悪趣味な余興を終える事ができまして
机の上に並べられていた書類はどうやらあの魚たちへ向けた物らしかった。
特定の薬草を煮詰めた物を定期的に摂取する事(海草ではなかったのか……)。
一定期間の摂取ができなければ体細胞が変異し今以上に醜い姿へ変貌する事(今更だとは思うが)。
君たちが仕留めた仲間の死体はこちらで処分しておく、というような事も記されていた。使い道がないから焼却処分するとも(となるとやはりあの焼却炉で見たものは……)。
一定時間が経過した後、魔導器を起動させておく事(階段の所の鏡が割れていたのは、その時点ではまだ魔導器がまともに動いていなかった、という事になるのだろうか)。
Wの言葉を信じてかつての仲間を手にかけて、その犠牲の上にそれでも普通の生活を夢見ていた者に対して、それは見事に突き落とす事実を突きつけるような文面だった。ここにそれを記したものがあるという事は、恐らくは隣の研究室あたりで処置をされて、その後この部屋に通されたのだろう。その時にWに逆上して襲い掛かったりはしなかったのか、それともできなかったのか……どちらにしても彼らはその後にこの地下から追い立てられるように連れ出され――絵画部屋の仕掛けも自力で動かせないように施されていたらしいし、地下に戻る事もできず館の一階と二階をうろうろしていたのだろう。イリス達が訪れるまでの間を、ひたすら。
「助けを求めようにも声は出せないしあの姿ではまともに人前に出る事も難しい……時折不可解な行動をしていたのは、彼らの精一杯だったのかもしれませんね」
「まぁ、スカート捲られたり胸触られた事に関しては許すつもりはないんだけどね」
ジェスチャーにしてもあれはない。一体どんな意図があったのかすら、頑張って好意的に考えようとしても無理だった。
書類には淡々と人ならざる身へと変貌した二人へのメッセージが記されているだけだった。
そのすぐ近くに置かれている箱については何もなく。
クリスがその箱を手に取る。サイズはそれほど大きいものではない。クリスの片手に収まる程度だろうか。多少それより大きいかもしれないが、まぁどちらにしろそこまで大きいものでもない事だけは確かだ。
「イリス、これはどうやら君が持っていくべきなんだろうね」
「え……」
正直、Wが関わっていそうな館の道具などあまり持ち歩きたいものではないのだが、クリスに差し出されたそれをつい反射的に受け取って。
彼が渡してきたという事は、特に危険ではないと判断されたのだろう。やや楽観的にそう考えて、イリスはその箱を手にまじまじと見つめてみる。
小物入れと呼んだ方がいいような箱は、小さく振ると中に何かが入っているらしくカタカタと音をたてた。ただ見ていても仕方がないので蓋を開ける。
「まぁ……」
やや予想外といった感じのモニカが声を上げる。箱の中に入っていたのはブローチだった。細やかな細工と、大きな紅い宝石に思わず目が奪われる。
そのブローチと一緒に、一枚の紙が入っていた。二つ折りにされたそれを手に取り開く。
アイリス・エルティート様
おめでとうございます。とうとうここまで到着なされるとは。
つたない余興ではありましたが、いかがでしたでしょうか?
多少なりとも暇を潰す事ができたのならば、こちらとしても幸いです。
余興の景品として、こちらを用意させていただきました。気に入って頂ければよろしいのですが。
紙には、それだけが記されていた。
何度見返しても、それ以上の事は記されていない。
今まで見てきたこの館であった惨劇の跡も、全て余興のための作り事なのだと、何も知らなければそう思って納得してしまった事だろう。下手に取り繕うより性質が悪い。
「…………クリス、その館の鍵、クリスに預けるよ。管轄じゃないかもしれないけど」
「おや、いいのかい?」
「とりあえず姉さんにはこれだけ渡せばいいと思う。他の物に関しては……目録まで作ってもらってなんだけど、何かいわくありそうだし処分した方がいいと思ってる。姉さんにはこっちでちゃんと説明するよ」
正直今すぐこの館を取り壊すべきだとは思うが、流石に本来の持ち主(になってしまった姉)がいないのに勝手に実行するわけにもいかないだろう。今回の件を手紙で姉に伝えて、しぶしぶだろうとこの館を処分する事に納得してもらえさえすれば、騎士団に処分してもらうのが最善かつ最良の選択だとは思うが。
「姉さんがこの館壊すの納得してくれれば、あとは任せていいかな?」
「それはまぁ、構わないけど」
「……ところで、あの魚……いえ、ケインとリリーでしたか。あの死体はどうしますの? あのまま放置は流石に哀れだと思うのですが……」
「埋葬するにしても……いっそ魔導器の出力元に戻してそこの焼却炉で焼くかい?」
事も無げに言うクリスに僅かに顔をしかめ何かを言い募ろうとしたモニカだったが、上手く言葉が出てこないのか何かを言いかけて――結局口を閉ざす。
「いえ……いいえ、わたくしの今の言葉は聞かなかった事にして下さい」
「まぁ、運んでここで焼くにしろ、外に出して穴掘って埋めるにしろ、私一人であいつら抱えるのは厳しいし穴を掘るには道具が必要だし、今日はどのみち無理だろうね。後日レイヴンあたりの手でも借りるさ。
モニカ、君はとりあえず今回の顛末を二人に話しておいてくれるかい?」
「そう……ですね。わかりました。伝えておきます」
二人のそんな会話を他人事のように眺めていたイリスだったが、とりあえずいつまでも眺めているわけにもいかないだろう。そう判断して一先ず箱の中に紙を元あったように二つ折りにしてしまう。一応この館にある物で売れそうな物は売り払って構わない、と姉には言われていたがこのブローチは姉が戻ってくるまで保管しておく事にする。呪いの品だったらどうしようかと一瞬考えたが、魔術的な何かが施されていればクリスかモニカが気付くだろうし特にそういうものはないのだろう。
「……それじゃ、そろそろ帰ろうか」
「そうだね。これ以上長居しても何もないだろうし」
「何だかんだで結構時間経ってますものね」
鏡を館の外に運び出したり地下を見て回ったり、一つ一つにそこまで時間をかけた覚えはないがそれでもモニカが取り出した懐中時計を見ると、結構な時間が経過していた。今までここに来た時よりはまだ早いが、何だか色々とありすぎていつも以上に時間がかかったような気さえする。
この地下にあった扉の鍵もかけて、一旦絵画部屋へと行き地下への通路の仕掛けも元に戻して。ついでに、という事で休憩室に放置したままだった魚達の死体を確認したところ、彼らだったものはどろどろに溶けていた。埋葬の手間が省けた、とはあまり思えなかった。それはクリスもそうだったのだろう。見上げると何やら難しい顔をしていた。
館から出て、すぐ傍に置かれていた鏡を館の中へ戻す。元あった場所に戻すのは時間がかかりそうなので、全てエントランスに適当に置いただけだがまぁいいだろう。イリスとモニカが鏡を運んでいる間にクリスが館の周囲を見ていたが、イリスが以前見かけたローブを着込んだ謎の人物の姿は見かける事はなかったようだ。
だからこそ何事もなく王都へと帰還して、途中モニカ達と別れ帰宅する。
地下で見つけた余興の報酬でもある箱を机の上に置いて、引き出しを開ける。
「あ、便箋もうなかった」
今からまた外に出て便箋を買いに行く気はない。手紙を書いて出すのは明日にする事にしよう――そう判断して、引き出しを閉めた直後の事だった。置いた場所が机の端すぎたのか、引き出しを閉めた衝撃で箱がぐらりと傾いて落下する。乾いた音を立てて床にぶつかった箱を慌てて拾い上げ、
「……あれ、これって……」
蓋が開いていた中から転がり出てきたブローチを拾い、箱にしまおうとして気付く。どうやらこの箱、二重底になっているようだ。
「…………鍵?」
二重底になっていた部分から出てきた物を手に、思わず呟く。何かの花の模様が刻印された鍵だった。少なくともあの館で鍵を使う部屋はもうなかったはずだ。それ以前に、あの館の鍵とは明らかに別物なのでこれはどこか違う所の鍵なのだろう。
けれど――
「一体、どこの鍵なんだろう……?」
余興の報酬に、となっている箱に入っていたのだから、もしかしたら姉なら何かわかるかもしれない。
(……訊く事が一つ増えたなぁ。言いたい事と聞きたい事が多すぎて、上手くまとまるかどうか……)
考えすぎて知恵熱とか出るんじゃないだろうか、などと思いつつイリスは頭をがしがしと掻いた。考える時間だけは沢山ある。一先ずは――明日便箋を買いに行く所から始めよう。




