気付いた時には大体手遅れです
――思い返せばモニカは昔から少々思いつめる性質だったように思う。
イリスがモニカと出会ったのは今から七年前、王国歴998年の事である。
当時の彼女はまだ瑠璃騎士団を率いる団長などになっておらず、今よりは少しだけ身軽な立場だった。剣の鍛錬、魔術の修練などをしていても時間に余裕があったので、度々城から出ては公園をよく散策していた。
弾むような足取りで散策するモニカの姿を、当時のイリスは何度か見かけていた。あの騎士のお姉さん、いつも楽しそうだなぁとそんな風に思っていたのを覚えている。
しかしある時、そんな彼女が思いつめた表情でベンチに腰掛けているのを見て――
「お姉さん、どうしたの? どこか痛いの?」
そう、声をかけたのだ。
その時のモニカは家の方で婚約者を決められて、政略結婚とかそういうものは薄々覚悟していたし頭では理解していたはずなのだが、どうにも心の方が追いつかず、また相手の事も詳しく知る前だったので色々悪い方に考えて――
そうしてベンチに座って今にも死にそうな顔をしていたのだ。
今のモニカからすれば相手のグレンとの年齢差もそう気にならなくなってきてはいるが、当時のモニカは13歳。年が八つ離れたグレンの存在は色んな意味で遠かったのだろう。
本来ならそんな家の事情などわざわざ他人に話すような事でもないのだが、その時のモニカは相当思いつめていたらしく、イリスにぽつりぽつりと語り始めいっそ自害も辞さないと言わんばかりだった。
今のイリスなら心配して声をかけたら予想以上に重たい話題にどう答えるべきか悩んだだろうが、当時のイリスはまだそういった部分に周囲が思わず「あっちゃぁ……」と言われそうになるほど疎く、だからこそあっさりと答えたのだ。
「相手の事がわかんなくて、話しかけるのも難しいならいっそ手紙でも出したら?」――と。
ちなみに当時、同じく家の方で勝手に決められた婚約者とはいえ、流石に相手まだ若すぎやしないだろうか……などと思っていたグレンの方でも悶々としていたのだが、反対するには理由が弱くさてどうしたものかと悩んでいたのだが、モニカ程ではなかった事を付け加えておく。更に良く言えば寡黙、悪く言えば口下手な彼は初めてモニカと対面した時も遺憾なくそのスキルを発動し、だからこそモニカが思いつめたのだが結果として手紙のやり取りは上手くいったようだ。
結果として文通が始まり、それはモニカが騎士団長になる目前まで続いた。モニカが騎士団長になってからは遠征の打ち合わせなど直接顔を合わせて話す機会が増えたので、手紙のやり取りもその辺りで回数が減り、自然消滅し今のような状態になった次第である。
その時手紙を出せばいいと言ったイリスにモニカが一体何を書けば……!? とオロオロしだしたので、言い出しっぺとしてあれこれ口を出してるうちに、気付けばモニカとは友人と呼べるような間柄になっていた。
余談だが二人を結びつける結果となったイリスにグレンも感謝はしているものの、元々そう会う機会もなく、また会ったとしても話しかけるタイミング、話題を上手い事持っていけるような流れにはならないので、グレンがそういった感情を持っている事などイリスは知る由もない。
そうして更に余談だが、口下手なのに騎士団長になっているグレンはきちんと琥珀騎士団を指導できているのかと、彼を知る者から内心若干の不安を抱かれているが、人柄と日頃の行いか、男は黙って背中で語れ的な意味で琥珀騎士その他が勝手に把握してくれるという状態である。周囲がそんなだから口下手が一向に改善しないような気もするが……何はともあれ現時点で上手く回っているようなので問題はないのだろう。
昔は割とすぐに物事を悪い方に考えがちだったモニカも、今では大分そういう事が少なくなってきた。
少なくなってきただけで、全くないわけではないが。
「…………これは、追いかけるべきなのかなぁ……?」
イリスの方も少々頭を落ち着かせようとベンチに座ったまま考えていたのだが、モニカが戻ってくる気配は一向にない。先程までは日が沈みかけ空も鮮やかな橙色だったが、もうすっかり日が沈み橙色は視界のどこにも映らなかった。それどころか空はやや曇り藍色というよりも薄灰色の雲が大部分を占めている。
雨が降りそうな感じではないが……早いところモニカと合流するべきだろう。
モニカが走り去って行った方向へ走る。
頭を冷やして、その後戻ってくるつもりならそう遠くへは行ってないだろう。
「――モニカ、どこまで行ったんだろう……」
それから数分後。いざモニカが去っていった方向へ走り出したはいいものの、イリスは未だモニカを発見できずにいた。出店のある方へは行かないだろうと思い、なるべく人の気配の少なさそうな所へと進んでいったのだがモニカらしき人影はどこにもない。もしかしたらもう先程のベンチがあった場所に戻っているのではないか……そう思い一度引き返したものの、そこに彼女の姿はなく。
「帰ったりは、してないと思うんだけど……」
そう思いたいだけで、もしかしたら帰ってしまったのかもしれない。そんな風にも思えてしまう。
ワイズを疑うだけならまだしもレイヴンたちまで無能だと暗に言っているんだと、そういう風に捉えてしまう言い方はまずかったかもしれない。いや、かもしれないじゃなく、まずかった。
そういうつもりはなかったが、結果としてそうなってしまった事は謝らなければ。
「――お嬢さん、こんな所で一体何をしているんだね? こちらに店はないよ」
背後から声をかけられ、思わず肩が跳ねる。反射的に振り向いて――視界に入ってきたのは獅子のような風貌の男だった。
「友人を……モニカを探してて」
どうしてこの人こんな所にいるんだろう、そんな疑問が浮かんだがそんな事よりも今はモニカの事の方が重要だった。
「喧嘩でもしたかね? ふむ……珍しいものだ。彼女なら少し前、あちらの方へ走っていくのを見かけたよ」
相も変わらず威圧感たっぷりに男――黄金騎士団団長・フラッドはイリスが向かおうとしていた方向とは逆を示す。
「急いでいるのだろう? 行くといい」
「……はいっ」
ぺこりと頭を下げ、そのままイリスは走り出す。どうしてこんな所にあの人が、という思いはあったがそんなものより今はとにかくモニカに会わなければ。
――フラッドが指し示した方角は、イリスが探し回っていた場所よりも更に出店のある場所から遠く、人の通りなどほとんど無いと言ってもいいほどだった。
街灯があるがやや遠い位置に置かれているため街灯と街灯の中間点は正直言って暗い。そして今は収穫祭のために大抵の人は出店がある大通りなどにいるのだろう。遠くの方でかすかに賑やかな声が聞こえてくるが、少し集中してしまえばその音すらあっさりと意識の外へ追いやられてしまう。
こういった場所には二人きりになりたい恋人たちが集まりそうな気がしていたのだが、ここは出店から程遠く、そして薄暗い通りこして普通に暗いので恋人たちもわざわざここまで来る事はないようだ。おかげで人の気配のなさに不気味さすら覚える。
時々夜の公園を訪れた事はあるが、それにしたって人のいないような場所ではなく、街灯がそこそこ多めに配置されたなるべく明るい場所を選んで通っていたのだ。こんな所を一人で歩くのはもしかしたら初めての事かもしれない。
「モニカー、どこー、いたら返事してー」
あまり大きな声を出すのも躊躇われ、やや控えめに声を出す。風が木々を揺らしざわざわと音を立てていくだけで、返事はない。他に通行人の一人でもいてくれれば、その人にモニカを見かけなかったか聞けただろうが、残念な事にイリスの周囲には誰もいなかった。
街灯の明かりがあるとはいえ、それも心許ない。こういう所にいると、何だか物事をどんどん悪い方へ考えてしまいそうで苦手だ。
(早いとこモニカ見つけて、謝って、最後にちょっとだけお店見てそれから帰ろう……)
がさり。
唐突に近くで音がして声こそ出さなかったが身体を強張らせ、思わず足を止める。
モニカだろうか、それとも他の誰かだろうか。
音がした方へ視線を向けるも、この辺りは暗くてよくわからない。再びがさりと音がした場所から、光る何かが見えた。数は二つ。
「……猫?」
鳴き声すら出さずに現れたそれは、確かに猫だった。光る何かは猫の目だったらしい。
せめてにゃーおとか鳴いてよ怖いなぁ、と思わず文句を言いそうになるが相手は猫だ。言うだけ無駄なのはわかっている。猫はイリスに特に意識を向けるでもなく、たっと地面を蹴り駆けていった。
「……心臓に悪いなぁ。それでなくてもここ、暗いから余計に」
ぽつりと呟いて、前を見る。少し遠くに街灯の明かりが見えるが、イリスの周囲は真っ暗だった。一度足を止めてしまったせいか、一歩が中々踏み出せない。いっそ引き返してしまおうか――そんな思いすら浮かんでくる。
「……?」
その時ふっと明るくなった気がした。街灯が、ではなく全体的に。気のせいかとも思ったが徐々に明るくなり――
「あぁ、今日満月か」
先程まで覆うように広がっていた雲が流れ、一気に明るくなる。雲の間から姿を見せた月は煌々と輝き、ほんの少し前まで足下もろくに見えなかったイリスの周辺をこれでもかと照らす。そうなると現金なもので、先程まで進むのが怖いとすら思えていた場所だという事さえ嘘のようだった。青白く輝く月をしばし見ていたが、そんな場合じゃないと思いなおし視線を戻す。
「…………?」
月に照らされ影が伸びている。それはいい。前方に向かって長く伸びている影は紛れもなくイリス自身の影だ。しかしそれとは別に、背後の方からこちらに長い影が一つ。先程まで誰も近くにはいなかったはずだが、誰かが来たのだろうか? 足音は聞こえなかったが……
そう思い、何の気なしに振り返ろうとして――
ごっ。
鈍い音が響いた。耳元で、というよりも脳内で反響するように響いたその音と同時に来る衝撃。背後にいた誰かを確認する間もなくイリスの意識は暗い場所へと沈んでいった。




