」


 ティファナはふっと笑みを浮かべると扉を開けた。


「いたぞ!」

「魔女だ!!」


 するとすぐに、剣を抜いた騎士たちがバタバタと集まってきた。

 

「人類の大敵。世界を滅ぼす厄災。

 我々、王の騎士が貴様を討つ!」


 騎士たちが剣を構え、ティファナを囲う。


「盲信の呪い、とは厄介なものね。

 自分たちが信じてやまないものを疑わない。

 疑おうともしない。

 神はなぜこんなにも愚かな存在に呪いなんてものを与えたのか」


 ティファナは自分もかつてはその愚かな存在だったことを疑いたくなった。


「ええい! 魔女の話は聞かぬ!

 死ねぇっ!」


 騎士の一人が剣を振り上げてティファナに斬りかかる。


「……邪魔」


「ぐおっ!?」


 しかし、その騎士の頭上にだけ局地的に集中した雨が強烈に落ち、騎士はその場に叩き潰された。


「だ、大丈夫かっ!」


「……う」


 他の騎士が駆け寄ると、潰された騎士はずぶ濡れで地面に倒れているだけで大きな怪我もなかった。


「惚れた男に人を殺してほしくないって言われちゃったからね。

 加減が難しいけど、頑張って手加減するわ」


「ふ、ふざけっ……む?」


 駆け寄った騎士がティファナに襲いかかろうとしたが、その騎士の目からは手をかざすティファナの姿がゆらりとブレ、霞んで見えた。


「私のテリトリーに侵入した時点で、お前たちに勝ち目なんてないのよ」


「こ、これは、霧?」


 あれだけ強烈に地面を叩きつけていた雨が、いつの間にか霧へと姿を変えていた。

 あの量の水が、全て霧に。



【朝露に濡れぬ袖はない。

 鮮血の霧(クリムゾンミスト)



 それは本来的には敵の内部に浸透し、敵の血液を強制的に肉体の外に排出させる恐るべき魔法だった。

 しかし、ラファエルとの約束を守るためにティファナは魔法を改良し、ひと手間を加えた。


「……なんだ?

 目が……」


 やがて、ティファナを囲む騎士たちが異変に気付く。


「うっ。目が痛い!

 鼻も、ツンとして! なんだっ! 口の中がっ!」


「粒子状の霧は鎧も加護も関係なくすり抜ける。

 そうしてお前たちの体に付着し、穴から侵入する。

 ただの水なら不快なだけだろう。

 けど、少しだけエッセンスを加えておいた。

 塩と胡椒をね。

 粘膜に塩と胡椒が混ぜられた水。それはそれは、大変でしょうね」


「い、痛いっ!

 目も鼻も、股関がっ! 尻の穴がっ!!」


「……ちょっと下品ね」


 鎧を脱ぎ捨て、涙と鼻水を流しながら股関を押さえてのたうち回る騎士たちに、自分でやっておきながらティファナは少し引いていた。


「さて、今のうちに」


 騎士たちが戦闘不能になっているうちに、ティファナは魔法で片目の視界を王都の上空の鳥に繋げた。

 あらかじめ魔法でテイムしておいた鳥を飛ばしておいたのだ。


「……やっぱりこうなってるのね」


 王都では、騎士たちが民に剣を向けていた。

 

「……ラファエル」


 ティファナはさらに鳥の目に魔法をかけて城の内部を見透した。


「……あれが、王。

 良かった。ラファエルはまだ無事ね」


 王と対峙するラファエル。

 ラファエルを取り囲む臣下たち。


「……なるほど。王剣を呪物として血と剣とで呪いを。人間を完全に操ることもできるなんて」


 王の力はティファナの想像以上だった。

 これではいくら聖剣を持っていてもラファエルにはキツい。


「それに、民たちを人質にされているのね」


 呪いから解放されたラファエルならば聖剣の力で王を倒せるだろうが、民を人質に取られて身動きが取れないようだ。

 さらには見知った仲間たちに止めを差させようとしている。


「……どこまでも、人間の愚かさと汚さと卑しさを集約したかのような男」


 ティファナは自分にとっての仇でもある王に憎しみの目を向ける。


「……っ」


 だが、それは駄目だとすぐに自制する。

 それはラファエルが望まないと。


「……はあ」


 ティファナは溜め息を吐くとともに力を抜いた。


「ホント、面倒な男に惚れたもんよね」


 そうして、困ったような笑みを見せながら、ティファナは空に手を向けた。



【濡らしたいものを濡らし、穿ちたいものを穿つ。

 全ては神の我が儘に。

 降りしきる雨は避けること能わず。

 篠突く雨(スターレイン)
















「どれ。せっかくだ。

 余興に何人か殺してみるか」


「なっ!」


 王はニヤリと頬を吊り上げた。


「貴様が絶望に顔を歪めながら死ぬのを見るのも一興よ」


「やめろっ!!」


 ラファエルの制止も聞かず、王は指をパチンと鳴らした。

 その合図は外の騎士たちの頭に直接送られる。

 そして、空間に映し出された騎士が民に向けて剣を振りかぶる。


「やめっ……ん?」


「……なんだ?」


 しかし、突然にその映像が暗くなる。

 王の術式に問題が起きたのではない。

 単純に空が暗くなったのだ。

 騎士も手を止めて空を見上げる。

 謁見の間にいる者たちとは違い、外の騎士は意思を持っている。

 不測の事態に手を止めても不思議ではない。


 そして、それはすぐにやってきた。



「なっ!?」

「うわっ!?」



 ラファエルたちが観ていた映像が上からの、線状の強烈な何かで覆い隠された。

 そしてそれと同時に、城の屋根と窓を凄まじい音が襲う。


「これは、雨かっ!」


 それは一寸先も見えぬほどの高密度の雨だった。



「ぐああああーーっ!」

「な、なんっ! ぎゃあああーー!!」



 瞬間、凄まじい豪雨の音の隙間から外にいる騎士たちの悲鳴が聞こえてきた。

 そしてそのあと、雨は一瞬で降りやみ、空は嘘のように晴れ渡った。


「こ、これは、ティファナか?」


 ラファエルはこんなとんでもないことをやってのけるのは彼女しかいないと理解した。


「ええい! どうなった!

 さっさと民を殺せ!」


「!」


 王がイライラした様子で再びクリアになった王都の映像を映し出す。

 そこには……



「きゃあああー!」

「へ、変態っ!」


「ち、違っ!」

「こ、これはっ!」



 武器も鎧も、肌着さえ破壊されて、びしょ濡れで地面に尻餅をつく騎士の姿があった。

 そして不思議なことに、あれだけの強烈な雨であったのに民や家屋には一切の被害がなかった。それどころか、雨粒一つなく乾いたままであったのだ。


「はは……すごいな、ティファナ」


 その圧倒的な魔法に、ラファエルはもはや笑うしかなかった。


「お、おのれ。紫の雨の魔女め!」


 王は悔しそうにぎりりと歯をくいしばる。

 それは同時に、魔女討伐が為されていないことも意味しているから。


「だが、貴様は! 貴様だけは殺す!

 魔女など、あとで余が直々に始末してくれるわ!」


「……」


 ラファエルには分かっていた。

 ティファナはきっと、ここの様子を観ていると。

 チャンス。それは、彼女が用意してくれると。








 空に、一滴の水が浮いていた。


 それは遥か遥か高みにあった。


 ラファエルが森を出たときから、ティファナがゆっくりと魔力を蓄えながら上へ上へと昇らせた一粒の水滴。


 まもなくこの星から出てしまいかねない所まで昇った雫は、やがてピタリと動きを止めた。


 その一滴は凍っていた。

 小さな小さな、一滴の氷の粒。


 そして、それは少しずつ、やがてとんでもない速度で落ち始めた。


 ぐんぐんと速度を上げ、質量を保ったまま、ティファナの狙い通りの位置に、その一粒は落ちていった。


 目印はあった。

 空に打ち上がった聖なる光。

 氷となった一粒の水は、その光の道筋に導かれるようにして落ちていった。



【神の慈悲とは終わりなり。

 神は慈悲とともに涙を流した。

 終わりの神の涙(ラストワン)










「……もういい。

 貴様も余が直々に殺してやろう」


「っ」


 王が剣を掲げ、ラファエルに近付く。

 ラファエルは聖剣を強く握る。


「動くなよ。周りの奴らに自死させることも容易いのだぞ?」


「……くそっ」


 王の剣が光ると、ラファエルの周りの臣下たちが自分の首に剣を当てた。


「死ね」


 そうして、動けぬラファエルに王は剣を高々と掲げて振り下ろそうとした……が、


「ぬっ!?」


「!?」


 突然、ヒュッと何かが通りすぎる音が聞こえて、王もラファエルも動きを止めた。

 音はどうやら上からやってきたのだと悟ると、ラファエルは天井を見上げた。すると、城の天井が何かに貫かれ穴が空いていることに気付く。

 そしてその天井の真下の床を見ると、そこにも同じ大きさの穴が空いていた。

 それは、ラファエルのすぐ手前だった。


「ぐっ」


「?」


 やがて、王が声をあげる。


「ぐああああーーっ! 手がっ! 余の手がぁっ!!」


「!」


 空から落ちてきた何かは城の天井を穿ち、王の剣と右腕を弾き飛ばし、床をも穿って消えていったのだ。

 そこは先ほど王がラファエルの浄化の光を弾いた場所だった。



「ハッ!?」

「お、俺は、いったい何を」

「わ、私は事務仕事をしていたはず……」



「みんなっ」


 やがて、騎士たちが目を覚ます。

 王の操る呪いは閉塞空間において、呪物たる王剣があってようやく使えるものだった。

 そのどちらかでも崩せれば最低限操り人形になっている騎士たちはもとに戻せる。

 ラファエルは外の騎士が人形になっていないことからもそれに気付いていたが、自分ではそのどちらを崩すのも難しいと考えていた。


「まさか、どっちもぶち壊すとはな」


 ラファエルは森にいるティファナのどや顔を思い浮かべて思わず笑みを溢した。



「お、王よっ!

 そのお怪我はっ!」

「だ、団長!?」

「い、いったい何が!」



 やがて、目の前の事態を見た臣下たちがざわめき立つ。


「ラファエル団長の反逆だ!

 余が殺される!

 ラファエルを殺せっ!」


 王は失くなった腕をおさえながら叫んだ。

 王剣を失って効力が弱まったとはいえ呪いは健在。

 王家に忠誠を誓う呪いがあることで騎士たちは迷いなくラファエルを斬る。


「そんな暇なんてないんだよ」


「なっ!?」


 しかし、騎士たちが動くよりも先にラファエルは動いていた。

 聖剣ソクラウスが青白い光を放ちながら輝く。


「惚れた女が作ってくれたチャンス。

 モノにできなきゃ男が廃るんだよ」


 ラファエルは慌てる王に構うことなく剣を振るう。


「ま、待てっ!」


「待たねーよ」


「っ!!??」


 そして、聖剣ソクラウスは王の首をはね飛ばしたのだった。




「……ふう」


 ラファエルは剣を振ってついた血を飛ばす。

 王は倒したが、まだ聖剣は光ったまま。



「そ、そんな……」

「王が……」

「王を、お守りできなかった……」



 まだ、聖剣には役目があった。


「仕上げだ。ソクラウス」


 嘆く臣下たちを見回すと、ラファエルは聖剣を天に掲げた。


「魔を祓い、呪いを祓え! ソクラウス!!」


 瞬間、聖剣の青白い浄化の光が急激に広がり、その光は聖王国の全土を包んだ。


 そして、あまねく全てを照らすと、再び光は聖剣へと集束した。



「……う」

「……まさか、我々が王に操られて……」

「そんな……」



 聖剣ソクラウスは人々にかかった呪いを解いた。

 そして、自分たちが呪いをかけられていたことを全員に知らしめた。

 記憶の齟齬を生まずに呪いだけを消すにはそれが最適であったから。


「団長。ありがとうございます。

 団長が解き放ってくれなかったら、我々はずっと王のおもちゃのままでした」


 やがて、気持ちの整理がついた騎士がラファエルに礼を述べた。

 それを皮切りに、その場にいた全員がラファエルに頭を下げる。


「……いや、一番の功労者は俺ではない」


 ラファエルがそう呟いたとき、天井の穴からふわふわと丸い水玉が飛んできてラファエルの手にのった。


『……ラファエル』


「ティファナ!?」


 その水玉からティファナの声が聞こえてきた。


『……うまく、いったのね』


「ああ。王は死んだ。

 君のおかげだ」


『……そう。良かっ、た……』


「?」


 聞こえてくるティファナの声がどこか苦しそうなことにラファエルは気付いた。


「……どうした?

 まさか、怪我でもしたのか?」


『……ごめん。まさか、王が聖剣のレプリカを作ってたなんて』


「!?」


 魔女に特効を持つ聖剣ソクラウス。そのレプリカ。

 ラファエルは血の気が一気に引いていくのを感じた。


『あの状況で、まだ攻撃を仕掛けてくる気概があるなんて……さすがはアナタの騎士団、ね……』


 ティファナが弱々しく笑う。


「待ってろ! すぐ行く!」


 ラファエルは勢いよく部屋を飛び出した。

 転がり落ちるように階段を降り、城の入口まで走る。


『……ごめ、んね。魔力の流出が、止まらない』


「駄目だ! 諦めるなっ!」


「ぼっちゃま!!」


「ファティマ!?」


 ラファエルが城の入口に着くと、そこにはメイド長のファティマが待っていた。

 その横には愛馬であるパトリシアがいた。


「なぜだか、ぼっちゃまが急がれているような気がして、パトリシアを連れてきました」


「すまない! 助かるっ!」


 なぜファティマがそうしたのかは分からなかったが、ラファエルは迷うことなくパトリシアに飛び乗った。


「いけっ!」


 そうして、ラファエルはティファナがいる雨の森へと急いだ。


『……』


「っ!」


 先ほどの水玉から声がしなくなった。

 ラファエルは焦る気持ちを抑えることもせずに、ただただ馬を走らせたのだった。





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