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館を探索する話  作者: 猫宮蒼
二章 姉の代わりに森の奥にある館に行く事になりまして

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惨劇の気配がぐいぐい来ます



 王国歴1005年 夏 某月某日 晴れ



 今日も相変わらずいい天気だ……どこか他人事のようにそう思いながらイリスは空を見上げた。

 雲一つない快晴である。気温がやや高いような気もするが、風が吹いているのでそこまで暑さを感じない。

 洗濯物がよく乾き、かつ過ごしやすそうだ。などと考えるも、これから向かう先ではあまり意味がない事かもしれない。


 日の光も差し込まないような深い森の中。そこにある館では天気も何もあったものではない。今こうして広がる青い空もそこへ着く頃には木々に覆い隠され見えなくなるのだから。


 二歩分後ろを歩いていたレイヴンが、目だけで大丈夫か? と問いかけてくる。

 イリスはそれに曖昧な笑みを返してから、前を見た。自分より一歩半程前を行く白銀騎士の背中が視界に入って来る。早すぎず、遅すぎず、彼は歩をイリスに合わせていた。歩調を合わせてくれているのはレイヴンも同じ事なのだが、彼とレイヴンが違う点は――


 背を映していた視界が、やや下へと落ちる。

 そうして見えたのは、前を行くアレクの腕と、自分の腕。


 イリス・エルティート。現在白銀騎士団団長に腕を引かれて移動中。

 何故おてて繋いで移動しているのか。恐らくその疑問を口にしても、マトモな答えは返ってこない。


 昨日だったか一昨日くらいに南門付近で馬車が横転、積荷をぶちまけるという事件が起こったらしく積荷を回収したまでは良かったものの、そのせいで少々道が荒れてしまっていたようで。

 そんな事など知らなかったイリスはまんまと足を取られバランスを崩し――


 瞬時にアレクが支えたために転ぶという結果にはならなかったものの、その後なし崩しに手を繋いで移動するという事態に陥っていた。

 王都を出てすぐにもういいんじゃないですか、とか言ってみたものの、何だかんだで手は繋がれたままだ。



「……ところで前回あんな状態で出てったけどさ、これ今回大丈夫なのかな……」

 そう口に出したのは、館を目前にした時だった。館の外にあの魚たちが出られないというのは一体どういう理由があっての事か、結局クリスが何も言わないためわからないままだったが、あれだけ激昂していたのだから今回館に足を踏み入れるとなると相当危険な気がしてきた。


「? あんな状態、とは?」


 前回の出来事を詳しく聞かされていないのだろうアレクが、レイヴンへと視線を向ける。


「奴らの餌と思しき物を処分した。それ以外はクリスが説明した通りだ」

 その言葉で大体納得したらしい。成程、と小さく呟いて。


「ならば扉を開けた直後に襲い掛かってくる可能性もあるわけですね。……イリスは下がっていて下さい。それから、鍵を。僕が開けます」

「……そういや前回鍵かけないまま帰っちゃったんですけど、鍵かかってたりします?」


 魚が館から出てこないまま怒り任せに扉を閉めた後、そのまま戻ってきてしまった事を思い出す。

 今までは万が一あの館から魚が外に出てしまったら……と考えたりした事もあったため鍵をかけてから戻っていたのだが、前回はそういやそのままにして帰ってしまったのだ。というか、鍵をかけようとして扉に近づいたらうっかり中に引きずり込まれてそのままボッコボコにされるんじゃなかろうか、というふうに危惧したわけだが。


 その言葉にアレクは確認するかのように扉に手をかけた。そうしてそっと開けようとして――予想通りというべきか、扉は何の抵抗もなくすんなりと開いた。

 初めて館に足を踏み入れた時にした磯の香りが、今ではほとんどしない。やはりあの鍋の中身を捨てた事が臭いを元から絶つ事となったようだ。

「できれば餌をなくしたという点で、衰弱でもしていてくれればこちらとしてもやりやすいんですが……」

「前回ここに来てから五日。衰弱するには少々微妙だろうな」

「いやレイヴン、五日も何も食べなかったら普通の人間はマトモに動けないから」

「人間なら、な。相手はモンスターだ」

 言われてそういえばそうだ、とイリスは今更のように納得する。それによく考えれば水は出るのだ。水だけでも生き延びられる種であるなら、あの鍋の中身がなくなったとしても恐らくはまだピンピンしているだろう。


 アレクとレイヴンがざっと周囲に視線を巡らせるが、魚の姿はおろか気配も特にしなかったらしくそのままずかずかと足を踏み入れる。少し遅れてイリスも館の中へ入り、扉をそっと閉めた。

 てっきり開けた途端に襲い掛かって来るかもしれない、と考えていただけに少々拍子抜けしたが油断はできない。むしろ今のこのやたらと静まり返った現状が逆に不気味に思えてくる。……どこかで衰弱して倒れてました、という展開ならばいいのだが。


 一階は既に全ての部屋を見ているので、残るは二階。というわけで早速イリスたちは二階へと足を運んだのだが。


「……あいつら、いないね」

 少なくとも廊下にあの魚たちの姿は無い。

 ここまで静かだと逆にどこかでこちらの隙を窺っているのではないか、と思えてくるのだが、注意深く周囲の気配を探っているレイヴンが特に何の反応もしないという事は少なくとも今の段階では魚たちはこちらに関わっていないのだろう。


「油断はできませんが、こうして奴らの出方を待つだけというわけにもいきません。一先ずはまだ見ていない部屋を見ていきましょう」


 アレクの言葉に頷いて、ここから一番近いまだ見ていない部屋のドアへと視線を向ける。

 絵画があった部屋と、恐らく客室だろうと推測された部屋の向かい――丁度浴室の真上に位置する部屋だ。



 ドアを開けて、まず最初に目に飛び込んできたのは赤黒く変色した染みだった。



「……これは……!!」

 アレクが顔を顰め、レイヴンが咄嗟に口元をおさえたイリスの背をさする。

 匂いこそしないものの、その染みは明らかに血だと思われた。室内のそこかしこに飛び散っている。

 今までも、もしかしたらこれ血の染みじゃないか? というようなものが存在した部屋はあったがここまで酷くはなかった。この部屋で何か惨劇が起こったのは言うまでもないだろう。


「……大丈夫」

 背をさすっていたレイヴンにそう告げて、イリスは恐る恐る室内へと入る。

 どうやらこの部屋は診察室のようだった。今の今までそんな話を聞いた事はあったものの、それっぽい部屋を見かけなかったので本当に個人が趣味や道楽でやっているようなものなのだろうと、どこか軽んじるように考えていたのだが……この部屋の中を見る限りそれなりにマトモな診察室のようだ。この部屋だけ見ると、確かにそう思える。他の部屋が普通すぎたというべきか。


「イリス、これを」

 机の上に無造作に置かれていた鍵をアレクが掴む。机の上にもいくらか血痕が飛び散っていたが、鍵は一切汚れていなかった。……という事はこれは余興のために後からここに置かれた、と考えるべきなのだろう。


 余興。


 そのためにこの部屋にこういう演出を施しました、と考えたいが恐らくこれは実際に何かが起こった跡なのだろう。

 その鍵を受け取って、あまり見たくはないが室内を見回す。

 机の影に隠れるように小さめのゴミ箱が置かれているのが見えた。


 レイヴンもそれに気付いたようで、ゴミ箱の中を覗き込み、そこに捨てられていた紙を取り出す。くしゃくしゃに握りつぶされたそれを広げて、机の上に置いた。



『主任の許可は出た。けれど流石に全員を、というのは無理だそうだ。……さて、どうするべきか』

『今回ばかりは誰かに譲るつもりはないの。貴方はどうするつもり?』

『そうか、俺もだ。……ならば、取るべき手段は一つなんだろうな』

『いつ、実行するの?』

『もうじき千年祭があるだろう。あいつらもそれを楽しみにしてる。言い換えれば浮かれていると言ってもいい。上手く隙を突くことができれば……』


 そのメモというか手紙は、どうやらこの館で働いていた誰かと誰かの間で行われたやり取りらしかった。

 しかしこの部屋の状態からして内容も何だか不穏なものが漂っているような気しかしない。


「……千年祭、具体的に日付のわかるものが出てきたな」

「ってことは、ここにいた人たち、少なくとも千年祭の前までは確実に生きてたって事でいいんだよね?」


 流石にWが筆跡を変えて一人二役でこんなものを書いたとは思いたくないし、余興のためにエル爺さんとやらが同じく一人二役でこんなものを書いたとは考えたくない。

 他に何かないだろうかと視線をあちこちに彷徨わせる。一つの所に視線を止めないのは、室内に広がる血の跡のせいだ。流石にじっと凝視したいとは思えなかった。



 ふとしゃがみ込んで床を見ていたアレクが何かに気付いたようで、診察台まで移動する。そうしてその台の下から何かを拾い上げた。

 それは違う部屋で見かけた日誌と同じ装丁のノートだった。

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