第二十八話 騎士で悪魔
集合命令が行き渡ってすぐ、ドーム球場ほどの広大な会議室で、本部の全騎士が駆り集められた。「全」と言っても、勇者班率いる出張中の騎士、約五万人もの強豪は除き、それでも二十万人は余裕に超えている。
床や壁に彫刻された四つの白いダイヤマークは、約二千年もの歴史を繋ぐ騎士の象徴。
その模様の腕章の手に許されて、彼らは初めて騎士の称号を得る。
ボディスーツに鎧を身に纏い、剣を腰に携える者たち。だが、三度の戦争時代も越えた今では、剣士というスタンダードな枠からずれる騎士もまた然り。武器に頼らず、魔法そのものに個性を爆発させる丸腰の魔法使いや、魔力を用いた体術を繰り出す屈強な魔拳士など、騎士の形は一様ではない。
しかし、あの暴君サタンと同じ螺旋模様の魔眼を持つオッドアイの男に、ゴツゴツベルトをギラつかせるビジュアル系ファッションを纏い飴玉を舐める美少年は、腕に巻いた騎士の象徴を闇に染めるようだった。
魔王の子でありながら騎士団に所属する、世間のお騒がせ者たち、黒野兄弟。
彼らは十四年前に勇者の許しを得て、騎士団の管理下の元で人界に居住している。
当時は皆子供だったが、今では三人が騎士に、一人は魔法学校の教師へと成り果てた。そのうちの一人の騎士は、この緊急会議にも顔を出さないほど休職を貫く引きこもりなのだが。
「ベリー、あいつには一声もかけなかったとは言うまいな」
海のような青髪をなびかせて、警備部隊隊長の聖騎士、海凪 守は突撃部隊の陣へと踏み入った。
凄みのある目で睨まれ、ベリーはオッドアイの瞳をぱちぱちさせる。
あいつ、とは、周囲の誰もが聞いて察する、ベリーの弟であり守の部下、引きこもりの三男のミントだ。
「ちゃんと言いましたよ…………いってきますね、いい子でいるんですよ、ご飯は昨日の残り物をチンして食べなさいって」
「そういう一声ではないっ!! 幼児の留守番ではないんだぞ…………全く、甘やかしすぎだ」
「そんなことおっしゃらずに………あの子、守さんへのお手紙も書いたんですよ、ほら」
『まもるさん、がんばってね。またおうちであそぼうね』とわざとらしくも丸みを帯びた文字と下手な似顔絵が添えられた紙を突き出されると、守の額の静脈がブチっと不吉な音を鳴らした。
「完全に幼児化してるではないかッ!! 俺を上司だと認識しているのかあいつは!? こんなもの書いている暇があったらとっとと足を動かして来い!!」
守が清々しいまでに啖呵を切った。
後ろに控える警備部隊の部下は、ヒヤヒヤと汗を垂らす。
怒声を浴びたベリーは、困ったような苦笑を漏らした。
「すみませんねぇ。アレでも可愛い弟なんです。甘やかしと言われましても、その通り、甘やかすことが兄の曲げられない性分なんですよ」
ぐ、と守は心苦しそうに唸った。
この慈愛に満ちた長男の眼差しは、どれほどの罵詈雑言も跳ね返す不屈の瞳なのだ。上からの圧と下の者への重心となる守の苦渋の経験の中、この常識をぶち抜く兄弟愛には、結果的には譲歩してやる他選択肢は押し殺されてしまう。
闇を打ち消す聖騎士も、この不変の愛で繋がれた一家の心の奥底に蠢く闇までは、太刀打ちどころか触れられることすらできないのだ。
守は咳払いして、横目でもう一人の問題児に視線をやった。
「あっちの方は問題ないのか?」
「あー………それは僕も心配です」
視線の先は、調査部隊の列の先頭。見た目は銀髪美少年にして中身は鬼畜王子の異名で恐れられる天性の両統、黒野家四男にして兄弟最強の悪魔、ライゴウ使いのバニラの方だった。
「せんぱ〜い、そろそろ会議始まりますよぉ……?」
バニラの隣で、蒼白とした顔面でおずおずと声をかける長身で屈強の男。百九十センチを超える、小柄のバニラより頭二つ分高い身なりのくせして、その表情は縮こまる子犬のように怯えている。
図体も飾りにしたその男、柴 八太は、バニラと同じ班に所属する一つ年下の後輩だ。
そんな大男の隣で威風堂々と仁王立ちするバニラは、いちごミルクのキャンディーを舌の上に転がし、無言の糖分補給をかれこれ十分以上はぶっ続けていた。TPOなどという言葉は、鬼畜王子の頭の辞書には産声を上げたと同時に抹殺されている。
「せっ、せんぱ〜い、バニラせんぱ〜い、お菓子タイムは一旦お休みにしませんかぁ?」
「あ?」
「ひぃっ!」
蛇に睨まれた蛙の如く、一瞬で硬直した八太。
鬼畜王子の紫紺の瞳は蛇以上の殺気を孕んでいた。
「せ、せんぱぁい………お、おおお言葉ですが、ツバメ隊長が出張の今、この調査部隊のトップの座は先輩にあるんっすよぉ? それも緊急会議を前にしても全然打ち合わせしてないし、今日も遅刻するし、お菓子食べてるし…………あぁ〜〜〜俺胃が痛いっすぅ………」
八太は哀れな子羊を絵に描いたようにさめざめと泣く。
口の中で舌を踊らすだけで沈黙を貫いていたバニラだったが、ガリッ!! とまだ固形の飴を奥歯で噛み砕いた。
ひぃぃぃっ! と八太の半身が跳ねる。
「おいポチ太」
「八太っす」
「あァ?」
「すんませんポチ太っすッ」
「テメェ駄犬の分際でこの俺に意見しやがるつもりかァ?…………この大衆の場で身ぐるみ剥いで首輪繋ぐぞボケェ」
バチン、と額から黒い火花を散らして、紅く染まりかけた双眸で長身の後輩を見上げ、おばけのように首を傾けた。
ひゃぃぃぃぃっ! と八太は大きな子供のように震え慄いた。
「すみませんんんんんん!! 黒蜜プリン奢りますから許してださいいいいいいい!!」
「新商品のバナナ豆乳味も忘れんなよ」
「承知っすぅぅぅっ!!」
ざわめく空間の中、ブザーの電子音が鳴り響いた。
どうやら雑談も強制終了のお知らせだ。
騎士たちは整列し、背筋を伸ばして身構えた。
右から、赤色の腰小旗を身につけた突撃部隊、黄色の旗の警備部隊、青色の旗の調査部隊、緑色の旗の回復部隊が、色を揃えて立ち並ぶ。
高々とそびえる司令塔から、司令官の氷室 怜が顔を見せた。
騎士たちは目線を上げ、顔筋を引き締める。
一人、退屈そうに飴玉の欠片をじゃりじゃり噛み締める鬼畜な騎士を除いて。
「これより、緊急会議を始める」
白銀の髪に、絶対零度の眼差しで見下ろす氷室が、毅然たる口調で会議の幕を開けた。