第二十七話 屈辱の姿
ファイアドレイクの襲撃により、学校は臨時休校となった。
生徒の怪我人も出たが、名門校の魔法学生あってか、皆軽傷で済んだのが不幸中の幸いだった。
が、これが野生からの発生ではなく、禁術を用いた人為的なモノだと、目にすることすらあり得ないその魔獣の正体を知った時点で、教師は当然、知識量の豊富な生徒らも現状を理解した。
六十三人もの全教員が生徒を避難させながら、千里眼持ちの教師が眼力を削りに削って周辺を透視という名の警巡をしたが、苦渋にも不審者らしき影は掴めなかった。
その後、騎士団の全部隊が集結し、荒れ果てた学園の端から端まで徹底調査したうえで、木造建築のスペシャリスト、ドワーフ大工の手により、明日には修復の見込みを立てている。
アイスケらが帰宅すると、引きこもりの三男、ミントが珍しく出迎えた。第一声は、神妙な顔での「大丈夫?」だった。突撃部隊所属の長男、ベリーも本部からの呼び出しを食らい、調査部隊所属の四男、バニラも残業が確定したようだ。次男のラムは、当然のこと学園に残っている。
無色透明なガラス玉のような瞳で、じっと切なげな眼差しを向ける兄に、アイスケは「大丈夫」と歯を見せて笑い返した。後ろの兄姉も「そんなことより腹減った」と呑気な振る舞いを見せた。
ミントは二十一歳の男だが、容姿は虚弱な美少女のようで、精神は子供みたく甘えん坊で、その器の中の愛情は果てしなく深い。
そんな、ガラス細工のように美麗で儚げな雰囲気を纏う愛おしい兄に、塵ほどの不安も与えたくなかった。
「大丈夫」
きっぱりと、歯切れ良くそう言った。
だが、自分は上手く笑えていただろうか。
洗面所の鏡の前で一人、アイスケは己の瞳に問いかけた。
ピンクパンダのジャージのファスナーを下ろして、はだけた首元に巻きつく、輝く雲が動いたままに張り付けられた、奇妙な首輪を睨んで。
星雲輪。封印まではいかないが、一定の魔力を抑制する枷を意味した魔具らしい。何やら神樹から採取した星屑苔の魔力の流れを逆流させて凝縮するように鉄と調合し、闇の中の星雲のような模様が浮かび上がることから名付けられたとか何とか、と、そんなことはどうでもいい。ひまりを巡ったシャドウでの事件のあと、天才発明家の兄、ラムの手によってそれはもう犬を扱うように嵌められ、そのまま躾と称するざっくりとした説明を聞かされたわけだ。
『エメポーションも完成した。お前の歌の研究は終わりにする』
『それで、何だよ? こんなもんつけなくたっていいだろ!』
『駄目だ。お前の歌には、力がある。お前は無意識に、歌声に未知な魔力をのせてるんだよ』
『それは聞いたし、自分でも実感したから分かる! だからって弟にこんなもん嵌めんのか!?』
『弟だから、だ。お前のその力は、今後は見世物にしちゃ駄目なんだ。お前を守るためにも』
『でも………』
『お兄ちゃんの言うことを聞いて。別にね、魔力がなくなるわけじゃない。それは調整済みで、お前の喉の魔力を塞ぐようにしてるだけだ。お前が大好きな歌を、あの力を殺して、好きに歌えるようになるんだよ』
『……………じゃあ、あの力が、必要になった時は?』
アイスケはまっすぐといたいけな子供のような眼差しで兄の目を見た。
あの力で、ひまりは救われた。
もし、いつか、無力だった自分にだけ与えられた、「使命」が訪れた時は?
兄は少しだけ目を細めて、それでもじっと見つめたまま言った。
『その時がきても、お前は、あがくな。お兄ちゃんたちが、絶対に、守り抜いてやるから』
ぐっ、と、唇を噛み締めた。
疲労やら、憂鬱やら、どんよりとした負の感情が首輪と一緒に喉に締め付けるようで、身体が重い。
何より、真琴が放った冷たいナイフのようなの言葉が、胸に刺さったまま、消えない。
『その友達のピンチにキミは何もできなかったってわけだ』
悔しい。
胸の奥の熱い塊が震えるほど悔しい。
口から、沸騰した激情の渦が飛び出そうなほど、悔しくて、悔しくて、悔しくて、挑発した真琴にではなく、真琴にできて自分にはできなかった無力さに、このペットみたいに首輪を嵌められた守られてばかりのちっぽけな自分の姿に、悔しくて。
それなのに、何も言い返せなかった。
ヒーローの最大の武器と掲げていた「ありたっけの愛」とか、兄の言う「未知な魔力」とか、そういうものが、自信で、自尊で、誇らしげに思っていたけれど。
その誇りでは、今日のあの子を救えることはできなかったのだ。
その、誇りだけでは。
(俺………このままでいいのかな………)
首輪の窪みをなぞって、アイスケはふと胸の内で呟いた。
答えはまだ、分からない。
まだ。