第二十四話 風斬 真琴
「バカユメカーっ! 起きろーっ!」
「はぐぅっ!」
半眼で朦朧としていたユメカの半開きな口に、姉のココロがチーズサンドをぶち込んだ。
飢えに飢えた悪魔の目が光り、やっとありつけた食べ物に恥も捨てるようにガツガツと食らいついた。
聖魔法による傷もあるが、空腹感が一層強く脱力させていたのだろう。
食べた途端、丸くつぶらな瞳に活き活きとした生気を取り戻した。
「ったく………世話が焼けるんだから………」
と、ココロはため息を吐きながらも、妹の乱れた髪をすくように撫でてやった。
「俺のチーズサンドぉ………」
「あとで買ってやっから……」
「マジで!? フウちゃん大好きーっ!!」
「うぐっ!」
双子の兄、フウガが弟のコウガの肩をぽんぽんしてやると、しょぼくれた表情から一変、コウガは天真爛漫な笑顔が咲いて、兄に抱きつき頬にぶちゅーっとキスをした。
脳筋チームも、無事に帰還した。
中でもいち早く駆け出した末っ子は、あまり穏やかではない空気に佇んでいるようだが。
ネコミミフードの耳を揺らして、ふふんと鼻を鳴らす少女を前に、アイスケは歯軋りした。
風斬 真琴。
緋色と同様、幼稚園からの幼馴染で、空席だったうちの一人の、クラスメイトである。
天性血統の危険種に認定されてるだけあって、その戦力は学園トップクラスに光り輝く、並大抵の器ではない。
戦力のみならず、多面的な見方をしても───特に、アイスケにとっては。
「随分ド派手な登場してくれるじゃねーか。新学期入って一度も出席してなかった不良がよ」
アイスケの皮肉たっぷりな第一声に、真琴は目を細めて笑った。
「仕方ないだろ? ボクの敬愛するジュエル歌劇団の『ロミオとジュリエット』の全国ツアーのチケットが奇跡的にも当選しまくってさ…………ああ………まだボクの心はヴェローナの街にいるよ」
と、胸に手を当て別次元へと語ってやがる。
ちなみに、ジュエル歌劇団とは、未婚の女性だけで構成された長い歴史を誇る歌劇団で、男性役も女性が演じる、「男役」というスターに、ボーイッシュな真琴も強い憧れを持っている。
「サファイア組のトップスターの水樹 珠里様、ああ………お美しかったな………ボクもあんな上品な色気に包まれたいよ………」
陶酔したように、真琴は遠い目で語ってる。
トップスターとは、歌劇団の組ごとの頂点に立つ男役の呼称だ。
アイスケもジュエル歌劇団は何度も観劇しているので、珠里様の男顔負けの魅力は重々に実感していた。
「まぁ、分かるな………尊き異次元ミュージカルからクソな三次元へと復帰するには相当の時間と忍耐力が必要だしな………」
「だろ? 正直言ってボク、まだ三次元が灰色に見えるよ。朝の教頭が干し柿に見えたよ。ああ………あの薔薇色の世界にもう一度戻りたい…………珠里様の美声な歌声が聴きたい………」
「俺も………透間の客席降りが見たい………もう一度SS席の一列目で公開プロポーズされたい………」
「アイスケ………それは体験じゃなくキミの妄想だよ………」
二人はほわ〜んと頭の上に花びらを浮かべるように、甘い想像に浸った。
「あ、あのぅ………」
おずおずと、遠慮がちに声をかけるひまり。
聖剣クラウ・ソラスを鞘に収めて胸に抱き、二人の間を覗くように顔を寄せた。
「お二人は、どういったご関係で………?」
アイスケはハッとして、頭の花びらを払って思考を現実へと引き戻した。
「あ、ああ! ごめんねひまりちゃん。こいつは風斬 真琴っていって、うちのクラスメイト。ひーくんとおんなじ、俺の幼馴染なんだ。まぁ何つーか………こいつも俺も、ミュージカルのオタクなうえ俳優志望もあって、昔に同じミュージカルスクールにも通っててさ………そん時からの………ライバルってやつかな? ま、俺の方が演技力も歌唱力も勝ってるけど?」
得意げにウィンクしてみせたアイスケに、はっ、と真琴は鼻で笑う。
「よく言うよ。反復横跳びもカニ以下の運動音痴のくせに。ダンスでボクに勝った記憶があるのかい? その小さな脳みそに」
「ぐあぉ〜〜〜っ!! だっ、ダンスだけだッ!! あとは全部勝ってる!!」
「脳みそカニミソ以下だね。実際にキミとボクのコンクールの受賞歴は十二対十二の同点。あぁ、キミの十二敗は全部高難易度なステップに挑んだ結果の大転倒。自分の尻尾にぐるぐる巻きになって大泣きしたあの醜態は今でも思い出し笑いしちゃうよ………ふふ」
「てっめぇええええええええ!! 忘れろーっ! 全部忘れろーっ!! よし忘れさせてやる!! 俺の成長した尻尾ビンタでテメーのその毒詰まった脳みそ叩き直してやるッ!!」
怒号と共に跳ね上がり、アイスケは怒張した尻尾を振るい落とす。
にやり、と真琴は挑発的な笑みで、身じろぎ一つせず、
フッ! と風に飲まれて影分身の如く残像をチラつかせ、横合いへ躱した。
風速。風の加護の一つだ。
「おいおい、音楽ならともかく、肉弾戦でボクに当てられるとでも思ったのかい? Dランクの最底辺くん?」
んぐにゃぁ〜〜〜!! とアイスケは爪を立てる猫みたいに唸る。
真琴は怨念深く睨まれても痛くも痒くもないような、むしろ愉快げに微笑んでいた。
「あ、あのぅ………真琴、さん………さきほどは助けていただいて、ありがとうございます」
ぺこりと頭を下げたひまりの方へ、真琴は初めて目をやった。
「ああ、気にしないで。ちょうど鈍ってた体もほぐせたことだ………し……」
ひまりが顔を上げて、拳三つ分高い真琴の方へ上目遣いで見上げた。
刹那、真琴は石のように硬直した。
口を開けたまま、じっとひまりの顔に視線を縫い付けて、凝視した。
「?」
ひまりは小首を傾げる。ヒマワリの髪飾りと、亜麻色のツインテールがサラサラと微風になびいている。大きな瞳は中に満月を閉じ込めたように黄金色に煌めいていて、人形のようにカールした長いまつ毛に縁取られていた。
桜色の自然に潤んだ唇が、中に赤い舌を覗かせて小さく開いている。
灰色だった真琴の世界に、形が、色が、光が、一人の少女を中心にして広がったのだ。
「な、んて………可愛らしい…………」
ぽっ、と真琴の頬が熱を持って赤く染まる。
ひまりの小さな白い手をぎゅっ、と両手で握って、真琴は告げた。
「見つけた!! 運命のプリンセス!!」