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第三十八話 地獄のEnglish Time

 一時間目の授業も始まりそうな頃、教室は波が引いたような静けさに包まれた。


(今日はあの二人がサボりか…………やな予感がするな)


 一番後ろの二つの空席を尻目に、アイスケは嘆息を漏らした。

 名門校だというのに、うちのクラスはサボり癖のついた問題児に溢れている。それも、これも、四つ子と関わり深い人物だ。

 これ以上のトラブルは勘弁してください、と都合よく神頼みしてみたりする。

 そして、隣のひまりに目をやった。


(あ………)


 うつむく眼差し。噛み締めた唇。震える拳。

 明らかに、緊張と不安の混じった色を見せている。


(真琴がベタベタしやがるから!!)


 いーっ! と我がライバルを睨むが、ん? とまさに猫みたいに首を傾げている。ちょっと可愛い、と思ってしまった自分が心底悔しい。



『お嬢様は学園生活を楽しみにしていらっしゃる』



 凛の声が鮮明に脳内に流れた。


 そうだ。露払いはまだ荷が重い難役かもしれないけれど。


 案内役なら、この学園を八年在学したありったけの知識を駆使して、この子の手を引っ張っていけるはずだ。


 この子の、友達の、力になれるはずだ。


「ひまりちゃん」


 ひまりの顔を覗き込むように、そっと囁いた。


「分かんないこと、俺が全部教えてあげっから。庶民の日常体験、すくーるばーじょん。一緒に楽しんでいこーぜ」


「アイスケくん…………」


 ひまりは眩しい瞳をさらに輝かせて、その満月の中にアイスケのいたずらな笑顔が映った。


 はい、と、それはお嬢様らしく、悠々と頷くのであった。


「ところで………一時間目はいんぐりっしゅ………英語でしたよね? どんな先生なんでしょう」


「えーと、いんぐりっしゅは…………あ」


 ガラガラ! と扉が勢いよく開かれた刹那、全生徒の顔が引きつり、身じろいだ。


 アイスケも思わず息を呑んで、


「ひまりちゃん!! 耳塞いで!!」


 と、ひまり以外のクラスメイトらは両耳を両手でがっちり塞いだ。


 ほぇ? と見様見真似に耳に手を当てるひまり。


 すうぅっ、と息を吸い込む音────



「Hello〜〜〜〜!! Hello〜〜〜〜!! Hello〜〜〜〜!! Hi!! Hey !! Dreamer!! Let's Study〜〜〜〜Englishッ!!」



 塞いだ耳までつんざくほどの騒音という名の歌声が教室に轟いた。


 毛先をくるくるカールさせた金髪に、スターサファイアを嵌め込んだかのような、深い青さに六条の光を持つ碧眼。長いバサバサまつ毛、白雪の肌、潤ったベビーピンクの唇。


 白いブラウス越しから伝わるほっそりとした中性的な体格に、フランス人形に息を吹き込ませたような人間離れした美貌を放つ、その男。


 生徒らの鼓膜を襲った犯人、いや、常習犯。


 襲撃者でも一発屋芸人でもなく、正真正銘、星ノ木学園の英語教師、クリス・フォスター先生のご登場のようだ。


 その美貌とは似つかわしくない悪声をぶち撒けたあとに、フフッ、と清々しい笑みをこぼしている。


 キーン、と不快な音が耳に回って、目が眩む。

 一時間目に入って間もなく二年B組の総戦力が大幅に削られた。

 耳を塞いでこの威力。恐ろしい。いや、もっと恐ろしいのは………。


「おやぁ? 皆サァン、歓喜に震えて………今日も先生の挨拶Songにぞっこんのようデスネ〜!!」


 無自覚という、末期の病だ。


 過去に、何度か「先生、音痴です」と真顔で告白したことがある。

 すると、頬を染めて、「才能を妬むのはNonsenseデスヨ〜!」とノーダメージに躱しやがった。

 そこで悟った。この先の人生、どれだけ絶好に上り詰めようが、残念なイケメンにだけはならないでおこう、と。


「皆さ〜ん!! How are you〜?」


「あいむ、ふぁいん、せんきゅー」


 ハイなテンションで耳に手を当て問いかけるクリス先生に、耳鳴りの余韻が残る生徒らは蚊が鳴くような声で答えた。


 むむむー、と先生はほっぺたを膨らます。

 成人男性がやったらイタいこと極まりない仕草だが、このフランス人形並みの美男は「可愛い」さえ超えて愛くるしさが半端ない。


「元気が足りませんね〜!! もっとBig voiceに!!」


「あいむ、ふぁいん、せんきゅー」


「もっと! も〜っと!!」


「あいむ、ふぁいん、せんきゅー」


 何度聞かれたって同じ回答だ。

 そもそもこの悪声を聞いたあとに「せんきゅー」と返せる感涙ものの優しさに褒めてやってくれ、もういい加減に。


「も〜っと、も〜〜〜っと!! Bigに!!」


「あいむ!! ふぁいん!! せんきゅー!!」


 なけなしの生力を振り絞って、二年B組の掠れた叫びが響いた。


「Oh! Metoo〜〜!!」


 クリス先生は両手を広げて、最上級の喜びを表現している。


 はあああ、と生徒らのため息が重ね重ねに零れる。


「Oh! 今日はNew Faceがいましたね〜!」


 と、クリス先生はスキップしながら歩み寄った。


 抜け殻のように放心状態のひまりのところへ。


「ひまりちゃん? ひまりちゃん!? 大丈夫!?」


「ああプリンセス!! 早く耳鼻科で治療してもらった方がいい!! 念のため精神科にも!!」


 アイスケと真琴が焦燥を露わにひまりに声をかけた。


「Oh…………体調でも悪いんデスカ?」


「「アンタのせいだよ!!」」


 む? とクリス先生は細い首を傾ける。


「……………はっ!」


 ビクッと肩が跳ねて、ひまりの輝かしい瞳が見開いた。


「何だか………お花畑が見えていました………」


「超危なかった!! よくぞ戻ってきた!!」


「綺麗な川が流れていました………」


「それ絶対渡っちゃダメ!!」


 ほぇ? とひまりはまだ呆然としていて、こちらとしても気が抜けない。


 真琴も不安げな眼差しを向けていた。


「ああ………えっと………えいごの、せんせい………ですか?」


「Yes! クリス・フォスターと申しマス! Nice to meet you!」


「な、ないすとぅみーとぅゆーとぅー………」


「Oh! Berry good! と、言いたいところデスガ………発音がもう少しデスネ!」


「のーぷろぶれむ………?」


「No〜! No problem!! デス!!」


「のー、ぷろぶれむ………ああ、また川が見え……」


「超プロブレムだよッ!! ひまりちゃん戻ってこい!! ひまりちゃ〜ん!!」


 ひまりの両肩を強く掴んで、渾身の力で首を上下に揺さぶった。その虚な瞳に嘆くように揺さぶりまくった。


「……………はっ!」


 奇跡的に、ひまりの瞳に黄金の光が蘇る。


「勇者サマの娘サンは聞いていたよりも病弱そうデスネ………」


 一瞬で病弱にさせた奴が言うな、とアイスケはクリス先生を睨む。


「デ・ス・ガ!! 煌家のお嬢様といえど、先生はえこひいきしませんよ〜? これからビシバシThe bestなEnglishを頭に叩き込みますからね〜!!」


 クリス先生はガッツポーズでウィンクまでかましてきた。

 その美貌には首が折れるほど頷けるが、空気の読めない熱血っぷりにはかなりイラッとくる。

 見た目と中身のギャップがあり過ぎて、ギャップ萌えどころかギャップ殺しだ。


「あの………クリス先生は………外国人さんですよね?」


「Oh! 正確には、アメリカと日本のHalfデス!!」


「先生………すごく、お綺麗ですね………いい匂いもします………」


 その甘くふわついた声に、はぅ!? とアイスケと真琴が同時に衝撃の反応を示す。


「ひまりちゃん!! 見た目に騙されるな!! クリス先生はイケメンの皮被ったゴリラだ!!」


「そうだプリンセス!! そんな歌のセンスの欠片もない爆音男、キミにはふさわしくない!!」


 アイスケと真琴は負け犬の足掻きと自覚しつつも、懸命にひまりのとろけた瞳に訴えかける。確かに先生の美貌は首がもげるほど頷けるし、そこらに売ってる香水を上回る上品な薔薇の香りもするけれど、ここで禁断のラブストーリーの幕が上がるのは死ぬ気で阻止せねば。

 真琴の恋情な執着心とは少し違うけれど、アイスケにも、友人として、そして何より、凛に託された露払いの役目があるのだ。


 ひまりはまだ放心しているのか、まさかのまさかに幕が上がったのか、ぽわわ〜ん、と酔いしれたような恍惚な表情で体を揺らしている。


 サファイアの瞳と、満月の瞳の視線が交わった。


 すっ、と、クリス先生は白い手を伸ばし、ひまりの薔薇色に染まった顔に近づける。


「ちょっ! おいこら待て先生!!」


 アイスケの制止も届かず、細い指で顎を掴み、ゆっくりと上に上げて、顔を寄せ、潤んだ唇が迫った。


「ゴルァこの淫行教師!!」


「風斬の──」



かい



 はっ、と、ひまりが目を見開いて、瞳に冴えた光が瞬いた。

 頬の紅潮も、スッと元の肌色を取り戻した。


 尻尾ビンタと風斬の舞を繰り出そうと構えの姿勢のまま、アイスケと真琴はフリーズする。


 クリス先生は頬を緩ませ、ひまりの顎を手放した。


「すみません………どうやら僕が無意識に幻術を放っていたようで………今解きましたから、安心してください」


 いつものネイティブな英語混じりの口調とは違う、マトモな教師らしい口振り。


 確か、クリス先生は幻術使い。その特質となるのは──匂い。


 そんな見え透いた事情にも気付けないほど冷静さを失っていたとは。淫行教師とか言っちゃったし。


 ガクッと、アイスケは漫画みたいに項垂れた。


「何かごめん、先生…………」


「謝らないで。アイスケちゃんと、真琴ちゃんの、大切なお友達なんでしょう? お友達を守ることは、人も、悪魔も、騎士も、魔王も、誰もが等しく持つ権利ですよ?」


 クリス先生は、宝石のように煌めく目を三日月形に細めて言った。


 真琴はツンとしているけれど、このクラスメイトの生温かい視線に、アイスケはだじろぐ。


 姉たちは冷笑しているし。


 兄は、どういう心情なのか般若の形相になってるし。


 緋色に至っても目つきが一層険しいような。


 先生も先生で、いつもの苛立たせるハイテンションから、ベリー並みの母性含んだ眼差しで微笑んでいる。もしかして、本気で慰められているのか。


(俺、カッコわる………)


 こっちも本気ガチで反省してみたり。


 そうだ。クリス先生が淫行教師の訳があるか。

 確かに声はデカいし、歌は音痴なうえ無自覚だけれど、時々こうやって、お母さんみたいな優しさで教室中を包んでくれる。


 ニューフェイスのひまりも含めたB組のみんなが、今、きっと、心の芯から温められて………。


「さて、それでは授業に入りマース。この間の小テストデスガ、皆さん基本的な英単語のケアレスミスが多かったデス。と、いうわけで………」


 教壇の方へ戻ったクリス先生は、くるりと振り向いてびしっと指を突き上げた。


「先生のAmerican魂がギュッ! と詰まったSpecialな 英単語Song! いっきまっすよぉ〜!!」


 温められて………熱くて、熱すぎて、もう心の芯から大火傷だ。


 すうぅっ、と、ブラックホールの如く教室中の空気が渦巻くように吸われたかと思うと、


 聴覚を引き裂く野蛮な歌声が、ガラスのない窓を突き抜け校舎全体に爆鳴した。

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