くじらがあらわれた日
初投稿です。自分の想像と体験をあわせて小説にしてみました。
「それじゃあ」
そう言って僕は友達に別れを告げ一人で家路についた。
僕の住んでいる街は東西を山と海に挟まれていて、自然が豊かだ。(良いように捉えれば、だが)
もちろんファストフード店やコンビニエンスストアやゲームセンターはなく、街の子供が遊ぶときにすることといえば、家でゲームか、空き地で軽い運動ぐらいしかない。
僕もその例に漏れず、山の方にある友達の家でゲームをしてきた。
両親は共働きなので送り迎えをしてくれるわけもなく、僕はたいてい、遊びに行くときも、帰るときも自分の足で歩いて行く。
いつも歩くのは面倒だと思いながらも海沿いにある自分の家から、山の方にある友達の家まで歩くのだが、帰り道となると少し気分が違ってくる。
秋の中頃、日が暮れてくると白い太陽がゆっくりと海の方へと沈み始め、オレンジ色の夕日にだんだんと変わっていく。自分の家へと続く坂をそれを眺めながら降りるのが少し、好きだった。
僕は軽やかな足取りで坂道を下っていった。
(ビュオオ……)
突然、わが家に帰ろうとするのを阻むような風が、坂道の下から僕のからだへと強烈に吹き付けて。
いきなりの強風に涙がにじんだ。それを拭こうと長袖で目をこすってからもう一度海を見ると、
くじらがいた。
それはテレビで見るものよりも桁違いに大きく、身じろぎするだけで大波を起こせそうなほどの巨体をしていて、まるではじめからそこに存在していたかのように悠然と沖合い1kmぐらいのところに浮かんでいた。
僕はあまりの出来事に息を吸ったまま、吐き出すこともできずにしばらくその場に立ち尽くした。
どのくらい経っただろうか。
くじらが動きはじめた。はじめに頭を水の中に沈め、順番に胸、ヒレ、腹、というふうに。そしてその尾ヒレが完全に水の中へと沈もうとしていた。
その時――
くじらがちょうど水泳選手が壁を蹴ってターンする時の様に力強く、しかしゆっくりとその巨大な尾ヒレで水を掻いた。
海水に計り知れない力が加えられ、わずかな波しぶきと共にとてつもなく大きな波紋ができて、その波紋はそこから離れるにつれて勢力を増していき、やがてそれは高波となって街に向かっていく。
僕の帰ろうとしている家へと向かっていく。
どうする、どうする、どうすれば、街が、家が! 人が! お父さんは! お母さんは!
色々なことが頭をめぐり、消えていく中で、気付いた。
ああ、よかった、誰も今家にはいないんだった。
その瞬間、僕は激しく息を吐き出し、吸って、家に背を向けて走り出した。
横目でチラと海の方を見ると波はもう、変な形の4つに突き出したテトラポットを軽々と乗り越え、街へと迫っている。
僕は必死で走った。波に万が一にも追いつかれないように。
人生で一番必死に走る。
こんなに一生懸命に走ったことは今までない。
坂の中腹あたりで息が切れてくる。
このいつも登っている坂道の急勾配にこんなに腹がたったことは今までない。
全速力でなるべく坂道のカーブの内側を登る。
はやく、はやく坂のてっぺんまで登れるように。
息をするのがつらくなり、足がもう無理だと悲鳴を上げる。
少し止まって休もうと思う気持ちを無理やりに押さえつけて、肩で息をしながらひたすらに走る。
ただ、生きるために。
僕はついに坂のてっぺんまでたどり着いておそるおそる、いつもしているように街を見下ろした。
くじらはいつの間にかいなくなっていた。
人も、建物もなくなっていた。
夕日だけが何も知らないといったふうに、西日を熱く火照った体に照りつけて僕を不快にする。
僕の足元で、夕日のまぶしさが作るあかい光の筋を街を飲み込んだ茶色い濁流がきらきらと反射して映していた。
僕にはそれが、その濁流の水底で眠っているであろう街の人たちがこれから放つはずだった命の輝きかのように思えた。
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