京での思い出
一度、夏のホラーに参加してみたかったので書きました。
うーん、……怖いかなぁ?
何とのう面白うて、後でジンワリ怖い話になってればいいのですが。
北都 栄 は久しぶりに京都駅に降り立った。
もう何年ぶりだろうか、およそ十年は経つだろう。
ここは、学生時代を過ごした思い出の地なのだ。
だが、今回の訪問は楽しいものではない。せっかく京都に来たというのに、のんびり観光することもできないのだ。
親戚の慶君の葬儀に出なければならないからだ。
それに、急ぎの仕事もあるので、また新幹線でとんぼ返りしなければならない。
今回は京都で、とにかく、ゆっくりすることさえできないのだ。
京都駅、……そして、このあまりにも近代的なデザインの駅ビルは、何度訪れても、ここが千年以上も昔から続く〝古の都"であることが不思議に思える場所である。
特に新幹線に乗って京都駅に近づくと、高いビルの間にニョキリと〝五重塔″が見えてきて、栄はその何とも言えないギャップが大好きだった。
現在と過去が肩を寄せ合うように同居し、そして、お互いを引き立てあっているように見えるからだ。
昨日の夜のことである。
美緒伯母さん(母の一番上の姉)から急に電話が掛かってきて、取るのも取り敢えず新幹線に乗ってやって来た。
慶君というのは、栄の叔父(母の弟)にあたる良昌さんの息子なのだ。
つまり、従弟にあたるが、五歳も離れていたので、一緒に遊んだというよりは、遊んであげた。……という感じである。
だが、それよりも当時、中学生だった慶君に、家庭教師をしていたことの方が印象に残っているのだ。
当時、大学生になったばかりの栄は、いろいろとアルバイトを探しており、その流れで、叔父さんに慶君の家庭教師を任せてもらうことになった。
たった一年程の間で、形だけのものだったかもしれないが、今となっては、彼との貴重な思い出である。
その慶君が就職し、やっと社会人として一人前の大人になった。……それなのに、交通事故に巻き込まれ、呆気なく亡くなってしまったのだ。
十四年前、栄は、京都にある大学に通う学生だった。
京都には、生粋の京都人である伯母の美緒さんが住んでいたので、そこに下宿させてもらいながら、学校に通うことになったのである。
もともと、母も京都の人なのだが、結婚を期に京都を出た。だが、伯母は家業を継いでもらう為に婿養子を迎え、京都に残っていたのだ。
そんな訳で、子供の頃は、母の実家に遊びに行く度に、いやでも京都に行くことになったのである。
京都の家はというと、これが所謂〝京町屋″というやつで、本当に複雑な構造の建物だった。
通りに面した細い路地に入り込むと小さな玄関があり、その横の塀の中には〝玄関庭″が隠されている。
そして玄関に入ると、これまた〝通り庭″と呼ばれる狭い土間があるのだ。
もう、この時点で、子供心には迷路の始まりのように思えたものである。
また当時は、既に住居専用になっていたはずなのに、店をやっていた頃の名残だろうか、土間の横にはすぐ〝床の間″があって、高い段差を埋める為の大きな床框(置き階段のようなもの)が置いてあった。
一方、土間の奥は〝台所″にも面していて、そちらに進むと、今度は細長い通路でプライベートの部屋へと繋がっていく。
子供の頃は、台所の側の部屋にお炬燵を置いてもらって、皆で食事を取ったり、和んでいたものである。
だが、その部屋には他にも秘密があった。
部屋の壁にあたる部分は土壁ではなく、引戸になっていて、そこには町屋ならではのアイテムが隠れていた。
一見、収納スペースとの、ただの仕切のように見える押入れ風の引戸を横にずらすと、隠し階段が現れる。
実は狭い部屋をスッキリ見せようとしているだけで、別に隠しているわけでもないのかもしれないが、階段自体も〝箱箪笥″になっていて、見事に収納の役割を果たしていた。
そして、その階段を上ると二階部屋があり、栄と母は、よくそこで泊めてもらったものである。
子供の頃に、母親の実家に遊びに行くというと、どうしても盆、暮れ、正月だったので、栄は嫌でも、京の真夏の暑さや、真冬の厳しい底冷えを味わうことになった。
さすがに京都は山に囲まれた盆地だ。
……そんな感慨に耽ったものである。
また、おそらく明治時代には建っていたであろうこの家は、子供にとっては、とても古めかしく怖いものだった。
例えば、二階部屋の天井板には雲のような木目があり、それが人の顔の様に見えて凄く怖かったものである。
「伯母ちゃん、この階段の箪笥の中、全部見たことあるん? 」
ある日、美緒伯母さんに聞いてみた。
「うーん、見たことあるような、ないような、仰山あるからね。……余り見たいもんでもないからね……」
と、謎の答えが返ってきたことがある。
美緒さんは、時々、この手の不思議なボケをかましてくれるところがあり、何だか面白い人なので、栄は大好きだった。
生粋の京都人なので話題も京都中心で、昔は、誰も聞いてないのに、往年の時代劇俳優のスキャンダル等をいろいろ教えてくれたものだ。
例えば、京都出身で有名な俳優のFさんが、先斗町の芸者さんの息子さんだとか、
『そんな古い情報、誰得なん? 』
と、突っ込みたくなるような話を聞かされたこともあった。
「伯母ちゃん、そんな話されても、全然、ピンとこうへんで……」
「そうなんや、残念やわぁ、……ウフフ! 」
万事、こんな調子で、とても朗らかで楽しい人なのである。
世間では、京都人のことを〝いけず″だとか、外から来た者には冷たい。……とか言っているようだが、栄にとっては、美緒さんは京都の〝かわいい伯母ちゃん″だった。
そんな懐かしい思い出が一杯の町屋の中で、もっとも苦手なことは、御不浄と風呂場が〝離れ″に行かなければならないことだ。
夜半に急に用を足したくなると、階段を下りて、外の離れに繋がる廊下を渡らなくてはならない。
これは、子供の時には凄く怖かった思い出である。
また、渡り廊下を別の方向に進むと、鰻の寝床のように、また〝別の部屋″があるのだが、そこに大きな仏壇があって、それも不気味だった。
その部屋に来る途中には、形だけの〝坪庭″があったが、そこには謎の燈篭があるのだ。
燈篭というと、中に灯火等を入れて照らすものだが、この燈篭には肝心の上の部分がなかった。ポンと、支柱と台座の部分だけが地面の上に置かれていて、これまた不思議な雰囲気を醸し出している。
それでも、形だけでも坪庭を目指しているのか、その側には古い火鉢が置かれていて、まるで池に見立てたかのように、その中に赤い金魚が泳いでいた。
栄は、その金魚を見るのが好きだったのだ。
「伯母ちゃん、この家に居ったら、時々怖いことがあるんやけど、……伯母ちゃんは住んでて平気なん? 」
子供には困ったものである。
栄は、時々、こんな不躾な質問をして美緒さんを困らせた。
「そうか、やっぱり怖いんか、伯母ちゃん、もう慣れてしもたさかいなぁ、……まぁ、ここは西陣やし、家の下掘ったら、応仁の乱のお侍さん達が出て来はるかもしれへんよ、……フフフ、京都は古い所やからしょうがないね」
子供を相手に、凄く真面目な答えが返ってくる。
……だが、これではフォローになっていないのだが。
当然、その日の晩は、余計に怖くて眠れなくなってしまった。
確かに、こういうリアルなことを、グサリと言うのが、京都いけずの本領なのかもしれないが、それでも、伯母は悪意だけでこんな話をしたのではないと思う。
実際、この京都で新しい家を建てようとしたら、基礎工事の段階で、何か遺物的なものが出てきて、工事の妨げになる可能性があるからだ。
また、この千年の都には、さまざまな為政者が現れ、権力をめぐった争いもあっただろう。そこで、その為に生み出される〝負の遺産″も、市井の人々は受け入れながら生きてきたのかもしれない。
こんな具合に、栄は子供の頃から、ちょっと怖いけど、歴史が降り積もった、……異世界のような京都ワールドに親しんだのである。
三部に分けて書きましたので、まだ続きあります。
よろしくお願いします。