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名前のない物語

時は再び動き出す

作者: 中田カナ
掲載日:2022/02/22

 昨夜からの強風はまだ続いている。

 曇ってはいるけれど雨が降っていないのが救いかな。


 今日は人と会う約束がある。

 近道するため大きな公園の中を歩いていたら、目の前にたくさんの紙が飛んできた。

「すみません!それ、拾ってください!」

 声がした方を見ると、若い男性が悲痛な叫び声を上げていた。


 中途半端な時間なせいか、公園には男性と私以外誰もいない。

 このまま飛んだら噴水のある池まで行ってしまうだろう。

 無言のまま念じると、飛んでしまっていた紙はすべて私の手元に収まった。

 どの紙にもびっしりと手書きの文字が書き込まれている。


「これ、どうぞ」

 息を切らしながら駆けてきた男性に紙の束を手渡す。

 遠くからじゃ気付かなかったけど背が高い男性で、背の低い私は見上げる姿勢になってしまう。

「あ、ありがとう、ございます」

 受け取った男性が紙の束を確認する。


「すごい!順番まで元通りになっている。貴女はとても優れた風魔法の使い手なのですね」

 本当は風魔法じゃないんだけど、そう思ってくれたならその方がいい。

「あやうく数か月分の苦労が水の泡になるところでした。どうかお礼をさせてもらえませんか?」

 紙の束を大きな封筒にしまいながら男性が言った。


「いえ、たいしたことはしていませんし、これから人と会う約束があるので」

 そう言ってこの場を去ろうとしたら腕をつかまれた。

「あの、これ僕の名刺です。いつでもいいので連絡ください。必ず!待ってますから!」

 半ば無理やり名刺を握らされ、一礼だけして公園を出る。


 残念ながら私には名刺の文字を読むことができない。

 きっともう会うこともないだろうと思いながら、年季の入った肩掛け鞄に名刺をつっこんだ。



 商業街の大通りから少し入ったところにあるとても小さな骨董品店。

 古めかしい扉を開けると内側に取り付けられたベルが鳴る。

「いらっしゃい。待っていたわ」

 紫色の凝った編み目のストールを羽織った年配の女主人が出迎えてくれた。


 店の片隅にある商談用の応接セットへ案内される。

「その節はいろいろとありがとうございました。これ、ささやかですけどお礼です」

 お茶を出してくれた白髪の男性が去った後、持ってきたお菓子の箱を手渡す。

「あら、わざわざありがとう。今はもう落ち着いたかしら?」


「はい。お爺ちゃんは死期を悟ってから少しずつ整理しておいたみたいで、処分するものもあまりなかったです」

「そうね、書類関係は私にも頼みに来てたもの。それで相談って何かしら?まだ何か手続きが必要だった?」

 首を横に振る。

「あらそう。では何かしら?」


「実は大家さんから『再開発で建物を解体することになったので半年以内に出て行って欲しい』と言われたんです。勤めていた近くの食堂も同じように立ち退きを求められたそうで、ご夫婦も年齢的に潮時と考えて閉店することになりました」

「ああ、あのあたりはそうだったわね」

 昨年の冬、下町エリアで大規模な火災があった。

 私の住まいも食堂も被害は免れたけれど、王都では火災に強い街づくりを目指して再開発が行われることになったのだ。


「つまり、新たな職と住まいが必要になったわけね」

「はい。お爺ちゃんが残してくれたものと私自身の蓄えが少しはあるのですが、今後の生活を考えると早めに何とかしなきゃと思いまして相談にまいりました」


 女主人がため息をついた。

「うかつだったわ。再開発計画が持ち上がった時点で貴女のことも考えておくべきだったわね。王都ではすでに物件不足で、手頃なものはほとんど残っていないのよ。うちが所有する物件もあっという間に空きがなくなったわ」

 骨董品店の女主人の亡くなった夫は資産家で、商業街を中心に土地や建物をたくさん持っていた。

 引き継いだ女主人はその家賃収入だけで悠々暮らしていける。

 この骨董品店も趣味でやっているもので、同好の志と語らえる場が欲しいから続けていると聞いた。


「これからもうちから仕事を出すつもりではいるけれど、収入が不定期では貴女も困るものねぇ」

 黙ってうなずく。

 私とお爺ちゃんは時々この女主人から仕事を請け負っていた。

 あくまで副業としてだが、それは私達にしか出来ない仕事で、1回あたりの収入は大きかったのだ。

「わかったわ。今すぐとはいかないけれど、こちらでも手立てを考えるわ。いざとなったらしばらく私の屋敷にでも」


 カランカラン


 不意に扉に取り付けられたベルが鳴る。

「こんにちは。お邪魔します…って、あれ?貴女はさっきの」

 入ってきたのは公園で紙を飛ばしてしまった若い男性。

 目が合ったのでペコリと頭を下げる。

 会うこともないだろうと思っていたのに、あっさり再会してしまったようだ。


「いらっしゃいませ。こちらへはどなたかのご紹介で?」

 立ち上がった女主人は男性に声をかける。

「こちらが僕の名刺、そしてこの封書が紹介状になります」


 女主人は紹介状に目を通す。

「ああ、あの方の紹介なら心配なさそうね。それでご依頼は何かしら?」

 男性は鞄から緻密な模様が施された古い木箱を取り出す。

「祖父が愛用していたこの懐中時計を直していただきたいのです。次兄が結婚することになり、1番上の兄がこれを直して祝いの品として贈ろうと提案し、直してもらえるところを探していたところ、こちらを紹介された次第です」

 女主人が白い手袋をはめて懐中時計を木箱から取り出す。


「聞いているとは思うけど、必ず直せるとは言えないわ。それから長い付き合いだった職人が亡くなって、今はその弟子しかいないの。実力はあると思うけどまだ若いし、1人になって初めての仕事になるわ」

 女主人は一瞬だけ私の方を見た。

「ここでダメならあきらめるつもりです。御礼はできる限りのことをさせてもらいますし、もし時間がかかるようなら次兄の結婚に間に合わなくてもかまいません」


 女主人がさっきお茶を出してくれた白髪の男性を呼んで小声で話しかけると、男性はすぐに奥へ引っ込んでしまった。

「書類を用意させるわね。ところでこちらの彼女とは知り合いでしたの?」

「先ほど大事な原稿を風で飛ばしてしまったのですが、彼女が風魔法ですべて取り戻してくれたのです」

 女主人が不思議そうな表情でこちらを見たが、私は小さく首を横に振った。

「ああ、名刺には小説家とあったわね。貴方の作品、私も読んだことがあるわ」

 あれは小説の原稿だったのか。


「光栄です。ところで彼女もこの店のお客さんなのですか?」

「いいえ。彼女の保護者とは長い付き合いだったけど、その保護者が亡くなった上に再開発で職と住まいを失いそうなので相談に来ていたの」

 驚いた表情になる男性。


「失礼ですが、貴女は家事はできますか?」

「あ、あの、生活魔法は一通り使えますし、勤めていた食堂では調理の手伝いもしていました」

 生活魔法にもいろいろあるが、私は火や水だけでなく清浄も使える。

 そして食堂で出していたものは一通り作れるようになっていたし、まかない料理は私の担当だった。


「もしよろしければ先ほどのお礼を兼ねて我が家の家事をお願いできませんか?仕事が軌道に乗って1人暮らしを始めたのですが、お恥ずかしいことに家事が苦手で特に料理がひどく、誰か雇おうと考えていたところだったのです」

 この国では誰でも魔力を持っていて、生活に便利な魔法はごく普通のものとして使われている。

 そして特別な能力を持つ人もわずかながらいるのだが、そういう人は他の何かしらの能力が欠けているといわれている。

 この男性が料理を苦手とするのもそういう理由なのかもしれない。


「部屋は余っているので住み込みでもかまいません。ああ、もちろん鍵を掛けられる部屋をご用意します。それと、できれば仕事の資料整理なんかもお願いできると助かるのですが」

 私は首を横に振ってうつむく。

「ごめんなさい。私、文字が理解できないんです」

 驚いた表情に変わる男性。


「私から説明するわ。ただ、絶対に他へは漏らさないと約束できるかしら?」

 骨董品店の女主人が話に割り込んでいた。

「もちろんです」

 男性が力強くうなずいた。


「彼女と亡くなったその保護者は復元の能力を持っているの。この懐中時計も彼女に依頼することになるけれど、復元にはその物に対する人々の思い入れが一番の力となるわ。だからうちでは必ず直せるとは言えないの。思い入れがないものは直せないから」

 女主人が私の方を見た。

「おそらく風で飛ばされた原稿を取り戻したのも復元の能力だと思うのだけど?」

 うなずく私。

 あれは男性の思い入れがとても強いものだったからやりやすかったのだ。

「ああ、だから並び順までちゃんと揃っていたのか」

 男性は納得したような表情をしていた。


「そして復元の能力の代償として、彼女はいくら教えても文字を理解できないの。亡くなった彼女の保護者は色が識別できなかったわね」

 そう。

 だからどうしても職の選択肢は限られていた。


「彼女を雇ってもいいけれど、今後もうちからの依頼で復元の仕事を請け負うこと、それ以外で復元の能力を安易に使用しないこと。これらを守っていただけるかしら?」

「あの、もう少し詳しくご説明いただいても?」

 真剣な表情で男性が女主人に問いかける。

「復元の仕事は不定期になるから安定収入とはいかないけれど、報酬は高めだから彼女のためにもなるわ。そして復元は場合によっては精神的な負担になることもあるの。だから事前にこちらでも依頼品の調査をするのよ」


 過去の出来事とはいえ悪意を感じると不快な気分になるし、持ち主の死を感じれば気持ちがどうしようもなく沈む。

 今までやっかいなものはたいていお爺ちゃんに割り振られていた。

 だけどこれからはそうも言っていられなくなる。

 だって復元できるのは私しかいないのだから。


「わかりました」

 男性がうなずいてから私の方を向いた。

「改めまして貴女に住み込みで家事全般をお願いしたい。よろしいでしょうか?」

「はい。こちらこそよろしくお願いいたします」

 なぜかこの人なら大丈夫と思えたので引き受けることにした。

 こちらとしても住まいと職の問題がいっぺんで片付いて助かるし、復元の仕事も認めてもらえるのならいいことずくめだ。



 その後、数回にわたる話し合いの末に私は男性の家で住み込みで家事全般を請け負うことになった。

 骨董品店の女主人が文字を読めない私の代わりに契約書類を吟味してくれて、噛み砕いて読んでもらって納得した上で契約した。


 雇い主である男性は小説家なので先生と呼ぶことにした。

 ご主人様か旦那様と呼ぼうとしたのだが拒否されてしまった。

「そんな柄じゃないないから勘弁して!本当は先生も慣れてはいないんだけどね」


 話し合いの際に先生は男爵家の三男であることが判明したが、すでに家を離れて独り立ちしているので現在は身分的には平民であるらしい。

「家の中ではくだけた話し方にさせてもらうよ。できれば貴女も気軽に接してもらえるとありがたいな」



 文字を理解できない私には無縁だったので知らなかったけど、とても有名で売れっ子の小説家であるらしい。

 私より10歳年上の26歳で、学生時代から小説を書いていたそうだ。

「ペンネームを使っていて本名は明かしていないから誰からも気付かれないんだよ」

 笑いながらそう話してくれた。

 そういうものなのか。


 住まいは商業街の裏通りにある3階建ての建物の最上階で、1階と2階は文具問屋とその倉庫になっている。

 私には玄関に近い小部屋が用意され、ちゃんと内側から鍵をかけられるようになっている。

 お爺ちゃんと暮らしていた頃の私の部屋は屋根裏部屋だったから、ここはとても広く感じる。

 新品のベッドと箪笥、鏡台まで用意してくれていた。

 机と椅子もあったけど、私は本を読んだり手紙を書いたり出来ないから裁縫の作業用になりそうだな。


 一番奥が先生の寝室で、その手前の部屋が仕事部屋。

 他には資料置き場の小部屋と打ち合わせなどに使う応接室。

 あとは台所と食堂と居間、洗面所や浴室などがある。


「そうそう、資料整理はやらなくていいからね」

「お役に立てなくて申し訳ありません」

 こればかりはどうしようもなくて頭を下げる。

「いや、むしろそれでいいのかも」

 聞けば大先輩の小説家で弟子にアイデアを書きとめたノートを盗まれた人がいるのだとか。

 弟子が盗用したアイデアで小説を出版し、裁判沙汰にまでなったらしい。

 その点、私なら何が書いてあるかまったくわからないから安心だよね。



 私なんかの庶民的な料理を貴族だった先生に出していいのか?と、最初の頃はとまどったけど、喜んで食べてくれて、よくおかわりもしてくれる。

「貴族の食事は決まりごとが多くて大変だったけど、ここなら気楽に好きなだけ食べられて大満足だよ」


 先生の強い要望により使用人である私も一緒に食卓につく。

「1人で食べるのってなんか寂しいでしょ?」

 それはわかる気がする。

 家ではお爺ちゃんと一緒に食べていたし、勤めていた食堂ではみんなでいろんなことを話しながらまかない料理を食べていた。


 食事中の雑談でお互いのことを少しずつ知っていく。

 先生のご両親は馬車の事故ですでに亡くなられていて、年の離れた一番上のお兄さんが男爵位を継いでいる。

 2番目のお兄さんは王宮の文官をしているそうで、婚約者の女性も王宮の女官とのこと。


 私は亡くなったお爺ちゃんと血のつながりがなかったことを打ち明けた。

 実の両親は北の地方から職を求めて王都へ出てきたものの、流行り病で相次いで亡くなった。

 お爺ちゃんが言うには、特別な能力の持ち主は自分と同じ能力を持つ者を見分けられるそうで、孤児院から私を引き取ることにしたそうだ。

 血のつながりはないのはわかっていたけれど、お爺ちゃんは不器用ながらも私にたくさんの愛情を注いでくれていたと思う。



 先生のところでの生活にも慣れた頃、復元の仕事を再開させることにした。

 独り立ちして初めての仕事は、先生が骨董品店に持ち込んだ懐中時計。

 もうお爺ちゃんはいないから助言はもらえないけれど、今までと同じようにやるだけだ。


 家事をすべて済ませ、明日の朝食の仕込みまで終えてから自分の部屋で懐中時計と向き合う。

 こういう作業は静かで集中しやすい夜が向いている。


 復元の作業は依頼品が見てきたものをたどる旅のようだと思う。

 新品に戻すのではなく、一番よかった時代へ戻してほしいという依頼が一番多い。

 今回も先生やご兄弟の皆さんと持ち主だったお爺様が仲良く幸せに過ごしていた時代を望まれている。


 依頼品が生まれてからの流れを少しずつ見ていく。

 頭の中にいろんな場面が浮かんでくる。

 懐中時計の中の機構は市販品だが、蓋の装飾は職人の手による一点もので、内側には男爵家の紋章も刻まれている。

 先生のお爺様より数代前の方が依頼して作られたもので、自慢の一品であったらしい。


 数日かけて依頼品の過去を見ていき、先生やご兄弟の誕生を祝う景色も見えた。

 私にはあまり縁のなかった幸せな家族の光景がそこにあった。

 さて、そろそろ復元すべき時を見極めなければ。


 そう思ったところで唐突に場面が変わった。

 それは先生のお爺様が亡くなる瞬間。

「?!」

 光景が消えたところで震える手で懐中時計を木箱に戻す。


 真夜中の1人きりの部屋で速くなった心臓の鼓動がおさまらない。

 こんな時は寝るしかないと思ってベッドにもぐりこむけれど、さっき見た光景が繰り返し再生されて寝付けない。

 もちろん過去の依頼品でも死の場面は何度もあった。

 でも、こういうのはきっと今までお爺ちゃんが対応していたのだろう。

 先生からも骨董品店の女主人からも聞いていない出来事を目の当たりにして私自身も混乱していた。



 翌朝。

「何かあったのか?食事にまったく手をつけていないし、顔色もよくないようだが」

「…申し訳ありません」

 ほとんど眠れずに朝食の支度をして先生と食卓についたものの、まったく食欲が起きない。

 無理して食べても吐きそうだ。

 こんな時、お爺ちゃんはどう対処していたんだろうか?


「もしかして復元の仕事の影響かな?」

 こくんとうなずく。

「今やってるのは僕の依頼品の懐中時計だったよね?僕も当事者だから、もしよければ貴女が抱えているものを話してはもらえないだろうか?」

 しばし考える。

 もしかしたらあれは誰も知らない真実なのかもしれない。

 それならば。

「先生、朝食の後でお時間をいただけますか?」

「わかった」



 朝食後、普段なら先生はすぐに仕事部屋へ入るけど今日は居間へ移動。

 まずは先生の好きな珈琲をお出しする。


「ここ数日、毎晩依頼品の懐中時計と向き合っていました。先生やご兄弟の皆さんの幼い頃の光景も出てきました。お爺様は細身でとても優しそうな笑顔の方だったんですね」

 先生が珈琲のカップを持つ手を止めた。

「復元の能力ってそういうのも見えるのか?」

「はい。私は見えるだけですが、お爺ちゃんは時々声や音も拾えていたみたいです」


「それで昨夜は貴女が衝撃を受けるような光景があったんだね?」

「…はい」

「聞いてもいいかな?」


 うなずいて一度息を吐き出してから話し始める。

「私が見たままを話します。壁に剣が何本も飾られた部屋で、片方だけの眼鏡をかけた白髪の男性が笑顔で近付いてきて、いきなり短剣で先生のお爺様の胸を刺したんです」

 先生が持っていた珈琲のカップが床に落ちて割れた。

「男性はお爺様が自ら胸を刺したように見せかけるため短剣を握らせて去っていき、しばらく経って部屋に現れて初めて見たかのように騒ぎだしたんです。そしてこの懐中時計はそこで自ら動くことをやめました」


 しばらく沈黙が続いたが、やがて先生がつぶやいた。

「…つまり、祖父は殺された、と?」

「はい。私が見た過去の中ではそうでした」

 しばらく先生は黙っていたが、やがて口を開いた。

「あの頃の祖父は事業でトラブルを抱えていた。だが僕達兄弟にはとても優しく、強い信念を持つ人だった。だからずっと死を選ぶなど信じられずにいた」

先生はどこか遠くを見つめるようだった。


「貴女の見た光景から犯人が誰であるかわかる。だが、すでに時が経ちすぎているな。犯人の男も祖父と同じくすでにこの世にはいないから罪を問うこともできない。ただ、祖父は決して自ら死を選ぶ人ではなかったことは兄達に告げようと思う」

 先生は立ち上がった。


「これから出かけるから君もすぐに支度をしてくれるかな」

「えっ、私もですか?」

 調子がよくないから留守番するつもりでいたのだが。

「ああ。僕は兄のところへ向かうが、その間は骨董品店の女主人に貴女を預けようと思う。今の貴女を1人にはしておけないからね」

「あ、あの、その前に割れた珈琲カップを片付けさせてください」

 本当は復元しようと思ったけれど、新品のせいか思い入れを感じないものだったし、昨日からの動揺がまだ収まっていなくて上手くできる気がしない。

「これくらい僕が片付けるよ。落としたのは僕だし、貴女に怪我してほしくないからね」



 先生が辻馬車をつかまえて、あっという間に骨董品店に着いた。

 事情を先生が説明すると女主人に抱きしめられた。

「この子は私がしっかり預かるから安心して」

「よろしくお願いします」

 先生が女主人に頭を下げ、次に私に近寄ってきた。

「できるだけ早めに迎えに来る。それから何でもいいから少しは食べるように」

 頭をくしゃくしゃとなでられて先生は骨董品店を出て行った。


 応接セットに腰掛ける。

「ハーブティーを用意したわ。気持ちが落ち着くと思うわよ」

 優しい香りに誘われて手を伸ばす。

「あ、美味しい」

 少しスッとする感じが心地よい。


「そうそう、常連さんからいただいた焼き菓子もあるから食べてみて」

 薔薇が描かれた美しい皿には焼き菓子が数種類。

 一番小ぶりなものは、ほんのりと柑橘の香りがした。

「これも美味しいです」

 食べても気持ち悪くならないみたい。

 もう1つ別なものを口にする。

 どうやらだいぶ落ち着いてきたようだ。


 女主人が隣に座って私の肩を抱き寄せる。

「独り立ちして最初の仕事はやっかいなものだったみたいね。もし貴女が嫌ならこの件は断ってもいいのよ?」

「いえ、やります」

 確かに先生のお爺様の死は衝撃だったけど、それより前の幸せだった家族の笑顔を見てしまっている。

 あの時点に戻してみせる。


「わかったわ。そのためにはまず少し横になって休みなさい。その様子じゃ眠れていないんでしょう?」

 そう言って毛布を手渡される。

 少しだけど食べられたせいか眠気がやってきて、我慢できずにこてっと横になる。

「今日は閉店にしたから安心して休んでね」

 そんな声が聞こえた気がした。



 誰かの話し声で目が覚める。

 ゆっくりと目を開けると、テーブルを挟んだ向こうのソファーには先生が座っていた。

「お、起きたみたいだな」

 しばらく状況が理解できずにいたが、だんだん頭がハッキリしてきてガバッと起き上がる。

「先生!来てたのなら起こしてくださればよかったのに」

 苦笑いする先生。

「ついさっきだよ。よく眠っていたから、もうしばらくそっとしておこうと思ってた」


「目が覚めたのね。気分はどう?」

 女主人もやってくる。

「ありがとうございました。おかげさまでスッキリしました」

 まだぬくもりの残る毛布を返した。


「さて、帰ろうか」

 立ち上がった先生が私のいるソファーの方へまわってきて手を差し出す。

 私が差し出した手を掴んで立ち上がらせてくれて、女主人が笑顔で見送ってくれた。


 帰りに先生お勧めの料理店で食事を取った。

 私はメニューが読めないので、先生がいくつか私に質問して選んでくれる。

 肉か魚か聞かれたけど、魚料理は自分ではあまり作らないので選んでみたが、とても美味しいものだと知った。

 簡単なものでもいいから魚料理も作れるようになりたいけど、料理の本も読めないんだよなぁ。


「骨董品店で聞いたけど、懐中時計の復元は継続するんだって?」

 食後の珈琲が出てきた時点で先生が尋ねてきた。

「はい。中途半端なことはしてはいけないとお爺ちゃんに言われてますから」


「だけど僕は貴女に無理して欲しくないと思ってる」

 困った表情を見せる先生。

「大丈夫です!依頼品ともう十分に向き合って復元の時期も見極めましたから、あとは復元するだけです。あ!でも、できれば復元の翌日は半日ほど家事の方をお休みさせていただければと思うのですが…」

「それはかまわないけど、理由を聞いてもいいかな?」

 先生が不思議そうな顔をする。


「復元は魔力をごっそり持っていかれるんです。もちろん魔力回復薬も使いますけど、一晩寝ただけでは回復しきれないことがあるので」

 なぜかあきれ返ったような表情の先生。

「支障がなければ僕も同席していいかな?同じ家の中で貴女が倒れているのに気付けないなんていうのは嫌だからね」


 こちらからお願いしようと思っていたら先に言われてしまった。

「かまいません。お爺ちゃんからも安全のためにもやっかいなものを扱う時は誰かいる環境でと言われていますから」

「まったく君という人は…」

 先生が大きなため息をつく。

「僕がいなかったらどうするつもりだったんだ?」

「骨董品店の片隅でやらせてもらおうかな~って思ってました」

 再び先生がため息をついた。



 数日経って体調もすっかり回復し、魔力もバッチリな状態になった。

 明日のために料理もいくつか作っておいて、あとは温めるだけの状態になっている。

 いくら料理が苦手な先生でも温めるだけなら出来る…はず。


 やがて夜になった。

 今日のすべての仕事を終え、復元後に魔力切れで倒れてもいいように寝巻きを着てストールを羽織り、自分の部屋のベッドに腰掛ける。

「そろそろやるのかな?」

 開けっ放しにした扉から先生が顔を出した。

「はい」


 先生は私の部屋の中へは入らずに扉のところで立っている。

「それでは始めます」

 凝った装飾の木箱の中から懐中時計を取り出し、両手で包み込むように握って目を閉じ、額に近づける。


 みんなの笑顔が揃っていたあの時へ戻ろうね。

 手のひらの間に温かな熱が生まれる。

 目を閉じていてもハッキリわかるくらいの光も発生している。


 カチコチカチコチ


 魔力がごっそり失われ、光と熱の中で再び時を刻み始める音がする。

 やがてゆっくりと光と熱は収まっていく。

『ありがとう』

 最後に少ししわがれているけれど優しそうな男性の声が聞こえた気がした。


「…終わり、ました」

 落としそうになった懐中時計を先生がすぐに拾い上げて木箱に戻す。

「すぐに飲んで!」

 蓋を開けた魔法回復薬の小瓶を持たされ、ものすごく苦い液体を口にする。

 いつも思うけど値段が高い薬なら味も改善して欲しいんだけどなぁ。


 飲み終えたらもう座っていられなくて倒れそうになったけど、先生がすぐに支えてベッドへ寝かせてくれる。

「おつかれさま。ゆっくりお休み」

 部屋が暗くなり、扉が閉じる音がした。



 翌日はお昼前に目が覚めた。

 まだちょっとだるいけど、動けないほどじゃないから午後から仕事できそう。

 そう思って自分の部屋から出ようとしたら先生に捕まった。

「貴女は今日1日しっかり休むこと!」


 食堂に座らされ、私が作っておいたスープを温めて持ってきてくれた。

「先生はちゃんと食べたんですか?」

「あ、ああ」

 なぜか視線をそらされたが、何かあったのだろうか?

 温めるだけのはずだよね?


 食事を終えると部屋に押し戻された。

 言われるままベッドで横になるけれど、たくさん寝たから正直眠くない。

「あの、眠くないのでもう起きたいですんですけど」

 一瞬何か考えた先生が立ち上がる。

「ちょっと待ってて」


 部屋を出て行った先生が本を1冊持って戻ってきた。

「これはまだ発売前の僕の本。出版社から頼まれて初めて書いた子供向けのお話なんだ。そんなに長くないから聞いてもらえるかな」

「…はい」


 先生が読み始めたのは少年と妹が海の中にある不思議な国へ行く物語。

 いろんな海の生物に出会って助けられたり助けたり。

 そういえば孤児院にいた頃も、たまにだけど本を読み聞かせてもらったことがあったなぁ。

 お爺ちゃんの家では読めない私を気遣って本は1冊も置いていなかった。


「…はい、おしまい。これ、どうだった?」

「おもしろかったです!まるで目の前に海の中の景色が広がっているようでした」

 先生がにっこり笑う。

「また読んであげるから少し眠るといい」

 少し眠気がきていたのがバレていたようだ。

「はい、おやすみなさい」

 頭をなでて先生は部屋を出て行き、私はすぐに眠りに落ちていった。


 それから読み聞かせは毎日の習慣になった。

 絵のきれいな絵本は並んで座って読んでくれる。

 物語の世界の楽しさを知り、自分で読めないことが本当に残念に思う。

 だけど先生の柔らかい声も心地よいのでこれはこれでいいのかな、と思ったりもする。


 読み聞かせは先生の本の時もあれば、他の小説家の本の時もある。

 それなりに時間も取られるので、先生の負担になっていないか心配になって尋ねたこともあるけれど、

「こうして声に出して読んでみると言葉のリズムが感じられていい勉強になるんだよ」

 そう言ってくれた。



 そういえば復元した先生のお爺様の懐中時計は、骨董品店を経由して先生のご実家である男爵家へ帰っていき、最初に提示した以上の報酬をいただいた。

 しばらくして先生の1番上のお兄様である男爵様が自らいらして、丁寧なお礼の言葉とお菓子をいただいた。

 2番目のお兄様へは私が見た光景の話とともに手渡したそうだ。

「貴女がいなければ真実を知ることも出来なかった。我々兄弟は本当に感謝しているのだ」

 両親を馬車の事故で亡くした先生やご兄弟にとって、お爺様はかけがえのない人であったらしい。



 独り立ちして初めての復元の仕事を終えて普段の日常が戻ってきた。

 日々の買い物には先生もよくついてくる。

「座りっぱなしは腰によくないし、外を歩くとアイデアが浮かぶこともあるんだ」

 そう言ってくれるけれど、本当は文字を理解できない私を気遣ってのことだと知っている。

 それはありがたいんだけど、お店の人に夫婦や恋人に間違われても否定しないのはどうにかして欲しい。

 今ではすっかりくだけた会話も当たり前になったけど、私なんかじゃ釣り合わないってわかってるんだけどな。


 時々打ち合わせにやってくる出版社の人達は、なぜかいつも私にお菓子を持ってきてくれる。

「以前の先生の生活はそれはもう不規則で、食生活もひどいものだったのです。でも貴女が来てから規則正しい生活になって顔色もすっかりよくなり、何より締切をちゃんと守るようになりました!」

 どうやら一番最後のがとても重要だったらしい。

 私も少しは役に立っているのかな。



 翌年。

 今日は先生の2番目のお兄様の結婚式だ。

 先生が素敵なワンピースを買ってくれて、なぜか私も参列している。

 結婚式に参列するのはこれが初めてだけど、みんななんだか嬉しそうでこちらまで楽しくなってくる。


 教会内で誓いの儀式を終えると、参列者は外に並んで紙吹雪や花びらを撒き、声をかけたりして新郎新婦を祝福する。

 そもそも私はこれが初対面なので、何をすることもなく先生の隣に立っていた。

 ふと近付いてきた花嫁さんと目が合った。


 花嫁さんも持っているお花もきれいだな。

 そんなことを思っていたら、花嫁さんはニコッと笑って花束をこちらに向かって投げてくる。

 飛んできたので思わず受け取ってしまったら周囲から歓声が上がった。


「あら、よかったわねぇ!」

「おめでとう!」


 先生の2番目のお兄さんである花婿さんはニッコリ笑い、花嫁さんはウインクをして通り過ぎていく。

 わけがわからなくて先生に聞いてみる。

「あの、これってどういうことですか?」

「花嫁の投げたブーケを受け取ると次に結婚できるとか昔から言われてるんだが、知らなかったのか?」

「はぁ」


 なんだ、そうだったのか。

 知らなかったので申し訳ないことをしてしまった。

 誰か他の人に譲ってあげればよかったな。

 だって結婚なんて考えたこともないんだもの。



 先生と帰宅していつものように家事に着手する。

 今の生活はとても居心地がいいけれど、先生と私はあくまで雇い主と使用人という関係。

 先生はとてもいい人で、私みたいなのにも気遣いを忘れない。

 背が高くて顔立ちも整っている。

 そして有名な小説家だ。

 いずれ素敵な恋人が出来て結婚とかいう話になるのだろう。

 そうなると私はおじゃま虫になってしまう。


 ここの給料は以前勤めていた食堂よりずっといいし、時々復元の仕事で臨時収入もある。

 そもそも何かにつけて先生が先にお金を出してしまうので、私はあまりお金を使う機会がなくてそれなりに貯まってきている。

 今からちゃんと将来のことを考えた方がいいんだろうなぁ。


「何か考え事か?手が止まっているぞ」

 背後からの先生の声で気付く。

 しまった。

 洗い終えた食器を拭く手が止まってしまっていた。

「えっと、ちょっと将来のことを」

 とっさに思ったままを答えてしまう。

「は?」


 食器を片付け終えてから居間に呼ばれ、先生と向かい合って座る。

「で、将来のことって何を考えていたのかな?」

「今日、結婚式を見て思ったんです。いずれ先生も結婚するだろうから、私はどうするべきか考えないといけないな、と」

 なぜかあきれたような表情になる先生。

「そんな相手がいないことはいつも一緒にいる貴女が一番よくわかっているだろう?」

 それはそうなんだけど。


「でもほら、先生は顔立ちも整っててかっこいいし、とっても有名な小説家じゃないですか。世の中の女の人達がほっとくわけないでしょう?」

 先生が苦笑いする。

「貴女が僕のことを褒めてくれるのは素直に嬉しいと思う。そしていろんな女性からお誘いがあったのも確かだが、正直なところ僕の外見や立場が目当てのギラギラした女性は苦手なんだ」


 なるほど。

 先生の好みは控えめな女性ということか。

 私は知り合いが少なすぎるから何も出来ないけど、骨董品店の女主人ならいろんな人と交流があるはずだから誰か紹介してもらえるかもしれない。

 今度行ったら話してみようかな。


 目の前の先生はまだ苦笑いしている。

「どうやら何か余計なことを考えていそうだけど、僕は今のこの生活がとても気に入っていて、ずっと続けていければいいと思っているんだ。貴女は今の生活をどう思っているのかな?」

「仕事はやりやすくて、この家も居心地がいいし、復元の仕事も理解してもらえてます。それに先生はいつでも私に気を使ってくれて、いつもの読み聞かせだってお話は楽しくて、先生の声も心地よいです」

 思っているままに答える。

「今の生活を手放したくないと思ってる?」

「それはもちろんです!…でも、私は先生に甘えすぎてるんじゃないかと」


「むしろ貴女にもっと甘えてほしいんだけどね」

 穏やかな微笑みを私に向ける先生。

「僕が気に入っている今のこの生活は、貴女がいなければ成り立たないものなんだよ。そうでしょ?」

「えっと…でも、私より家事が出来る人なんていくらでもいるはずで」

「家事の技量とかじゃないよ。僕が求めているのは貴女という存在そのものなんだ」

 なんだかよくわからないんだけど。

 私がよほど不思議そうな顔をしていたのか、先生はまた苦笑いしている。


「はっきり言わないと理解してもらえないようだから言ってしまうけど、どうか僕との結婚を考えてもらえないかな?」

「は?」

 整った顔が真正面から見つめてくる。

「ああ、でも10歳も年上のおじさんなんて若い貴女は嫌だろうか?」

「いえ、あの、そんなことはないんですけど…でも、どうして私なんですか?」


「種明かししてしまうけど、うちの一族は直感がとてもよく働くんだよ。まぁ、貴女の復元の能力のようなものだね。実は初めて公園で会った時から『この人は逃しちゃいけない』って思ってた」

「え、そんな前から?」

「そう。だから公園で別れてから貴女の後をつけた。連絡をくれない可能性があると思ったから」

 全然気付かなかった。

「貴女の行き先が懐中時計の修復を依頼する予定だった骨董品店だったのは本当に偶然だったけど、仕事と住まいを探していると聞いてこれも運命だと思った。だから何としても僕のそばにいてもらえるようにしなければって必死だった」


 先生が立ち上がって私の前でひざまずく。

「本当は貴女が来年18歳になってから告げるつもりだった。だから今すぐ決めてほしいとは言わない。そしてもしも貴女が僕以外に愛する人が出来たなら潔く身を引こう。貴女の幸せこそが一番大切なのだから」

 取られた手の甲にキスされた。

 翌日、私は知恵熱を出して寝込み、先生がかいがいしく介抱してくれた。

 作ってくれたおかゆの味はひどかったけど。


 

 年が変わり、私の18歳の誕生日がやってきた。

「これを受け取ってもらえるかな」

 先生に差し出された包みを開けると、出てきたのは純白のウェディングベール。

「僕の母が使ったものなんだ。貴女に使って欲しくて実家から持ってきた。兄達も貴女にならと快く認めてくれたよ」

 先生のお兄様方の伴侶は、それぞれ母親が使ったものを譲りうけて使ったのだとか。

「あ、あの、ありがとうございます」

 真っ赤になった私を先生が優しく抱きしめた。


 結局、私はわりとすぐに先生との結婚を決めた。

 だって私も先生のいない生活なんて考えられなくなっていたから。



 ウェディングベールにふれてみる。

 会ったことのない先生のお母様の幸せあふれる笑顔とお父様の照れ笑いが見えた。

 ここに私と先生の想いが重なり、いつか誰かに伝わることをそっと祈る。


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「名前のない物語」シリーズ
人名地名が出てこないあっさり風味の短編集
― 新着の感想 ―
[一言] いつもながら素晴らしい短編です。
[良い点] 人名地名が出てこないから名前がない物語シリーズなのだとやっと気付きました! 全然出てこなくても破綻なく読みやすい物語に仕上がっていてすごい! 新作を読んでからこちらに来ましたが、毎回終わ…
[一言] 久方ぶりの新作、堪能させていただきました くつろいでいる状況で読んでしまったせいか、後半、思わずティッシュボックスを引き寄せてしまいました 年齢のせいですかね
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