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第三十九話 燃えろ! 跳ねろ! 回れ! 体育授業!

 二時間目、体育。

 広大な体育館で、複数の足音が床を踏み鳴らす。

 ピッ! とホイッスルの合図と共に、生徒らは白いマットの上を蹴って、膝を伸ばしながらの回転し、足が着地する寸前に大きく開脚した。


「よし! いいぞッ!!」


 体育教師、吾妻あずま 千秋ちあき先生が筒抜けの蛮声を張り上げる。


「ん? 何だアイスケッ!! その腑抜けた顔は!! 気合が入ってないぞ気合がァッ!!」


 ひまりの後ろに並ぶアイスケは、上から打ち据えるように怒声を浴びた。


(熱血のぶっ続けはだるいわ………)


 あ〜い、と怠惰な返事に、千秋先生はムッとする。


 脱色しまくったオレンジ色の髪に、「漢気おとこぎ」と猛々しい筆文字が背中に書かれた赤いジャージ。

 いかにも片手に鉄バッド、口にはタバコが似合いそうな元ヤン教師。

 その類の中でもかなり面倒なタイプで………。


「いいか!? 気合持たん弱腰には、勝利の風吹かん!! これは『薔薇裂いばらざき 凶獄きょうごく愛羅武勇伝あいらぶゆうでん』の三巻の名言だッ!!」


 大きく手を振りかぶって、啖呵を切る千秋先生。


「ダッサ…………」


「よく分かんな〜い」


 隣の列に並ぶココロとユメカが、それはもう清々しい感想を申した。


 ぐぬぅ! と千秋先生は眉間にシワを寄せ、


「馬鹿にするなよッ!! 『薔薇裂いばらざき 凶獄きょうごく愛羅武勇伝あいらぶゆうでん』は今年で十五周年を迎える歴史ある神作品だぞッ!! 先生にとって男の指南書だッ!! 人生を変える運命の出会いだったんだぁッ!! ああ………思い出す………青春の幕開けだったあの頃を!!」


 瞳を燃やして熱弁を振るう千秋先生の話を、もう生徒の八割は聞いていない。


 タイトルからして厨二病な死語満載のそのヤンキー漫画は、実を言うと我が家にも全巻揃っていたりする。

 何を隠そう、双子の兄フウガがイタい漫画にハマり、ヤンキーを目指す元凶となったのが、当時ヤンチャしてた千秋先生なのだ。あのジャージも、薔薇裂いばらざき 凶獄きょうごくとやらが通う漢気学園の指定の服をグッズ化したものだとか何とか。


 ピッ! とホイッスルが鳴る。


「こらっ! そこの回転甘いぞッ!! もっと勢いをつけろッ!!」


 びしっ! と指を差して、千秋先生はまた蛮声を張り上げた。


 その声に、びくっとひまりの肩が跳ねる。

 次は彼女の番だ。先生の熱狂っぷりに圧倒されつつあるのだろう。


「大丈夫、ひまりちゃん」


 アイスケはひまりの肩を軽く叩いた。


「千秋先生、厨二病の熱血ってだけで、そんな怖い人じゃないから」


「は、はい………」


 こくこくと、自分でも言い聞かせるように首を縦に振るひまり。


 小さな唇を窄めて、ごくんと唾を飲んだ。


 ピッ! とホイッスルが鳴る。


「えっ、えい!」


 小さな足でマットを蹴ると、ひまりは手をついて、背中をエビみたいに丸めて回転し、足を着地させる寸前に開脚────した脚が、崩れてぺちゃんとへたり込んだ。


(あー………)


「は、はぅ………」


 恥ずかしいのか、ひまりはバツの悪そうな顔でシュンとうつむいた。他の列の生徒は皆成功しものだから、嫌でも悪目立ちしてしまうのだろう。


「ひまり」


 千秋先生の声に、ひまりはまたびくりと跳ねた。


 とんっ、と、先生は隣のマットを蹴ると、素早く回転させ、脚を大の字に開いて着地した。


 おぉ、と生徒らの視線が集まる。


「開脚前転は、脚を大きく開いて、膝を曲げないで立つことがコツだ。まだ三周あるから、頑張っていこうなっ!」


 にかーっ、と歯を見せて笑う千秋先生に、ひまりは最初に面食らったような顔をしたが、はい、と小さく頷いて、微笑を漏らす。


 先生と一緒に列のところへ戻ったひまりは、どこか安心した表情をしていたので、アイスケも釣られて安堵の息を吐いた。


 さて、次はそんな彼女に、いいところを見せる絶好の機会だ。


「っしゃあ! いきますかっ!」


 ピッ! とホイッスルが鳴った瞬間、アイスケは駆けた。


 軽やかにホップし、腰を捻って手をマットにつき、蹴りと同時に足を上方へ振り上げ、弧を描くように百八十度回転した。足を着地させると、バネみたく膝を曲げて、小さな図体が軽やかに跳ね上がる。ピンクの風車が回るように、髪を振り立てて宙を舞う。さらにもう一回転、勢いを上げて大胆に、されどしなやかに、宙を踊る。


 生徒らの視線がアイスケ一点に注がれた。


 どんっ! と着地の足音を豪快に鳴らして、歪みも揺れもない。あるものは────くいっと親指を頬に突いてぶりっこポーズのファンサービス。


 おぉ! と生徒らの歓声が上がった。


「す、すごい………アイスケくん!」


 ひまりは目をぱちくりさせた。


 にっしっし〜、と主役は息を漏らして笑う。


「ロンダートバク宙か………あの小さい体で凄まじいジャンプ力だな………」


 と、千秋先生も顎に手を当てうんうんと首を振っていたが、ん? と動きを止めては、ハッと息を呑む。


「ってアイスケェ!! 今の課題は開脚前転だろーがっ!! カッコつけて難技披露するんじゃねえ!!」


「アイちゃぁぁぁん可愛いいぃぃぃ!! 太ももスリスリしたぁぁぁぁいっ!!」


「ユウキッ!! 実の弟に欲情するなッ!!」


「……………………」


「緋色ッ!! 無言で連写するなッ!! スマホはしまえっ!!」


「おい何許可なく俺のアイちゃん撮ってんだムッツリ!! そのスマホ寄こせ!!」


「小舅にやる写真はねえ」


「この野郎〜〜〜!!」


「バカな喧嘩すんなッ!!」


「はむはむっ! サクサクコロッケパンおいひい〜!」


「授業中に食うなユメカ!! パン粉を零すなぁ!!」


「先生〜、髪がもつれたからちょっとトイレで梳かしてくるわ」


「後でいいだろ!! おいこらっ! 戻ってこいココロ!!」


 感情の自由律俳句の連発に、千秋先生は目が回る勢いでツッコみをかます。


 しかし、その張り詰めた糸も根絶された緩々な空気に、一番甚だしい泣き顔を浮かべていたのは、難技を披露してみせたばかりのアイスケだった。


「俺のっ………俺のターンだったのにぃ………もっと褒めろよぉ………」


 早くも主役を降板されたボロ泣きのアイスケを、生徒の九割は見ていなかった。そのなけなしの泣き言すらやかましい声声に掻き消された。


「あ、アイスケくん………」


 ただ一人哀れみの眼差しを向けるひまりの肩を、ぽん、と真琴が優しく叩いた。


 ネコミミがない体操着の彼女はひまりにとっては新鮮のようで、目を大きく見開いた。元から小柄のようだったが、ネコミミがないとさらに小さく見える。だが、態度は毅然としていた。


「プリンセス。アレが最高だと思うのなら、ボクのジャンプも見ていてほしい」


「真琴さん………」


 列の先頭に立つと、真琴は手足を伸ばし、軽くストレッチした。


 アイスケは目を瞠る。


(あいつ………まさかあの技を?)


 ピッ! とホイッスルが鳴る。


 真琴は、動かない。


 両側の生徒が飛んでも、走らない。


 安定した着地を見せても、見向きもしない。


 すー、はー、と深く呼吸を繰り返す。


 ごくり、と周囲の人々は固唾を飲んで見守った。


 誰もいなくなったマット(ステージ)を前に、彼女は間合いを取ってから、疾駆した。


 マットを力強く蹴ると、人間離れした凄まじい跳躍力で飛び、瞬きも忘れさせるほど速い捻りで二回転。トドメにと高らかに、体を高速で回旋させながら、まるで春に浮かれる花びらのように、華々しく、あでやかに、宙を舞い踊った。


 瞬きどころか、周囲の人々は呼吸すら忘れた。


 教師の千秋さえあんぐりと口を開けた。


 それは、魔法でも作り物でもない、剥き出しの才は、悪魔はおろか神の目すら奪ってしまうような奇跡の光景だった。


 どんっ! と烈風を吹きつけそうな強い足音と共に着地すると、両手を上げるだけで、一ミリの震えもなく、その可憐な顔立ちとは別人格のような凛々しい表情で立ち尽くす。


 わぁ! と体育館に高低な歓声と激しい拍手が沸き上がった。


「後方かかえ込み二回宙返り三回ひねり…………体操の中でもG難度の大技を、あそこまで完璧に仕上げるとは………あいつ、ここで体育やってていいのか!?」


 千秋先生は心底恐ろしいといったような顔で、己の生徒を見つめた。


「すごいよ真琴ちゃん! めっちゃカッコよかった!!」


「お前、普通にテレビ出れるだろコレ!!」


「やっばこっちが震えてきたっ!」


「真琴ちゃん好きーっ!」


「はは………ありがとうみんな。運動神経だけは、誰にも負けない自信があるからね」


 クラスメイトの絶えない喝采に爽やかスマイルで返しながら、真琴がまっすぐに向かう先は顎が落ちたままのひまりの方だった。


 その可愛らしいとも言える間抜け面に、クスッと真琴は笑みを漏らす。


「どうかな、ひまりちゃん? 気高きプリンセス様のお気に召していただけたら嬉しいけど………」


「ぁ……あ」


「ん?」


 ひまりの開いたままの口から、上擦った声が出た。


「真琴、さん………」


 ぎゅっ、とひまりの小さな手が真琴の汗ばんだ手を握った。


 ふぁ!? といつものちょっぴり低い声の真琴が、女の子らしい悲鳴を短く上げる。


「真琴さん!! 素晴らしいです!! 花びらみたいに飛んでいました!! お花の妖精さん………本で読んだフラワーフェアリーみたいですぅ!」


「お、大げさだよ………」


「大げさなんかじゃありませんっ!!」


 ひまりがキラキラの上目遣いのまま顔を寄せると、ひゃっ! と真琴は赤くなった。


「本当にすごいです!! 真琴さんは、すごい人です!! 妖精さんみたいに、綺麗で、カッコよくて、あと、可愛いです!!」


「かっ……わいい? ボクが………?」


「はい! とても、とーっても、可愛いですよ!」


「うぅ………ぁぅ」


 真琴はくすぐったそうに肩をすくめ、真っ赤な顔を隠すように前髪から目元にかけて片手で覆った。それでも、無意識なのか小さな唇はふにゃりと上機嫌な猫みたいに緩んでしまう。


「あ、ありがと………キミに言われると………何だか………新鮮…………な、何だろ、この気持ち………」


 視線を泳がせ、目の前の月光の眼差しから懸命に逃れようとする真琴。


 ぱぁっ、と純粋な子供のように微笑んで、自分よりも少し大きな手を握るひまり。


 男女問わず周囲から、生温かい視線と、優しい拍手が沸き起こった。


「ちょっと待てゴラ──────ッ!!」


 その上方から、二人を引き裂くような尻尾ビンタが降り落ちた。


「ラブコメ展開はお父さんが許しませええええええんんんん!!」


 正義の鉄拳ならぬ正義の尻尾ビンタが炸裂する寸前────


「いい加減にしろおおおおっ!! お前ら真面目に授業受けろゴルァ──────ッ!!」


 熱血元ヤン教師の鉄拳制裁が、哀れに暴走した悪魔の頬に炸裂した。

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