第四十話 魔王の子だって落ち込むもん
「アイスケくん……アイスケくん………アイスケく〜ん!」
運動終わりに少し火照った顔のひまりが連呼する先は、しょげた犬みたいに廊下の片隅に丸くなるアイスケ。
そのみすぼらしい背中には「この世の終わり」と刻まれているようで、鮮やかな世界から切り離されたみたいにどんより灰色じみている。
四つ子の兄姉もこれには哀れみの眼差し。
しかしタオルで汗を拭い切った真琴は、呆れも混じった毅然とした態度を剥き出しにしている。
「ったく、情けないな。キミがボクにスポーツで完敗するのは今に始まったことじゃないだろ?」
「………………」
「負けた挙句大切なレディーの前で捨て犬みたいにしょげるなんて、モラルのカケラもない野暮な男だよ」
「………………」
「あーあ、ボクのライバルがこんな弱輩者だったとは拍子抜けだ」
「………………」
真琴の一音一音トゲを含む挑発の言葉にも、アイスケは依然として振り返らない。
「アイスケ。安心しろ。例え最底辺でも将来俺が養ってやる」
「黙れ緋色っ! アイちゃんを養うのはこのお兄ちゃんだっ!」
緋色とユウキの耳たこなプロポーズにも見向きもしない。
「アイスケー、早くしないと次の授業始まっちゃうわよー」
「そうだよアイスケ〜、遅刻する男はもっとモテないぞ〜」
ココロとユメカの軽い叱咤にも反応なし。
しょげた犬というより、魂を引っこ抜かれた屍の如く虚な眼差し。
遠く、遠く、遠くを眺めるようで、どこも見ていない、心ここにあらず。
手の施しようもなく困り果てた周囲の中、ひまりがまっすぐとアイスケの元に寄り、ぽん、と肩に優しく手を置いた。
「アイスケくん、元気を出してください」
甘く包み込むような声色に、ぽんぽん、とひまりは軽く肩を叩く。
「………………だろ」
「?」
ぼそりとか細い呟きを発した屍アイスケに、ひまりは小首を傾げた。
「どうせ……ひまりちゃんも……真琴の方が……カッコいいと思ってん、だろ」
ぼそり、ぼそり、と屍の次には拗ねた幼児みたいに僻みの言葉を露わにする。
はあああ、と、小声ながら耳にこびりついたのか、真琴が呆れ返るように嘆息を吐いた。
「アイスケくん」
一方でひまりは、不快に染まることなく、魔法も繰り出していないのに柔らかな光に包まれるように、優美に微笑んだ。
「真琴さんの技にはとても感動しました。あんな美しいジャンプ、私は初めて見たんです」
ふふん、と鼻を鳴らして頬をかく真琴のあとに、「でも」とひまりは付け足す。
「それと同じくらい、アイスケくんのジャンプにも胸が躍りました! こんな小さなアイスケくんが、鳥さんみたいに高く高く飛んでいたんですよ!」
「……………」
「すごいんだって、カッコいいんだって、自分にも褒めてあげなきゃダメなのです! アイスケくんはすごいです! 未来のスターです! 自信を持ってください! 勇者の娘が言うんですから、間違いありませんっ!」
「……………」
えっへん、と小さな胸を反らしたあとに、ひまりはさらにほっぺたを吊り上げて、どこぞから取り出したのか漆黒に光るカードを見せつけ、
「権利を買い取ることはできませんが、これで揚げ餃子を山ほど買うことができます。この間のうめえんだ棒のお返しです。奢りますよ」
「揚げ餃子キタ──────!! やってやるぜぇぇぇい!!」
「はいっ! 頑張りましょう!」
「よっしゃあ次は魔法学!! ドロドロなディアボロス家系図もどんとこいやぁ!!」
「どんとこいですぅ!!」
「揚げ餃子」の言葉に突如声を張り上げ、荒れ狂う馬の如く勢いで立ち上がった元屍に、ハイなテンションに釣られるようにガッツポーズを決めるひまり。
対して「うわぁ」と盛り下がる声の真琴は、シラけた顔に手を当ててはヒクヒクと口端を歪ませる。
そして、怨念たっぷりに呟いた。
「初めての…………友達、ねぇ」