第四十一話 奇跡の男
「はい………では………次のテストの注目ポイントとして、今日はディアボロス家の歴代魔王と王妃の経緯ついて復習しましょう」
「マジで家系図きちゃったよ………」
二年B組の教室で、アイスケはあんぐりと口を開ける。
教壇に立つのは、チラチラ白髪にしょぼしょぼ垂れ目の幸薄顔がいたたまれない男、悪魔学教師の椎名 志弦先生。
初老といっても頷ける外見だが、実は三十代半ばの独身彼女ナシである事実は言葉にすると地雷を踏む────ほどの怒りを表現する力もない軟弱だが、良く言えば温厚な人柄。
あー、とアイスケはうだるように天井を仰ぐ。
「もうやだよ椎名先生ー。さっきは一瞬の気合いが燃えたけど、もう燃え尽きちゃったの。ディアボロス家の家系とか昼ドラ以上にドロドロでややこしくて聞いただけで頭痛がするってー」
「あ、アイスケくん………一応君のご家族のことなんだから、知識に入れておいた方がいいんじゃないかな………?」
「家族ハラスメントやめてー。こちとら赤ちゃん時代からの人界育ちですー。っていうか先生また白髪多くなってない? まだギリアラサーなら可能性を信じて染めに行った方がいいよー」
「あっ………あの、先週、染めに行ったんだけど……」
「えっ、まじ? 先生やばいよ。完全に老化始まってるよ! 外見だけでもう退職できるんじゃないの!? 早期退職金ゲットじゃん!」
「うっ………そ、そん、なに………ま、だ、三十四、なの、に………はは」
と、アイスケの図太さ満開のマシンガントークに、しらけた笑みでうなだれる椎名先生。
その会話を隣で聞いていたひまりが、「もう!」と思わず声を上げた。
「アイスケくんっ! 先生に対して失礼ですよっ! 確かに椎名先生は物乞いのおじいさんのようにみすぼらしいお見た目ですが」
「も、物乞い……」
「きっとこんなにひもじそうなお顔で道を歩いていたら、誰もがが哀れんでくださいます! そうです! 退職されたらこの煌家の屋敷で介護をして差し上げますよ!」
「あの、だから、僕、三十四……」
「先生、安心されて老後を暮らしてくださいね!」
「は、あはは……」
「ひまりちゃんの方が一億倍失礼だよ」
と、隣に小さなツッコみをかましたあとに、アイスケはじっと見る。
力ない苦笑を浮かべる椎名先生の、そんな柔な雰囲気とは不釣り合いな左目の黒い眼帯を。
椎名 志弦。この男の名は、星ノ木学園の教師としての枠に留まるどころか、全騎士たちに言わずとも知れている。
かつて十三年も血みどろに続いた第三次魔人戦争。悪魔は兵を、人間は騎士を狩り集め、力を競い衝突したいたましい歴史。
その歴史に、かつて椎名は騎士として存在を明るみにしていた。椎名が望んだことではない。神の手を持つ者の伏見も含め、才に呪われた強豪者たちは、意思も無視され徴兵として戦場へ投げ出されたのだ。
隠密行動に長けた椎名も、上層部が目をつけるほど有能な騎士であった。しかし彼がその名を馳せたのは、戦場を駆けたことではない。
戦場で捕まり、悪魔の拷問を受け、左目を抉り取られてなお、魔王城からたった一人で帰還したという、夢想の如く奇跡の栄光────「奇跡の男」の異名がついた発端であった。
それも拷問していたのは、魔界四天王のうちの一人、「嗜虐の雷獣」の異名で恐れられる、ガーフィー・レヴィアタン。バニラと同じライゴウ使いの不良貴族、レヴィアタン一族の当主だ。そのケダモノと呼ばれる男の魔の手から、命からがら逃げ出し、生き延びた栄光が、その眼帯の奥に刻み込まれているのだ。
終戦してのち、教師への道へと歩み、今では子供に老人扱いされるほどひっそりと学園に息づいているが、彼の発する悪魔学は教科書の活字を棒読みした単調なものではない。
彼の悪魔学は、彼の瞼に焼き付けた悪魔というおぞましき生物の実態────生きた歴史そのものである。
「では………授業を始めます。ディアボロス………それは、魔界に君臨する、『血の加護』を受けた天性の血統………王になるべく生まれし悪魔の一族です」