32 禁忌を犯す契約
瞬きの間に、世界が一変しており先が見えない光なき夜に銀色の水面が広がっていた。
1メートルはありそうな丸く、銀色のカウンターチェアに座っていた。
「え、なにここ」
「本当に運がない…このタイミングで人形遣いに会うなんて」
いつの間にか、対面に同じくカウンターチェアに座ったマリアナが肘を組んだ足に付けていた。
「え、ここどこ」
「私の領域。深層心理ともいう」
くらい世界の中で、月光に煌めく水面のように地面だけがゆらゆらと波打っていた。
光源なんてない筈なのに、水面は煌めき私は彼女の顔が見える。
「本当は、きちんとハンターになってから問いたかったのだけれども」
「彼はマリアナより強いの?」
少し疑問に思っていたことを聞いてみる。
マリアナははぁ!?という顔でこちらを指差す。
「私の方が強いわよ!」
「えーでも、ぜーんぜん助けてくれないじゃん」
「幽霊はできることが限られているの!」
本当だろうか?という気持ちは口にはしない、私は大人だからだ。
「どうしてここに連れてきたの?」
「…あなたに問いたいことがあります」
マリアナはんんと仕切り直すと、組んでいた足を戻し姿勢を正してこちらを見つめる。
自然と私も姿勢を伸ばして、その質問を待つ。
「まだ、吸血鬼は好きですか?」
「それ…は」
自分の中で落とし前をつけた議題であったが、こうして再度問われるとナナヤやスワナレのことがフラッシュバックして戸惑ってしまう。
この世界と同じ色のマリアナの目が、こちらを見つめる。
瞼を閉じて、深呼吸をする。
『うちの目的はあの糸目野郎に一発拳を入れてやることや』
『過去に囚われて生きるのはまっぴらごめんだね』
『今よりも自由な日々を手に入れる』
『私は、居住区間を自由に行き来出来るハンターになりたいの』
あまりにも無様に殺された。
尊厳もなく敬意もなく、子どもが無邪気に虫を殺すように、吸血鬼は人間を弄んで殺す。
怒りもある、憎しみもある…力があればと、あのクソッタレなデルミーを殺すのは私でありたかったという気持ちは本当だ。
けど、それは彼自身に対する私の怒りだ。
決して、間違っても吸血鬼という種族に向けるものではない…その一線は越えたくない。
『此処にいる君達皆を守らなくちゃいけないからね!』
『私達は先生ですから、君達を好奇心から守るのも役目です』
子どもながらに感じた愛を、腕の中の温かさを否定したくはないのだ。
「…好きです」
マリアナは、満足したような顔で笑う。
「地獄を見る気はあるかしら?安息などなく、終わりなどない、血と欲望と思惑の道を私と共に歩いてはくれるかい?共犯者?」
「その先に、今よりもましな未来があるのなら」
マリアナは、椅子の上に立つと両手を広げて私を見下ろし告げる。
「よろしい、ならば地獄への切符は発行されたわ。このより先は悲劇と裏切り、疑心と畏れの再公演といこうじゃない!」
その言葉に呼応するように、体が水の中に堕ちて行く。
無数の空気の泡と、光がないのにどこまでも先を映し出す水の中で銀色の髪が綺麗に靡いている。
「覚悟を礎に魂を。決意を糧に肉体を。
魂は巡り、生命は循環する。
今ここに、迫りくる破滅へ抗うために禁忌を犯すことを許したまえ。
神たる貴方に告ぐ、契約は結ばれ、我らは共に剣となるだろう。
―approbation
運命はここに。
汝の生は、我の力で保証する。
我の生は、汝の覚悟によって保証せよ。
死だけが、我らを分かつだろう。
―生き残りたいなら、最期の最後まで足掻き続けなさい契約者」
マリアナの言葉を聞くと、この何処までも続く水と体が一体化したような感覚に陥っていく。
水の中で渦巻きが祝福するように生成され、宝石のような空気の泡が水の中を包んでいく。
マリアナは手の届かない場所にいる筈なのに、その手を掴んだ。
絶えず体は水の底に沈んでいる筈なのに、ぐんぐんと上がっているような気持ちになる。
「ここから先は任せなさい、初回サービスよ幽霊の力を見せてあげる」
耳元で聞こえるような、脳内から聞こえるような、世界が囁いているような…そんなマリアナの声が聞こえた。
体の主導権が、私からマリアナに移り水の中で映画を見るように彼女の視点から、世界の視点から外の世界を見つめる。
恐怖はなかった。
彼女は私で、私は彼女だ。
彼女は彼女で、私は私だ。




