厄介なテンセイシャの処分法
「エリザベス!お前がアマーリエに行った所業!到底許してはおけん!よってお前との婚約は破棄させてもらう!」
王族らしい堂々とした態度で宣言するバーナード王子と、傍らに寄り添う庇護欲を擽る愛らしい少女。見ている分には非常に絵になる光景だが、時と場合を考えていない所為で折角のパーティが台無しになった瞬間だった。
しかもアマーリエは表面上は怯えるような顔を向けつつも、瞳には隠しきれない勝ち誇った笑みを滲ませている。
エリザベスは彼女の話していた通りになったなと、慌てず騒がず冷静に事実を伝えた。
「婚約破棄とおっしゃいますが……殿下と私の間の婚約は2ヵ月以上前に解消されておりますよ?」
「何!?」
出鼻を挫かれたのか素っ頓狂な声を挙げる彼には溜息しか出てこない。アマーリエは勝ち誇ったような態度から一変、突然のイレギュラーにあり得ないと言いたげな顔をしていた。
「何故だ!?俺はそんな話知らんぞ!?」
「『大事な話があるから出席するように』と、我が家と陛下からお手紙が来ていた筈ですが……、届いていないとは仰いませんよね?」
その言葉に元婚約者がグッと口ごもる。言えないだろう、どうせ出席しても厄介なことになると面倒臭がって放置して傍に居る彼女と逢瀬をしていたなんて。
「そっ、それなら話は早いな!きっと父上が僕達を憐れんで一緒になれるよう取り計らってくれたんだろう!」
「バーナード様……!」
見つめ合う2人に、三文小説にあるような真実の愛とやらで結ばれた恋人同士が数多の苦難を乗り越えた、みたいな空気を感じて鳥肌が立つ。エリザベスはそんな空気に触れたらこっちまで変な思考に染まってしまうと、持っていた扇子で空気を寄せつけないよう仰いだ。
あくまで自分たちに非がないと思っているとは、頭がお花畑同士ある意味お似合いである。
「だからといってエリザベスの罪が無くなる訳ではない。よってお前は国外追放……」
「何をしている」
バーナードが意気揚々と処罰の内容を言い渡そうとした瞬間横槍が入る。一体誰が邪魔をと、苛立った顔で声がした方を振り向けば、そこには口を真一文字に結んでいる国王の姿があった。
「父上!?視察の筈では!?」
「代理の者に任せたに決まっているだろう」
国王の登場にこそ驚いたが都合の良い解釈をしたのだろう。彼は気を良くして今からやろうとしていた事を正直に説明した。父親が不機嫌そうな雰囲気を纏っているのにも気づかないようである。
「そうですか!父上も祝福してくださるんですね!俺達の新しい門出を!」
「馬鹿者めが!!昔から短慮だと思ってはいたが、ここまでとはな!」
本気の一喝をされたバーナードが肩を竦め、アマーリエが「ヒッ!」と涙ぐむ。しおらしくしていれば少しは可愛く見えなくもない。恐らく彼もこの涙に射抜かれてしまったのであろう。
「勝手な事をしおって!これは家同士が交わした婚約だとは分かっていないのか!?」
「ですがエリザベスは彼女に嫌がらせを行っていたのです!しかも酷い時は階段から突き飛ばして怪我まで負わせて!こんな女は俺の妻には相応しくありません!」
確かに傷害行為は罪であり、婚約していたとて罪を犯した人間を未来の国母とするには不安がある。ただし、本当にやっていたならの話であるが。
思案するようなポーズを取る国王に話を聞いてくれていると思い込んでいるバーナードと、あわよくば国王も味方に付けようといった顔をするアマーリエ。しかしエリザベスはこれが国王の演技だと知っている。
「アマーリエだとかいったな、ではそなたに尋ねる。階段で突き飛ばされた時の日時と状況を詳細に述べよ」
「6月11日、放課後の事でした。私はあの吹抜けの大階段を降りようとしている最中にエリザベス様に呼び止められ、振り返ったら突き飛ばされていたんです……」
彼女はスラスラと淀みなく答えると同時に勝利を確信する。エリザベスが居る時を見計らってわざと落ちたんだから矛盾点は何も無い。それに目撃者も数人居る。王妃の未来はすぐそこだと国王からの次の言葉を期待した。
「ほう?振り返ったらか。つまり突然突き飛ばされたという事か?」
「はい」
「おい、アレを持ってまいれ」
自信を持って頷いたが、期待に反してエリザベスの罪を追求するような言葉ではなく、何かを持って来いの指示だった。首を傾げていると数人がかりで人間サイズの人形が運ばれて来たが、何処も彼処もボロボロで頭部などは4分の1が削られている。
その不気味さに自然と鳥肌が立つと、王は異様に平坦な声で問うた。
「アマーリエ嬢、これが何だか分かるか?」
「い、いいえ……」
正直に答えると、王は瞳に剣呑さを孕ませ口端を歪ませる。
「それは実際の人間の固さとそなたの身長、体格を再現した人形よ。そなたの証言通りにあの階段で実験をしたらこうなったわ」
「…………!」
アマーリエは息を呑む。完璧だと思っていたのにまさか自分の証言を基に実験されるとは想定外だった。
「これを目の当たりにしたら、突然突き飛ばされて軽い捻挫くらいで済むとは到底思えないのだが……?」
王はニヤニヤと口だけで笑いながら彼女をねめつける。証言通りの事が起こっていたら、今頃彼女はとうにこの人形のように頭を抉られて死んでいる。
つまり国王はわざと階段から落ちたんだろう、と言いたいのだ。
「き……きっと運が良かったのですよ!それに目撃者も居るんですよ!」
「そ、そうです!大した怪我にならなかったのは上手く庇えたからで……!」
だがしかし、こちらには目撃者が居るのだ。ボロが出ないようにあえて買収はしなかったし、目撃者達は見たものを正直に話しただけ。証言がある以上自分の優位性は揺らがないはずだった。
「ふむ、ではその目撃者とやらに聞いてみよう。事故当時エリザベス嬢とアマーリエ嬢の会話の内容を聞いた者は挙手を」
パーティには目撃者も出席していたが、彼等はお互いに顔を見合わせて首を横に振る。アマーリエが階段から落ちたところや、直前にエリザベスと何やら会話していたところを見ていても、話し声までは聞き取れなかったのだ。
「そしてもう1つ。事故当時、大階段とは別の場所でエリザベス嬢を目撃したものは挙手を」
それは奇妙な質問だった。アマーリエが「何それ?」と心の中で馬鹿にしていたが、次の瞬間には驚愕で目を見開くことになる。
何とこの質問に複数人手を挙げる者が現れたのだ。それが本当ならあの時エリザベスは2人居た事になる。
「馬鹿な……!何かの間違いだろう!」
「陛下、発言の許可を」
バーナードの言葉を遮って1人の若者が許可を求める。本来なら王族の言葉を遮るなど不敬極まりない行為なのだが、他ならぬ国王がそれを黙認し発言の許可を出す。
「私はエリザベス様と勉強会に参加しております。一緒に勉強会に参加していた人は勿論、あの時図書室に居た者なら彼女の姿を見ております」
若者の証言が呼び水となり、周囲から次々と「私も彼女に苦手なところを教えて頂きました」や「彼女が図書室に居たのはこの目で見ております」など、エリザベスのアリバイを証明する発言が出てくる。
あり得ない、こんな展開ゲームには無かった。そうだ、きっと金や権力で証言を買収したんだ。悪役令嬢のエリザベスならやりそうな事だと声を挙げようとしたが。
「アマーリエ様が見たエリザベス様はこんな顔をしておりましたかぁ?」
深刻な話し合いをしている場には似つかわしくない、何処かお道化たような口調の同じ年頃くらいの少女の声が割って入る。少女の顔を見た人間は一様に己の目を疑い、何人かは見えている光景が本物かと他の人間と確認し合う。
「う……そ…………」
アマーリエも呆然と呟く。そんな反応をするのも当然である。何故なら周囲の人間が道を譲った事で前へと進み出た少女は、雰囲気こそ違えどエリザベスと瓜二つの容貌をしていたのだから。
「エリザベスが2人……?」
困惑するバーナードにもう1人のエリザベスは、本来の彼女なら絶対しないおちゃらけた笑みを1つ彼等に向けると、一瞬両手で自らの顔を隠す。
手を除けると全く別人のものに変わっており、その手品のような鮮やかさに周囲から「おぉ!」と興奮混じりの驚愕の声が挙がった。
「リンブルク家の次女、ヘスターと申します」
謎の少女が正体を明かすと「あのリンブルク家の……!」「嫡男にはお会いしましたが次女もいらっしゃったのね」と周囲がざわめく。バーナードも「あのリンブルク家だと……」と戦慄いた。
「バーナード様、リンブルク家って何ですか?」
「死霊使いの一族だ。死霊を従えている為王家の暗部を司っている噂もあるが、俺も父上から詳細は知らされていないんだ」
死霊使いの一族なんてゲームには名前すら無かったのに、どうしてこうも大事な場面でイレギュラーが立て続けに起こるのか。証拠を揃えた今、エリザベスなんて簡単に断罪して、後は彼と結婚する勝ち組の人生が待っていると思っていたのに。
どいつもこいつも邪魔してくれるとアマーリエは奥歯を噛み締める。
「今のは私の友人の1人の得意技である幻覚でございます。やろうと思えば声も変えられますよ。『お前との婚約は破棄させてもらう!』」
ヘスターの口からバーナードそっくりな声が出る。それこそが死霊使いの十八番であった。死霊使いは直接的な攻撃手段には欠けるが、死霊の能力を借りて様々な搦手を駆使出来るのが最大の特徴である。
希有の能力を使って諜報、工作活動、暗殺など行うのがリンブルク家の仕事であり、実態は謎に包まれている事が多い。ヘスターも公の場に素顔を表すのは初めてであった。
不利な流れになってしまったがアマーリエは諦めない。瞬時に自分の正当性と相手のアリバイを崩す言い訳が思い浮かび、咄嗟に口を開く。
「べ、勉強会に参加していた方が偽者なんですよ!本物は私を突き落として……」
『そろそろ認めたら?王妃に相応しいのはアンタじゃなくてこの私だって』
突如としてアマーリエの機械染みた声が言い訳を遮り会場内に響く。ヘスターはいつの間にか、録音した音声を再生する魔道具を持っていた。
『何を仰っているのか分かりませんが……』
続いてエリザベスの声。興奮しているような様子はどこにも見られず、至って冷静に対処しようとしているのが声だけでも分かる。
『バーナードと結婚をするのは私なの。分からない?現に彼は私に夢中なのよ。いい加減彼に縋るのは止めたら?みっともないから』
『婚約に関しては家同士の約束事なので私の一存ではどうしようも出来ないのですよ』
貴族の結婚は親同士が決めるものであり、そこに当事者の意思はない。アマーリエも貴族の端くれならば弁えている筈のルールをどう受け取ったのか、バカにするような声色から途端に不機嫌そうなものに変わる。
『生意気ね。私も痛いから言う事聞いてさえいればこの手段を使うのは無しにしてあげようと思っていたのに』
『あんたは此処で悪者になるのよ』
そのセリフの直後に何か重たい物が落ちるような音と女性の甲高い悲鳴が大きく響く。続いて周囲の人間らしき動揺した声やアマーリエの安否の確認をする声を最後に、彼女は再生を止めた。
「おやぁ?呼び止められて振り向いたら突き飛ばされたんですよね?証言と随分食い違うようですが?」
「あ……嘘…………」
自身の明確な不利を悟った彼女が半歩後ずさる。まさか会話を録音されているとは思わなかった。
婚約者を取られて惨めな思いをするエリザベスに自分の優位を見せつけたいのと、話し合いで婚約者を譲ってもらえれば面倒な手段を取らなくても良いかなと思ってやった事が、こんな形で自分の首を絞めるなんて。
「いやぁ、何か企んでそうだと予感がして念の為エリザベス様には人目があるところに避難していただきましたが、まさか自ら事件を捏造しようとはね。驚きでした」
「そ、それこそが捏造よ!だってあんた声変えられるんでしょう!?それで私とあの女の会話を捏造したのね!バーナード様!この女も罪人です!」
しかし彼女はどこまでも往生際悪く、今度は音声も捏造だとバーナードを相手に主張しだす。彼も彼女に同調して「そうだな……」とヘスターにも罪状を告げようとしたが……。
「いい加減にせんか!証拠の捏造は一族郎党重罪と知って喚いている事なのか!」
国王の一喝が轟いて息を呑む。これには全く関係の無い貴族達も大いに震え上がった。平然としているのは毅然と前を見据えているエリザベスと、飄々とした態度を崩さないヘスターだけだ。
「それにエリザベス嬢にそんな事をする動機など無い。なぁエリザベス?」
国王は2人に厳しい口調で断言すると、今度は穏やかな眼差しで義娘になる予定だった少女に問いかける。
「はい、私はあの時点で隣国のフリードリヒ殿下に嫁ぐ事が決まっておりましたので、彼女の仰る事は全くの的外れでございますし、殿下がどなたと婚姻なさったとしても私には既に関係の無い話です」
「はあ?何よそれ!フリードリヒと結婚するのは私なのに!」
それを聞くや否やアマーリエは青筋を立て、あれだけ縋っていたバーナードを突き飛ばしてエリザベスに食って掛かる。突き飛ばされた方はというと、突然の出来事に何が起こったのか分からずたたらを踏んだ。
聞き間違いでなければ彼女は今、隣国の王子と結婚するのは自分だと、まるで決まった予定のように話していなかっただろうか。
「おや?バーナード殿下と結婚すると意気込んでいらっしゃったのに?」
「しょうがないじゃない!フリードリヒと出会うには、一旦バーナードと恋人にならなくちゃいけないんだから!私だってこんな面倒な事やりたくないわよ!」
彼女の言葉を聞いた誰もが自分は耳がおかしくなってしまったんだろうかと疑った。
つまり彼女はフリードリヒ殿下という本命と結ばれる為に、自国の王子を当て馬にしようとしていたのか。こんなのは前代未聞、不敬も良いところだ。
心から愛し合っていると信じていた筈の彼女から実は当て馬扱いされていると知ったバーナードは、顔面を蒼白にしながら「嘘だ」とブツブツ呟いている。
それでも膝を着かないのは王族の矜持かそれとも単に固まってしまっただけなのか、本人でなければ誰にも分からない。
周囲の動揺や傍に居る彼の放心を余所に、アマーリエは大きな声でよく分からない独り言をごちる。
「何なのよ、折角ここまで来たのに全部台無しじゃない!バグだらけなんて聞いてないんだけど!えーもうどうやってリセットってしたら良いのよもぅ」
彼女はこの場にいる全ての人間を存在していないかのように、気にも留めずに混乱極まる会場を後にしようとしたが、そうは問屋が卸さない。国王が手を上げると控えていた騎士達が待っていましたとばかりに彼女を捕縛する。
「ちょっと離しなさいよ!あんた達なんかに構っている暇は無いんだから!」
「さてさて皆様。アマーリエ嬢の口から奇妙な言い回しが出てきましたねぇ。まるで人生を何回でもやり直せるかのような」
彼女がボロを出せば後はヘスターの仕事である。捕縛された彼女の周りをぐるりと歩きながら、演説するように周囲に語りかける。
「皆様が不気味に思うのも当然です。何せ彼女はテンセイシャですからねぇ。しかもマイナスの!」
「マイナスのテンセイシャだと!」
会場がどよめき、貴族達は皆アマーリエから出来るだけ距離を取ろうとする。
テンセイシャはこの国では稀に出現する来訪者の事で、基本的に既存の人間の身体を乗っ取る形で現れる。前兆も乗っ取られる人間の共通点も不明で、この国では一種の天災かあるいは恩寵として扱われている。
テンセイシャにも種類があるのは一般的に知られており、国に偉大な功績や発明を齎したり、あるいはどうしようもなく性格の悪かった人間が善人になった「プラスのテンセイシャ」。毒にも薬にもならない「ニュートラルのテンセイシャ」。
そして狡猾さと知識で歴史上に残る悪事を企てたり、善良だった人間が悪人となる「マイナスのテンセイシャ」に分かれている。
そもそもテンセイシャという存在が知られるようになったのは、人が変わったように改心した後に大きな功績を挙げた人物が、生前信頼出来る極一部の人間に自分はテンセイシャだと明かしたり、あるいは彼女のように貴人の心を略奪しようとして失敗した人間が「ヒロイン」を自称したりと、主に自己申告で少しずつ認知が広がっていったのである。
周囲に知られていないだけで、実際の数はもっと多いのではないかと研究者の間でも囁かれているのがテンセイシャの存在なのだ。
「あ、あんたこそ転生者なんでしょ!?リンブルク家なんてゲームには出て来なかった!ヒロインの私に嫉妬して嵌めようとしたんでしょう!」
「リンブルク家は昔から王家に仕える由緒正しい家柄。容姿は兎も角として名前も知らないなんて単なる貴女の勉強不足ですよ?」
ヘスターは馬鹿にしたような笑みを彼女に向ける。
事実馬鹿にしているのだ。用語を使っただけでテンセイシャと決めつける思い込みの激しさも、シナリオとやらの言う通りに動けば全て上手くいくと信じ込んでいるお気楽さも含めてだ。現実はお伽噺と違って単純ではないのである。
彼女は既にマイナスのテンセイシャの刻印を押された。覚悟も責任も無く、狙っている人間の妻になりたい欲の為に本来の王家の婚姻を滅茶苦茶にして混乱に陥れたのだから。
故に処分しなければならない。不利益を齎す存在などこの国には要らないのだ。
さっさと仕事を済ませてしまおうと、顔を真っ赤にしてキィキィ喚き立てる彼女を無視してパチンと指を鳴らす。
その瞬間膝を着いている彼女の全身が床へと縫い留められる。ヘスターが「もう良いですよ」と騎士に声を掛けると騎士達は恐る恐るアマーリエから手を退けた。彼女が使役している死霊が代わりに押さえつけているのだ。
「幸いな事に本当のアマーリエ嬢の魂はこちらで保護しております。国王の許可を頂いておりますので、この場でテンセイシャの魂の追放、並びにアマーリエ嬢の魂の返還の儀を執り行いましょう」
彼女はドレスのポケットから手の平に収まるサイズのガラスの小瓶を取り出す。これはフェイクで実際には彼女の魂はずっと傍でテンセイシャの今までの言動に悲鳴を挙げていたのだが。
本当のアマーリエは非常に運の良い少女だった。テンセイシャに身体を乗っ取られた際、元あった魂はいくつかの運命を辿る。
テンセイシャの魂と地続きになる運命、同化して1つになる運命、潰されて消滅する運命、そして肉体から追い出されてしまう運命。
そう、本当にアマーリエは運が良かった。魂が損なわれず彷徨っているところをリンブルク家の者に見つけて貰えたのだから。
加えて身体の本来の持ち主だからなのか、テンセイシャの思考は彼女にも届いていた。だからこそ自称ヒロインが行おうとした悪巧みにも事前に手を打てた。
乗っ取られたのは災難としか言いようがないが、国王も議会もエリザベスの家も事情が事情だからと温情を与えてくれるそうだ。
(良い?私が合図するからその時に身体に入るのよ)
傍らのアマーリエの魂にタイミングを教えると小瓶の蓋を開ける。それと同時にアマーリエの身体が薄紫の光に包まれた。
謎に包まれている一族の、しかもテンセイシャの魂を引き剥がす儀式なんて一生かかっても見れるものじゃない。皆固唾を呑んで一部始終を見守る。
一方ヒロインのアマーリエは肉体と魂の乖離に本能的に抗おうとしていた。体の感覚がぼんやりとしたものになり、視界はモノクロに、聴覚は水が篭ったようなものになる。
このままだとあのよく分からないモブ女の言う通りに身体を追い出されてしまう。嫌だ、まだフリードリヒと会ってすらいないのに、いやそれ以前に死んでしまうかもしれない。
(死ぬのはイヤ!どうして私が死ななきゃいけないの!私はただフリードリヒと一緒になる為にシナリオ通りにしていただけなのに!)
だがゲームの知識があるだけで、特に魔法に対し秀でた能力を持たない彼女に抗う術は無かった。一瞬何もかも真っ黒に塗り潰されたかと思いきや、気が付いたらガラスを隔てて自分を見ていたのだ。
全身を覆っていた薄紫の光が治まると、ゆっくりとアマーリエが起き上がる。彼女は身体や指を確かめるように動かすと、ほぅと息を吐く。
「どう?身体は問題無く動きそう?」
「大丈夫……みたいです……。少々重い感覚がしますが」
「今まで肉体が無かったからね。そのうちに慣れるでしょう」
ヘスターと穏やかに会話する彼女は先程と雰囲気が明らかに変わっていた。どうやら彼女が本物のアマーリエのようだ。
「アマーリエ!」
「お父様!お母様!」
騎士の手を借りて少々危なっかしいながらも立ち上がった彼女に2人の男女が駆け寄る。両親らしき男女は「良かった……本当に良かった……」と我が子をもう離さないとばかりに抱きしめ、彼女も「会いたかった……」と彼等からの抱擁を受け止める。
家族愛が窺える姿にギャラリーの中には貰い泣きする者まで居た。
今までテンセイシャの所為で別たれた家族がやっと元の形に収まったのである。冒頭に見せられた茶番よりも余程感動するワンシーンであった。
「アマーリエ……」
騒ぎが落ち着くと、今まで硬直していたバーナードがフラリと幽鬼のように歩み寄る。気配に気付いた彼女は両親と抱き合うのを切り上げるとカーテシーをしたまま動かなかった。
「アマーリエ、もう俺と一緒になる気は無いのか?」
その問いに彼女は面を上げる事無く答える。
「男爵の娘の身で、殿下の妻になろうなど恐れ多い事でございます」
「どうしてもか……?」
「平に、平にご容赦を」
彼女の態度は頑なで、昨日まで向けていた甘い雰囲気はどこにも無く王子に対する臣下のそれであった。
「そうか……」
燃えるような恋を教えてくれた少女だが、先程までの少女は自分を利用しているだけだった。そして本来の彼女にその気は無い。愛していたからこそ拒否する彼女に無理強いは出来なかった。
騎士に促され会場から退出しようとする。その際チラリと己の元婚約者を視界に入れた。
「すまない……」
エリザベスは答えない。ただ扇子に隠した口元を噛み締めていた。これから彼には重い罰が待っている。もう二度と会う事もないだろう。
「さて、愚息とテンセイシャの勝手で変な空気になってしまい申し訳ない。先程彼女が話したようにエリザベス嬢は隣国の王子との結婚が決まっている」
暗い雰囲気を払拭すべく国王が努めて明るい声を出す。バーナードとは破局したが明るい話題もあるのだ。
「そこでここからはエリザベス嬢の結婚の前祝いと、アマーリエ嬢の帰還のパーティとする。皆の者無礼講だ、大いに騒ぐと良い」
国王の言葉に緊張感と動揺で包まれていた会場が漸く歓喜のざわめきへと変わる。エリザベスと懇意にしていた貴族が次々と祝いの言葉を述べ、それに応える彼女も肩の力が抜けたのか表情は穏やかであった。
「ヘスター様ヘスター様、パーティですって!行きませんか?」
アマーリエが身体を取り戻すまで一緒に過ごしていた彼女を誘う。その様は見えないシッポが揺れているようで、それが可愛いと思うなんてとすっかり絆されてしまった自分に苦笑した。本来の彼女はきちんとした常識を持ち合わせながらも憎めなさと愛嬌がある子なのだ。
少しの間は根も葉もない噂が流れるかもしれないが、彼女ならきっと払拭出来るだろう。近いうちに素晴らしい相手との出会いも訪れる筈だ。
「気持ちは嬉しいのだけど私はこれの処理をしないとね。脱走されても困るから」
ヘスターはテンセイシャの魂が入った小瓶を振る。トラウマになっているのか、中身が見えていないにも関わらず彼女の顔が曇った。
「それよりも親子水入らずの時間を過ごしなさいな。折角元の身体に戻れたんだから」
「そうですね……、分かりました!行って来ますね!」
彼女は本来のとびきりの笑顔を見せると、離れた所で待っていた両親の元へと弾む足取りで向かって行く。身体を取り戻したばかりなのに、はしゃぎすぎて翌日熱を出さなければ良いのだけれど。
ヘスターは両親と楽しそうに会話をするアマーリエを見届けてから背を向けて会場を後にする。そして適当な場所まで歩いて人目が無いのを確認すると、兄から借りていた死霊の能力で自室へと瞬間移動した。
馬車で帰っても良いのだが、先程からずっとガラス瓶に閉じ込めているテンセイシャの喚く声が煩いのだ。
「あーもう、肉体が無くなったのによく元気でいられるわねぇ」
ヘスターはガラス瓶を複雑な魔法陣が描かれた箱に入れて蓋を閉める。煩わしかった声もピタリと止んでやっと人心地つけたと吐息を漏らした。
箱には死霊を封印する機能があり、これに入れられた死霊はたちまち所謂気絶状態に陥るのである。
「おかえり。その様子だと無事に仕事は果たせたみたいだね」
「ただ今戻りましたお兄様。お土産もこの通り」
たった今テンセイシャの魂を封じた箱を指差すと「疲れただろう?父上と母上も待っているよ」とリビングへ行くよう促す。
「今回のテンセイシャはどうだい?何か収穫は見込めそうかな?」
「今のところは何とも。未知の専門知識を有しているとは思えませんし、契約したとて良い能力が発現するかどうか……。強いて言えばこの世界の近日の未来くらいですね」
「ふぅん?まぁそれはそれで手足や労働力が増えるのは良い事だよ。善良ではない分扱いには困らないからね」
リンブルム家は捕らえたテンセイシャの魂を様々な事に使ってきた。あてもなく彷徨っていた善良な者には、能力に応じて話し相手や講師、伝達役などの仕事を振り分けて報酬として魔力を与える。
そして自称ヒロインのアマーリエのような、毒にしかならない魂は自我を消滅させ通常時は純粋な労働力として、あるいは知識だけを機械的に齎す存在として扱う。
リンブルム家には長年そうしてテンセイシャから教えてもらった知識や技術を膨大に保有しており、必要になる時が来れば直ぐに取り出せるようにしているのだ。
今後アマーリエも目ぼしい知識を吸い上げたら自我の漂白処理を施して労働力にするつもりだ。この家は使用人の数を限定している分死霊で補っているのだから。
これを自業自得と言うか、やり過ぎと言うかは人によって分かれるであろう。しかし彼女はあまりに悪目立ちし過ぎてしまった。
単にテンセイシャだからと根拠の無い万能感に酔って秩序を乱し、1人の少女に冤罪を被せようとした。それは立派な犯罪行為であり、処罰対象でもある。
身の丈に合った行動をしていれば目を付けられる事もなかったのに、彼女はまさに己の野心によって自滅したのだ。
だからこそヘスターは常々思っている。
「幸せを求めるにしろ、筋を通さないと排除されるってね」
ヘスターのおちょくった喋り方はわざとです。転生者のアマーリエをおちょくっているのです。