称賛と批判と憧れと
サッカー選手である香山。彼をめぐってはサポーター、敵チームサポーター、同僚選手、ライバルチーム選手、そしていつもはそのスポーツを見ない層からもさまざまな議論がなされるのである。
法外な年俸、整ったルックス、華麗なプレイスタイル、物議をかもす発言の数々。それらを彼をとりまく人々は、時に面白おかしく、時に真剣に、語るのである。
その発言は香山を、チームを、そして発言者達自身を疲弊させていく。
だれもが彼について疲れていたのかもしれない。なにより香山の疲弊した姿に、心を痛める人は少なくなかった。
香山はインタビューを求められると、あからさまにいらだった様子を、隠そうとしないことも多かった。彼の事をよく思わぬ人々はそういった姿に、品位がたりない、一流アスリートとしての次世代の子どもたちへの、お手本としての自覚がたりないと罵声を浴びせるのだった。
かといって、香山が殊勝な姿を見せると、みせかけだけのパフォーマンスにすぎないと言ったり、俺たちのブーイングがよっぽど応えたとみえるな、とあからさまに嘲って笑う人々もいた。
あきらかに香山に限界が近づいてきていた。
そんな事が香山を決意させたのかもしれない。香山は、引退を発言した。
大騒ぎになった。人間、げんきんなもので、惜しむ声が大多数あり、香山への否定的な発言をした人々は叩かれもし、手のひらを返して引退撤回を望んだ。
発言の一週間後、引退撤回。
だがそうなると、引退発言はポーズにすぎなかったのだ、人々の気を揉ませるだけもませて、たった一週間で発言撤回とは、と人々は怒るのだった。
そんな状況に、香山の近しい友人からの声として、彼は本当に悩んでいて、もう自分はどうしたらいいのかわからない、ともらしているとの記事が新聞にのったりもした。
ある日の試合。香山はその日も高パフォーマンスを見せ、2得点を決めていた。お馴染みの、ファンの歓声と敵チームサポーターからのブーイング。そんな中その事故は起きた。
香山がドリブルをして、敵ゴールに迫っていた所へ、相手ディフェンダーのスライディング。香山が倒れた。ファンの相手選手へのブーイング。敵サポーターの早く立ってプレーを続けろ、のブーイング。いつものピッチでの光景だ。
だが、その日はいつもとは少し様子が違った。香山が立ち上がらない。
スタンドの人々も少しづつ、何かがおかしいと気づきだす。その不安の輪がだんだんと広がっていく。香山を心配する声がざわざわと騒ぎになっていく。早く立ち上がって何事もなくプレーを続けてくれ、その声のない祈りがスタンド全体に満たされ、その祈りは香山への声援の声に変わる。だが、香山は立ち上がらない。絶望が、その場を満たす。
医療班が香山のもとへ急行する。すぐに担架で運ばれる香山。カメラが苦痛に顔をしかめる彼の表情を映してした。人々は彼を不安気に見送った。
その日、チームからの絶望的な発表がおこなわれた。香山は選手生命を断たれる大けがをおっていて、緊急の手術がおこなわれたことを。
このニュースはサッカーを愛するすべての人々に衝撃を与えた。誰もがこんな形で失われた、才能を惜しんだ。雑誌は香山の特集を組んで、香山の功績を再評価した。皆口を開けば、香山の話題だった。
だが、そんな日々も時がすぎれば、忘れ去られていく。香山の話題を出す人々はしだいにいなくなり、変わって新しいお気に入りの選手に夢中になっていった。
ある日の少年サッカーチームの練習風景を見ている、一人の男がいた。松葉づえにサングラスの男は賑やかなその練習の様子を眺めていた。グラウンドではたくさんのボールが、素早くパス交換されていた。一人の少年がパスを失敗する。男の足元にボールが転がってくる。少年は、すいませーんと叫びながら、ボールを取りに走ってくる。近寄ってきて男の顔を見た少年は、あっと声をあげた。緊張した声で少年は、
「あ、あの香山さんですよね。僕、あなたのファンだったんです。あなたがケガをした試合も見てました。あの日ほど人生で悲しい日はありませんでした」
香山は少年ににっこり微笑んだ。そして、
「ありがとう」
そう言った。
少年は、
「香山さん、サッカーはもうできないって聞きました。本当に残念です。本当に。他になんて言っていいか・・・」
おーい早くしろよーそんな声が少年にかかる。
「あ! 練習がありますのでこれで」
少年はペコリと頭を下げると走り去っていく。
香山のそばに女性が近寄ってくる。香山の妻だった。
「いいの? あれで。だってあなた、サッカーもう一度できるんでしょ?」
香山は地獄のリハビリを耐え、医師が驚くような回復をみせ、これなら現役復帰も可能かもしれない。その判断を得ていた。
「いいのさ。今は。俺はプレーで語るしかないから。口でなにを言ったって、1ゴールの重みにはかなわない。だから絶対あの場所に戻る」
香山の口調は静かだった。だが静かな闘志にあふれていた。