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伝説のおにぎり屋さん

作者: 牛尾 仁成

 そのおにぎり屋は大層おいしいらしく、伝説のおにぎり屋と言う者までいる。


 最寄駅がある大通り、そこから一本川沿いの脇道に入ったところにその店はあるようだ。


 曰く、一度食べれば二度と他のおにぎりは食べられない。


 曰く、どんなハードワークでもこのおにぎりを食べれば、乗り越えられる。


 どうせ眉唾だろうと思った。


 だが、実際食べてみないことには、ガセかどうかはわからない。だから、私はそのおにぎり屋に行ってみることにした。決して、その伝説のおにぎりの味が気になって仕方が無かった、という訳ではない。


 そのおにぎり屋はくたびれた紺色の暖簾と朽ちかけの看板を掲げて、裏通りの路地に窮屈そうに立っていた。

 

 引き戸を開けて暖簾をくぐると、炊き立てのお米の香りが鼻をくすぐってくる。


 店の奥から白い割烹着と頭巾をした腰の曲がった老婆が表れた。


 店にはメニュー表が無かった。だから、私は何が注文できるのか分からず、途方に暮れてしまった。すると、店主と思しき老婆はそんな私の戸惑いを見透かしたかのように言った。


「なんだい。新顔じゃぁないか。朝っぱらからそんなしょぼくれた顔するのなら、あんたにはコイツがお似合いさ」


 そう言って、老婆は私の目の前でおにぎりを握り始めた。


 しわくちゃの手を水で濡らし、炊飯器を開けて白いご飯を手によそう。数回、掌の中で米を躍らせると、素早く赤茶色の具材をくぼめた米の中心に据えて包み込んだ。そこからは素早い所作でみるみるうちに見慣れた三角形へと形成し、気づけば目の前にのっぺりとした黒い海苔で包まれたおにぎりが置かれていた。


「何ボーっとしているんだい? さっさと持って行きな」


 その熟練された作業に不覚にも見とれていた私は、店主の言葉で正気に戻った。


 お代は、と尋ねると店主は「次来た時にまとめて頂くさ」と少しいたずらっぽく言うだけであった。


 そのままおにぎりを頂き会社に行き、昼食におにぎりを食べた。おにぎりは握り具合も、米と海苔の湿り具合も完璧だった。口に入れ噛み締めると、ほろりと解ける米、口いっぱいに広がる塩気と海苔の香りに味覚と嗅覚をノックアウトされる。

 

 私は思わず言葉を失った。


 何より衝撃的だったのは、言った記憶も無いのに老婆は私の好物の梅干を具材に選んだことであった。


 そして私は納得した。


 だから、あの店は『伝説のおにぎり屋さん』なのだと。


 私が老婆にお代を払い行ったことは言うまでもない。


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