まるで奇跡のようですがきっと違うのでしょう
装丁が同じだというだけで中身は全く違う普通のノート、という考えも一瞬浮かんだが、流石にそうはいかなかったらしい。一体どんな事が記されているのか……確実にロクな内容じゃないんだろうなと三者三様にうんざりした気持ちになりつつもページを捲る。
最初の数ページはやはり普通の業務連絡、に見えた。これだけを見るならば普通の、本当に至って普通の診療所のようだ。
しかしやはりというべきか、途中からまたも不穏な感じの内容へと変わる。
記入者が誰かはわからないが、恐らくは交代で綴っていたのだろう。筆跡が何度か変わっていたが、誰もこの内容に突っ込みを入れようという気にならなかったのか。
――ある日この診療所に一人の患者が訪れた。
彼はどうやらモンスターに襲われた際、腕をやられたらしく片腕がなかった。
診察していた主任(恐らく若い方だろう)は彼に入院を勧め、数日、彼はここで過ごす事となる。
診察室と用意してあった客室以外で彼の姿を見る事はなかったが、彼がここに来てから一月。
彼の腕は、再生していた。
要約するとそういう内容だった。
「……実際問題、腕って再生できるものなの?」
それはない、と思っていたが、もしかしたら自分の常識が間違っていたのだろうか?
そんな気になって思わず二人へと問いかける。
「……切断された腕があるならそれをくっつける、くらいの事はできるだろうが、流石に再生は無理だろう」
「それができるなら、戦で傷を負って戦えなくなり退団した騎士、なんてものは存在しなくなりますよ」
「……そういう事、ができるようになったっていうならそれは凄い事かもしれないけど……全くそんな話聞いた事ないよね」
例えばここに書かれた彼が、腕が治ったならば思わず周囲にそんな話をしてもおかしくないはずだ。
そうすればこの診療所には同じような目に遭った人が押し寄せていたはずで。
だがこの診療所の存在は王都ではあまり知られていない。
固く口止めをしたとして、それでも全く話が漏れないという事もないだろう。
彼が天涯孤独の身であり親兄弟どころか友人も知り合いも一人もいないのであればともかく、腕を失くした事を知っている誰かと出会えばそこから話は確実に広がるはずだ。
「……恐らく、ではあるが裏があるんだろうな。少なくとも真っ当な手段ではないはずだ」
レイヴンがぽつりと呟く。でしょうね、とアレクが相づちを打って。
その日誌にはそれ以上の事は書かれていなかったため、ページを閉じてとりあえずは机の上に置いておく事にする。
「次の部屋、行きましょうか」
言われるままに部屋を出て、ふと思う。
ここを訪れた彼、とやらが無事にここを出ていったとして、だとするとあの部屋の血痕はでは一体どういう経緯でついたものなのだろうか、と。
――次に向かったのは休憩室の向かい側にあった部屋だが、その部屋に合う鍵はどうやらなかったらしく、休憩室の隣の部屋へと移動して。
そこにずらりと並ぶ物を目にしたイリスは、「あ、何か見覚えあるわここ」と思わず口にしていた。
室内にはずらりと棚が並んでいた。いくつもの棚がずらりと。室内に足を踏み入れると、それに反応してか部屋がほんのりと明るくなった。あくまでほんのりなのは、魔導器に何らかの支障があるからなのか、それともそういう風に設定されているのか……とりあえず光が差し込まないようになのか、窓に貼り付けるように布が覆っている。けれどこの部屋が薄暗いのは決してこれが原因というわけでもないだろう。
それ以前に、元々この館に日の光が差し込むような事はないと思うのだが……
「薬品庫……か」
レイヴンが棚のあちこちを見て言う。
そう、ずらりと並んだ棚に収納されていたのは、どれもこれもが薬と称する物ばかりで、見覚えがあるのはロイ・クラッズの館にあった薬品庫と配置が全く同じだったからだ。
「レイヴン、まさかここにあるのって全部毒薬とかそういうオチじゃないよね?」
配置が同じとはいえ、そこにある薬までもが全く同じ、というわけではないのだろう。というかイリスにはどれがどの薬なのか見分けがほぼつかないので、どれもこれもが怪しげな毒薬にしか見えない。それも恐らくここがW絡みの館という事実があるからだろう。そんなイリスの考えを読んだのか、レイヴンは緩く首を横に振った。
「……いや、ここにあるのは毒薬ではなさそうだ。あるにはあるが……そこの棚にあるやつだけっぽいな」
「それでもあるんだ……」
何がしかの使い道があるから置いてあるのだろうが、それにしたって棚一つ分全部毒薬というのはどうだろう。
「イリス、ありましたよ、鍵が」
棚に並んでいた薬草を煎じた物が入っている瓶を眺めていると、少し離れた所からアレクが声をあげた。
そちらへ向かおうとして、今度はレイヴンが声をあげる。
「こっちにはノートが置いてあるな」
どちらへ先に足を運ぶべきか、と考えているうちに、二人そろってイリスの元へとやって来る。
アレクから鍵を受け取り、レイヴンからノートを受け取って。
「……これには一体どんなぶっ飛んだ内容が書かれてるんだろうね」
なるべくなら理解できる範疇でお願いしたい……と内心思いつつも、無理なんだろうなとどこか諦めてノートを開く。
てっきりこれもまた日誌なのだろう、と思っていたのだが、こちらはどうやら個人の日記のようだった。何冊目の日記かはわからないが、先程の部屋で見た腕を再生した男が来た頃と時期は大体同じだろうか。
数ページ程読み進めて、これを書いたのがジェシカだという事は理解できた。
『腕を無くしここを訪れた患者の腕が無事再生し、彼は昨日退院していった。彼の手術は主任だけが行っていたので実際どうやってそうなったのか、私たちにはわからないがこれは確実に凄い事なんじゃないだろうか』
『あれから数日が経過したが、最近皆が妙に浮足立っているというか……明らかに主任に何かを言いたげだ。いや、問いたげというべきか。どうやったら腕を再生なんて事ができたのか。腕以外でもそれは応用可能なのか。
最近の主任は忙しそうなので話しかけるタイミングを間違えると私たちが知りたい事を知る機会が失われそうなので、皆が皆、まるで互いを牽制しあうように窺っているだけだ』
『主任の用事が一段落ついたのか、久々にこちらに戻ってきた。さながら隙を窺う肉食獣のような私たちに主任はとうの昔に気付いていたらしい。苦笑された。しかしそこに不快だというような感情は浮かんでいなかったように思う。他の皆もそう感じたらしく、最初に声をかけたのは誰だっただろうか……キースとマイクがほぼ同時だったような気がする』
『主任の答は私たちにとって衝撃的すぎた。彼は事もなげにあっさりと頷いて貴方達のそれも治そうと思えば治せますよ、などと言ってのけたのだから。ただ私だけは他の皆と違って身体の一部が欠損したわけでもなく生まれつき病弱というだけなので、他の皆と同じように治すというのは難しいらしい。しかし投薬治療で症状はかなり改善されるとの事』
「……まぁ、生まれつきか事故かはさておいて失くした身体の一部を元に戻せますよ、なんて言われたらそりゃ湧くよね。希望とか」
「ですが……この主任と呼ばれている人物がWであるという部分で何か裏があるというか嫌な予感がひしひしするというか……」
「そもそも腕を失った人物が腕を治してもらったとして、最初に立ち寄る場所はここからなら確実に王都のはずだが……そんな話は聞いた事がないな。その男が口止めをされていたとしても、失くした腕が復活していたら知り合いなり何なりとどこからともなく話が広まりそうなものだが」
「じゃあ、やっぱり何か裏があるって考えて間違いない、って事……かな?」
レイヴンの言う通り、確かにここから出て他の――王都以外の場所に行くにしても、それなりの準備は必要になる。事前に準備をしていたというのも考えにくい。一月、『彼』が滞在していた期間は診察室と客室以外で移動していなかったらしいし。
ならばまずはやはり王都に寄って旅支度なりする必要が出てくるだろう。『彼』とやらが王都の住人でなければ、また知り合いが王都にいなければ彼の存在を知る者がいないのだから話題にもならないかもしれないが、そんな存在がこの診療所の事を知っていた、というのは少々考えにくい。
『最近皆、ピリピリしている。確かに主任は皆の事を治せる、とは言った。けれど今すぐに、というわけにもいかないようだ。主任が言うには一度に治せて二人――らしい。千年祭までに治せるのはどう頑張っても二人。
私も含めて皆、千年祭を楽しみにしていた。どうせなら、ちゃんとした状態で楽しみたい。そう考えるのは皆一緒のようだ。けれど治せるのは二人まで。
今まで色んなものを我慢してきた皆は、今回ばかりは譲るつもりはないらしい。気持ちはわかるけど……話し合いで済まない雰囲気が少し怖い。落ち着いて、と声をかけたら最終的に薬でどうにかなるお前に言われたくない、と怒鳴られた。確かにそうかもしれないが、言い方ってものがあると思う。
私だって好きで病弱に生まれてきたわけじゃない。それは皆だって好きで事故に遭ったわけじゃないのと同じようなものなのに』
日記は、そこで終わっていた。
文字の最後の方が僅かではあるが歪んでいた。書いていて、その時の事を思い出して怒りの感情が沸いたのか、悲しみ泣きそうになり歪んだのかはわからないが、ショックを受けたというのは確かだろう。
「……ここで起こった事の全貌が何となく掴めてきましたね」
「ある意味予想通り最悪の結果が起こったんだろうな」
アレクもレイヴンも、揃って難しい顔をしていた。
「えぇと……ごめん、私まだよくわかってないんだけど……」
声をかけるのも躊躇われる程深刻そうな顔をしていた二人に、イリスはそれでもおずおずと声をかけた。
二人同時に「あれ? そうなの?」と言わんばかりのきょとんとした表情に変わり、自分の理解力が足りていないのだろうかと悩んだのはここだけの話だ。




