マンガの注文で、また一つの終わりと可能性を知る
「ランウェイで笑って」を、書店注文に行った。
アニメを以前見て、「おお、シビアなとこついてるなあ」と感動したオシャレ(パリコレ?)マンガなので、手持ちにない11巻から22巻(完結)までを、作者のお金になるように買いたかったのだ。
メルカリっても問題はないが、何しろ自分も物書きをまだ目指している身である。
作者にお金が入らないのであれば、将来自分が良いものを書いたときにも、お金が入らない。
自分の人生の周りは、常にループしているのである。
と、いうわけで。
「15、16、17巻は、在庫がないようです。新しく刷られる予定もありません」と書店員さんに告げられてしまった。
え!? これほど面白くても、増刷ない?
僕が確認したオビでは、たしか170万部はいっていた。
しかし、一昔前(10年、20年前)なら、累計300〜500万部くらいでもおかしくないレベルである。
もしかして後半グダグダ? とも思ったが、明らかにラストを意識した初期設定だし、それまでのクオリティからは考えにくい…
今の時代の書物の厳しい状況を、再認識させられてしまった。
だいたいにおいて、世に簡単で面白いものが多すぎるのである。
今期の地上波ドラマだけでも、僕の脳ではいくつか追いつかなくて、諦めなくてはいけなかった。
録り溜めておいて後で見る、というのも僕には無理である。
どのみち次でも、諦めなくてはならないドラマが何本も出てくるのだから…
歳をとると、大抵のものから何でも学べるようになるので、若い頃のスピード感覚でものを取り入れられなくなる気がする。…特に僕は、心に引っかかった作品はじっくりと楽しみたいので、「休みは、朝から晩までずっと録り溜めてたアニメやドラマを見てる」というような友人とはほとんど話が合わない。
とにかく心をカラッポにして、その作品を見たくてウズウズするまで待つことが僕の楽しみと…苦しみの一つである。
できれば、数多くの作品を消化して、良い話を書いていきたいと思うのだが、それができる人と、できない人の違いは何だろうと思う。
プロの作家とは、書くのをやめなかった素人のこと、というような言葉があったが、どうやら僕はまだまだ、そんな境地にはたどり着けないのかもしれない。
…ただ、良い文章や作品に触れることは 極上の音楽を聴くことに近い気がするので、やはりそんな場所にたどり着きたいと思うのである。
魔法のような文章家。
それを目指しながら、今日も僕は、「ランウェイで笑って」の手に入らなかった残巻を、メル買うのかどうか、迷うのであった…