いっその事背景か何かだと思って欲しいものです
一先ずこれで行ける部屋全てを見て回った事になる。
けれど手には未だ使用されていない鍵がいくつか。どこかに隠し部屋があると考えるにしても、今日の所は少し早いが戻ろうという事になったのだが。
「……しかし、妙だな」
「何が?」
「静かすぎる」
「……そう? いつも通りだと思うけど」
周囲を探るようにしているレイヴンが何を気にしているのかはわからない。
同行しているメンバーが違えど、ここは大体いつもこんな感じだったと思うのだが、レイヴンが気にしているのはイリスが考えているものとは少し違うのかもしれない。
書庫を出てすぐに足を止めたレイヴンにつられるようにイリスも足を止めたため、更にそれにつられるようにアレクも足を止めた。
「あの魚の事ですか? 前回随分と激昂していたにも関わらず、今回一切何の手出しもしてこないのが引っ掛かる……というのは確かに気掛かりではありますね」
「あぁ、部屋を三つ見て回ったが、その間一度も接触してこないというのが気になる。今までは何がしたいのかわからないが何がしか接触をしてきたというのに」
「餌が無くなって憔悴しきってるとかじゃないの?」
人間一日二日食べなくても死なない、とは言うがだからといってそれじゃあ食事しない、なんて事にはならないだろう。事実イリスだって一食抜いただけで厳しいものがあるというのに、わざわざ断食しようという気になるわけがない。ダイエットをするにしたって、食事を抜くより身体を動かす方を選択する。
仮にご飯を食べない日があったとして、そういう日は間違いなく家にこもって外に出ないで寝て過ごす日とか、あまり動く必要がない場合に限る……と思う。
あの魚たちがどれくらい食べるのかはわからないが、あまり量は必要としない感じがする。
あの鍋に入っていたスープ(と言うのもおぞましい液体だった)がいつから作られていたのかはわからないが、あの汚染っぷりからすると作り立てなどという事は断じてないはずだ。姉がここを譲られたのは二年前。下手をしたらその前から既にあったのかもしれない。姉の手紙からはこの館が磯臭いなどという情報は一切出てこなかった。
という事は姉がここを一度訪れた時はあの汚染物質は作られてすらいなかったか、もしくはまだちゃんとした食物と呼べる代物だったかだ。姉がここに来た後で、あいつらが自分で作った説も考えられなくもないが……どうなんだろうか。あの魚たちが包丁持って材料捌く所までは想像できるが、鍋に火を入れる様子だけはどうにも想像し難いものがある。火の熱とかで下手したら皮膚焼けるんじゃないだろうか。そんな気がする。
きゅう。
「…………」
「えぇと……聞こえた?」
ご飯がどうとか色々考えていたからなのか、唐突にイリスの腹が自己主張を始めた。確かに今日は食事を軽めにしかとっていなかったが、何も今鳴らなくても。あまり大きな音ではなかったが、それでも聞こえたのだろうレイヴンが即座に音がした方へと視線を走らせ――大変気まずい思いをしたイリスと目が合った。
音の正体を察したレイヴンが、僅かに視線を逸らし小さく頷き――何事もなかったかのように先程まで視線を向けていた方へと顔を背けた。俺は何も聞いていない――言葉に出てはいないが彼なりの気遣いなのだろう。
やはり外に出かける日はしっかり食事をとるべきだったな……と今更のように思うイリスの手が、横からすっと取られた。
「可愛らしい音ですね」
柔和な笑みを浮かべて言う彼からは、馬鹿にするというような悪意は感じられない。それこそ生まれたての小動物を見るかのような慈愛に満ちた眼差しでそんな事を言われた日には一体どんなリアクションをすればいいのか。
いや、むしろこれは新手の嫌がらせ的なものなのだろうか? 折角レイヴンが聞かなかった事にしてくれたというのに、何故同じようにスルーしてくれない。
取られていた手に、すっと何かが乗せられた。見ると、スティック状のチョコレートだった。包装紙にはナッツぎっしり! なんて文字も書かれている。
「よろしければどうぞ」
「はぁ……ありがとうございます。でもとりあえず次からはお腹の音は例え聞こえてもスルーしてくれるとありがたいんですが」
「それはできません」
笑顔のまま即答され、イリスの表情が思わず引きつった。
「貴方の行動も言葉も、一つたりとて見逃す事なく記憶しておきたいので、それは無理な相談です」
「何それ怖い。ちょっ、何そのおはようからおやすみまで暮らしを見つめる発言。ていうか記憶されなきゃならんほどのものでもないんだから即座に脳からそんな記憶きれいさっぱりデリートして下さい!」
「そんな! イリスは僕に希望を捨てろと!?」
「何で私の存在がそんな御大層な代物になってるのかが激しく疑問ですよ。むしろ私の存在が希望とか何それ重圧とんでもなさすぎるわ!」
先程までの柔和な笑みとは一転、切羽詰まった表情で詰め寄るアレクから僅かにでも距離を取ろうと下がりつつ言うものの、未だ手を取られているためそこまでの距離を取る事はできなかった。そこまで力はいれていないはずの、やんわりと取られた手はしかし全力で振り払おうとしても振りほどける気がまるでしない。
イリスが取られている手の方へ、更にもう一つ手が伸びた。今の今まで傍観していたレイヴンである。
彼はイリスが手にしていたチョコバーを包装紙の上から一口分手で割って、包装紙ごと一口分のチョコを取っていく。そうしてそのチョコを自分の口に入れ、甘すぎたのだろう、ほんの少しだが眉間に皺が寄った。
甘い……と小さな呟きが聞こえて、今度はイリスの手に残っていたチョコバーをそのまま取られる。包装紙を半分程めくり、
「特におかしなものは混入されていないから、食べても問題ない」
イリスの口へと差し出した。
「え、今の毒味!?」
てっきりレイヴンもお腹が空いたのかなーとか思っていたのに今の発言からしてどうやら違ったらしい。おかしなものってそれ以前にレイヴンはアレク様の事を一体どういう目で見ているのだろうか。いや、今の状況とか以前にも様子がおかしくなったりした時の事を思い返すとそういう目で見ていても不思議ではないが。
むしろチョコを差し出すよりもアレク様の手をどうにかしてほしい。切実にそう思ったが、そういう部分は全く伝わっていないようだった。
仕方なく、差し出されたチョコを口にして。
ナッツぎっしり!
そう書かれていたのは嘘でも何でもなく、本当にぎっしりだった。恐ろしいほどの重量感と言ってもいい。
お菓子というより非常食、そんな気がしてしまうほどにずっしりきた。
お菓子として食べるより、小腹が空いた時の非常食として丁度いいかもしれないから、アレクも常備していたのだろうか。
「ご……ごちそうさまでした」
そこそこの甘さとナッツの重量感はバッチリ認識できたが、味はどうだったかと問われると微妙に困る代物だった。
何というか、片方の手は未だアレクに取られたままだしレイヴンからはいあーん、状態で食べる事になったチョコバーはお腹に溜まりこそしたものの精神的な疲労感もがっつり来た。いっそ自分の手で普通に食べさせてくれ。切実にそう思う。
とはいえ既に食べ終えてしまったのでそこはもういい。
「邪魔をしないでもらえませんか?」
「そっちこそ、妙な真似はしない事だ」
問題は、何故そこでいきなり険悪な雰囲気になっているのかという事だ。
とりあえず喧嘩するなら人を間に挟んだ状態でしないでいただきたい。それはもう切実に。アレクの手をそっと外して少し離れた位置に移動したくても、何故か外れそうで外れないし。せめて巻き込まれない範囲まで距離をとりたい。
普段のたまに斜め上に発動する気遣いを、今ここで正しい方向に発動させてくれ!
いっそ自分も拳で語り合うべく参戦するべきなのだろうかと真剣に悩んだのも束の間、両者ともに既に行動に移っていた。




