第三十話 敵の正体
槍で囲む兵団の如く、二十万人以上の厳然たる視線が一人の男に注がれた。
鈍く光る銀髪に、紫水晶のように透き通った瞳。誰もが絶世の美少年と口揃えるだろう絶大な美貌を剥き出しにする男。
騎士で悪魔。王家ディアボロスの四男にして、魔界最強の雷系黒魔法「ライゴウ」の使い手、レヴィアタン一族の母の血も濃く継いだ天性の両統。
彼こそが魔王の子の中でも最強の戦力を誇る、ファミリーズの「エース」に加え、今ここに、「臨時隊長」の称号をかざす異端の騎士である。
あろうことか、騎士団を束ねる司令官に名指しされてもなお棒付きキャンディーを咥えたまた顎でしゃくるという下から高圧的なオーラを放っていた。
周囲の騎士たちの顔はますますと厳めしいものとなる。
「甘ぇな………」
飴を舌で撫でたあと、バニラは澄み通った凄みのある声をこぼした。
「ボケちまうほど甘ったりぃ………」
舌の先で飴玉をなぞるように舐める。
「何が言いたい」
訝しげに目を細めて、司令官は問いただした。
ハッ、とバニラは鼻で笑う。
「生温ぃ会話で平穏装ってねーで、とっとと言やぁいいじゃねーか。テメェもハナから思ってたんだろ? 司令官サマよ」
「何て口の利き方だッ!!」
「御宅を並べるんじゃないぞ!!」
ぞんざいで横柄な態度のバニラに、業を煮やしたのか、周囲から野太い声の野次が飛ぶ。
後ろの後輩、八太は今にも泣きそうな顔でおろおろする。
「うっせー黙れ番犬ども」
ビリッ! とバニラの前髪が浮いて、黒い火花が弾けた。
その凶悪な黒魔法に、一瞬で野次が止む。
「ここにいる番犬どもの中に紛れてんだよ。このテロ行為をおっ始めた、犬の皮被った裏切り野郎はな」
マイクからのバニラの断固たる言葉は、広大な会議室に雷鳴の如く響いた。
騎士たちの雑然たる声が波のように広がる。
ひょええ! と八太は青ざめた。
各部隊の隊長は、さほど狼狽しておらず、まっすぐと若き臨時隊長を見つめていた。
兄のベリーは、ほんの少し冷や汗を垂らしている。
その脅迫にも近い報告を口から爆弾のように投げらてもなお、司令官は身じろぎ一つしなかった。
冷ややかな眼差しで、バニラを見つめて、
「その根拠は?」
と冷静に問うた。
「聞くまでもねーだろ」
バニラはまた頬を歪めて嘲笑う。
「この本部には少なくとも一日五万人の騎士が巡廻している。地下の禁書庫はおろか警備室まで侵入すんのにどんだけ人目に晒されると思ってんだ? そんなところを、大っぴらなテロリストに魔法ぶっ放されて秘蔵の品掻っ攫われるとはぁ、騎士団ってのは低脳な犬以下集団かァ?」
「何だと!?」
「貴様ァ!!」
「黙れ」
司令官の一声に、周囲の怒りに染まる騎士たちの怒声が押し潰された。
ふはっ、とバニラはしらけた笑いを皮膚に浮かべる。
「犯人の痕跡が根こそぎ消えた時点で、そこに協力者が動いてる証拠なんだよ」
嘲笑を浮かべたまま、バニラは続ける。
「警備を敷く前に、警備に当たる犬どもを一匹一匹洗い出す方が賢明だぜ? 魔獣より先にお仲間の死体を出したくなけりゃ、な」
他人事のようにも聞こえるが、バニラの口から滑り出る声は聞く者の胸に刺さるような圧があった。
まるでこの会議室の風を吹かす台風の目のように。
ぐっ、と歯が割れそうなほど噛み締める男が、一人。
ずっと押し黙り震えていた唇が、裂けるように開いた。
「その協力者とやらは、お前なんじゃないのか!!」
男はバニラに向かって指を指して、会議室に響き渡るほどの声を張り上げた。
「さっきから偉そうにペラペラと………悪魔の分際でよくそんな口が利けるなッ!!」
男は周りの制止の手も振り払って、喚き散らす。
「そうやって騎士の俺たちを混乱させて、裏で戦争を起こすつもりなんじゃないかッ!? そもそも悪魔がッ!! 魔王の子がッ………!! その腕章を身につけここに足を踏み入れていることすら許されるものではないッ!!」
男の叫喚は掠れるほど声量が膨らみ上がってゆく。
「悪魔の言うことなど信じられるかぁッ!! 臨時だろうが貴様に隊長を名乗る資格などないッ!! 出て行けッ!! この神聖なる場所から出て行けぇッ!! お前はあの人殺しの子だッ!! お前だって人を殺めることに何の躊躇もないのだろう!? あの穢れた血が入り混じった両統の悪魔だからなぁッ!!」
「おいっ! 落ち着け!」
「やべえってもう!」
「うるさい!! 人殺しを人殺しと言って何が悪い!?」
両肩を押さえる二人の仲間の腕の中をもがくように、男は罵声を散らす。
ガリッ! と飴玉が棒ごと噛み砕かれた。
ビリリッ、と鬼畜の大悪魔は突起したツノから黒い電流を走らせる。
黒い尾が鞭打って、殺気も含めた瘴気が噴き出た。
その赤黒く染まった双眸の眼差しだけでも、人を圧死させそうだった。
周囲の騎士たちはざわめき、蒼白とした顔で後ずさる。
「バニラ!! やめなさい!!」
長男のベリーが人混みの中を掻い潜って、弟の方へ間合いを詰めてゆく。
だが、瘴気を纏うバニラの耳には悲鳴一つも届かぬようで。
「黒野 バニラ。瘴気を戻せ」
司令官の絶対零度な一声も掠りもしない。
「あーあ………悪魔とは無縁だってボク釘を刺したつもりだったんだけど…………」
伏見は頭痛を堪えるように、こめかみに手を当てる。
くはっ、と、罵声を散らし切った男が、仲間に取り押さえられながら、醜い笑みを張り付けた。
大悪魔の伸ばした指から電撃の矛先を向けられながらも、してやったりというように、口端を吊り上げる。
「へへっ………本性出したか………これであいつに指揮権はないな…………」
大悪魔の殺意一色に染まった紅い瞳が光り、鳥の断末魔の如くスパーク音が鳴った。
「おっ! 俺の先輩の悪口言わないでくださいぃっ!!」
その、火花も殺気も瘴気もざわめきも止めたのは、バニラの後輩、柴 八太の馬鹿でかい叫びだった。
二メートル近い体を張って、手を広げて立ちはだかった先は、悪魔化したバニラの前。
然るに、バニラを止めたのではない。
バニラに背中を向け、罵声を散らした男に正面を向いて、その絵図だけ見れば男からバニラを庇うようだった。
騒々しい風が一瞬で吹き止んだように、会議室は静寂に包まれる。
「せっ、先輩は、人殺しなんかしませんっ! たっ、確かによくビリビリ飛ばしてきますし、限定プリン秒で買ってこいとかパシらせてくるし、俺のこと犬だと思ってるし、ふざけて首輪つけられたこともありますけど………うぅっ」
自分で言って悲しくなったのか、八太は少しすすり泣いた。
「でっ、でも………先輩は!! 調査部隊の仕事も懸命に尽くしています!!」
八太は鼻水をすすってから、ふんっ、と顔をしかめた。
「強盗団の追跡とか、不発爆弾調査とか、どんな危険な現場でも恐れもなしで暴いていって、調査の最中に敵からの不意打ちにあった時も、体張って俺を庇ってくれました……」
言いながら、八太は思い出に浸るように目線を動かした。
「バニラ先輩は力だけが武器じゃないんっす。力があるから臨時隊長に任じられたわけじゃないんっす。よく周りのことを見ていて、隊員一人一人の些細な変化にもすぐに気付かれる鋭い洞察力も持ち合わせてるんすよ! 宝坂一族のツバメ隊長からも厚い信頼を受けているんっす! だから………だから、俺の、俺たちの現隊長の悪口は、この調査部隊が許さないっす!!」
ダンッ! と青色の腰小旗をはためかせて、調査部隊全隊員が足を踏み鳴らす。
皆、凛々しげに顔を引き締めていた。
びく、と、罵声を散らした男の肩がすくんだ。
同時に、悔しげに唇を噛み締める。
バニラは、悪魔化したままで、きょとん、と後輩の広い背中を見つめていた。
ツノも牙も尾も静かに存在感を放っているが、殺気を混ぜた瘴気が縮小し、黒い雷、ライゴウも火花を鳴らすことはなかった。
「黒野 バニラ。それと後藤 京。本日中に始末書を提出しろ。それがお前たちの処分だ」
司令官の氷室は、バニラと、罵声を放った男に命じた。
バニラは視線を向けるだけだったが、後藤は「はい」と静かに返事をする。
ふう、と少し離れでベリーが安堵の息を吐いた。
「で? 司令官サマはこの件についてどう判断しているおつもりで?」
突撃部隊隊長の、鷹尾がやや挑発的な笑みで司令塔へと問いかけた。
氷室はしばし閉ざしていた瞳を開き、マイクに向かって声を上げた。
「バニラの意見に同感している」
しいん、と音も声もないが、騎士たちの目が驚異に瞠った。
「ここにいる騎士の中に、テロリストと繋がりを持つ輩がいると睨んでいる」
その場にいる全員が、瞬きさえ止めて立ち尽くす。
「その、輩も含め、全騎士に告ぐ」
氷室は一際強い声で、采配を振るった。
「このような卑劣で残忍な行為は絶対に許さない。今日よりこの本部内での警備も、その警備に当たる者への検分も含めて徹底せよ」
警備部隊隊長の守が、固唾を飲んで眉を寄せた。
「仲間を疑えとは言いたくない。だが、疑わしき点が発覚したならば包み隠さず俺に報告するように。何事も冷静に判断しろ。感情に流されるまま動くな。その覚悟を持って、今日から職務に当たれ。いいな!」
はっ! と覇気のこもった返事が揃って響いた。
氷室は鷹揚と頷く。
「これにて、緊急会議を終了とする」
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