Letter
【オメガバース】
・男女とは別に第二の性としてα、β、Ωがある。
・αは男女共に優秀で産ませる側。
・βは第一性と同じ。人口の大半を占める。
・Ωは男女共に産む側。発情期がある。
・αとΩにはフェロモンがある。
・αがΩの頸を噛む事で番契約が完了する。Ωは一度噛まれると一生涯そのα以外を受け付けなくなる。αは複数のΩとも番える。
・誰よりも強く惹かれ合うれる『運命の番』『魂の番』と呼ばれるαとΩがいる。出会える確率はとても低い。
仕事へと出かける彼を見送って半年が過ぎた。
その間に届いた手紙の束に触れる。
それは簡単な近況と愛の言葉で彩られている。
愛おしげに撫でてから窓の外に広がる海を見た。
キラキラと陽光を反射する空よりも深い青。
彼の瞳と同じくその色に目を細めて、ペンを取る。
愛を込めた返事を書く為に。
7ヶ月を過ぎて届いた手紙には、雇い主から2ヶ月延長を申し込まれたと書かれていた。
彼の旅の無事を祈り、神殿で頂いたお守りと共に手紙を送った。
9ヶ月経ち、届いた手紙には事故で船が破損して近くの港に寄っていると書かれていた。
すまない。早く会いたいと書かれた手紙を胸に抱きしめて「私もです」と呟いた。
私も早く貴方に会いたい。話したい事がたくさんあるんです。
高鳴る想いを込めて手紙を書く。
貴方がいないこの家はとても寂しい。貴方が残してくれたコートの匂いも薄くなってしまった。
ねぇ、貴方。早く、早く帰ってきて。
10ヶ月が過ぎた。手紙はまだ来ない。
毎朝、毎夕、丘の上の家から見える海を見つめている。
手紙を運んでくれる伝書鳥は今日も訪れない。
どこかで事故にでも遭ったのだろうか。心配で食事も喉を通らない。
どうか無事で。
祈るだけしか出来ない自分が情けなく、涙が溢れても拭ってくれる愛しい人はこの海の向こうにいる。
11ヶ月に差し掛かった頃、ようやく手紙が届いた。
やはり伝書鳥が怪我をしていたらしい。簡単な近況と船の修理かまだかかりそうだと書かれていた。
やるせないため息を吐き出し、自分の心のようにどんよりとした暗い空を見つめた。
そういえば、いつも書かれていた愛の言葉が無かった。
ざわりと体の中を不安が這う。
胸元をギュッと握りしめて「大丈夫」と願うように口にした。
「大丈夫」ともう一度呟いたが怖くて堪らなかった。
手紙が届かないまま、12ヶ月が過ぎようとしていたある日。
伝書鳥が運んできた手紙をいそいそと開封する。
たった1枚の手紙を何度も読み返す。
いってらっしゃい。と見送ったのは約1年前だった。
カサついた唇にキスをして、いってくるよと照れたように笑った貴方。
力が抜けた指先から手紙がハラリと床に落ちる。
寂しい。と泣きそうな自分に「手紙を書くよ」と約束してくれた。
たくさん送るから、どうか忘れないでくれ。そんな優しい言葉と共に、頸に口付けを落としてくれた。
体の力が抜けて、床の上に座り込んでしまった。
互いを気遣う言葉とキスを交わした時の愛おしさはまだ胸の奥にある。
なのに、彼の香りはもうどこからも感じない。1年という時間が愛おしい番の香りを消してしまった。
–––––– 声を聞かせて。
–––––– 頭を撫でて。
–––––– 抱きしめて。
–––––– キスをして。
ねぇ、会いたいよ。寂しいよ。
伝えたい事がたくさん、たくさんある。
『すまない。運命に出会った』
そんな冒頭から始まった手紙は、彼がもう2度と帰っては来ない事を記していた。
項垂れ、床についた手が小刻みに震えて止まらない。やがて全身が震え出した。
目から涙が溢れ出し、止まることなく床を濡らしていくのを呆然と見ていた。
–––––– どうしよう。
最初に溢れた感情は混乱だった。
–––––– どうしよう。どうしよう。
–––––– 捨てられた。
–––––– 彼に運命の番が…
そうだ。運命の番が現れて、自分は捨てられたのだ。番を解消すると書いてあった。
項垂れてさらりと横に流れた黒髪のせいで、首筋に残る噛み跡が露わになる。
あんなに愛していたのに。
あんなに愛されていたのに。
「あ……うっあぁぁ」
漏れ出る慟哭に体が、心が侵食される。
悲しくて哀しくて、辛くて、胸が引き裂かれそうに苦しい。
運命なんて、どうして、なんで。
どうして彼がっ!
αとΩの間に存在する特別な関係。
惹かれあってやまないというその関係に、まさか彼が遭うなんて。
滅多にない長旅の仕事も、運命だったというのだろうか。
あんなに愛し合ったのに、運命の前ではこんな紙切れ一枚で終わるようなものだったのだろうか。
もう戻らない彼を想う気持ちが辛くて悲しい。
このまま張り裂けて死んでしまえばいいのに。
泣き続けて声も枯れ始めた頃、耳が小さな泣き声を拾った。
まるで猫のようにふにゃふにゃと泣く声に、自然と体に力が入る。
フラフラと立ち上がり、導かれるように寝室へと足を運ぶ。
柔らかい日差しを受けたベビーベットの中で赤児が頼りなく泣いていた。
そっと抱き上げてゆっくりと揺らす。
「泣かないで…」
ボロボロと溢れる涙を柔らかい布で拭き取る。
しばらくあやすと赤児は泣き止み、まだ濡れている宝石のような瞳で見つめるとふにゃりと笑った。
「あぁお、うぅー」
赤児の可愛い喃語に笑みが零れた。
–––––– あぁ、なんて愛おしい。
溢れ出す悲しみにほんの少しの優しさが灯る。もう戻らない彼によく似た赤児が伸ばした小さな手に自分の指を差し出せば、力強くギュッと握りしめられた。
物言わぬ赤児に慰められた気がして、細めた目から最後の涙がほろりとこぼれ落ちた。
–––––– この子がいる。
何を悲嘆にくれる事があるだろう。
自分は一人ではない。この子がいる。
この、愛おしい我が子の為に生きていこう。
「愛してるよ」
窓に視線を向けると、窓の向こうに見えた海が煌めいている。
捨てられても、それでもまだ彼を愛している。
恨みも悔しさもあるが、それでもこの子を産めたのは彼のおかげでもある。
この海の先、空の果てに、愛しい運命の人と共にいる彼に、この愛おしい存在を伝えられないのはとても残念だ。
あぁ。貴方。
話したい事がたくさんあった。
伝えたい事がたくさんあった。
でも、もういい。
どうやっても、私と貴方の道はもう交わらない。
だから、貴方の匂いの消えたこの家で、私はこの子を愛して生きていく。
あぁ、貴方。
愛していたよ。
再び微睡む赤児の額にキスを落とし、寝入るまで腕の中の愛おしい子を見つめていた。
もう涙は止まっていた。
14年後
岬にある赤い屋根の小さな家。
ギシッと軋む玄関戸を開けて1人の少年が出てきた。
背負った大きな荷物を下ろして玄関を施錠する。
再び荷物を背負い直すと庭の一角へと足を進めた。その先には白い花を咲かす庭木があり、その下にまだ新しい墓があった。
海が見えるように建てた墓の前に跪くと、少年は微笑んで「行ってくる」とだけ伝えた。
僕は、ちゃんと帰ってくるから。
言葉にしなかった想いを飲み込んで、少年は振り返る事なく歩き始めた。
母の墓には入れなかった父からの最後の手紙を握りしめて。
潮風に煽られて、白い花弁がハラリと舞い散って墓の上を飾った。
*終わり*
お読みくださりありがとうございます。
オメガバース設定ですが、本作ではあまり働いてません。がっかりされた方には申し訳ありません。
主人公はオメガ性ですが、男女どちらでも取れるように書いたつもりです。
続編はございませんし、予定もありません。