友人が冷静で頼もしいのですが、少しは自分の事を顧みてほしいものです
館に入った時に抱いた違和感と、この嫌な予感が同じものなのかはわからない。
けれど、何とも説明しがたい嫌な空気だけは確かにそこにあった。
レイヴンがドアを開けると、ヒュッと風を切る音が聞こえた気がした。
「レイヴン!?」
まさか立て続けに同じような事は起こらないだろう、そう思っていたがまさかの展開だったらしい。
そのまさかの展開を薄々予想していたのか、レイヴンは特に慌てた様子もなく短剣で飛んできたそれを叩き落した。
キン、と甲高い音がして床に落ちたそれは、一つ前の部屋で飛んできた物と同じ矢だったが、レイヴン越しに見えた部屋の正面に仕掛けられたボウガンの数が、前の部屋より多かった。
レイヴンの足元には三本の矢が落ちていたが、よく見るとそのうちの一つにはどうやら毒か何かが塗られているようだ。何とも不吉な色合いをしている。
「……見た所、ボウガン以外は他の部屋と同じ客室だな」
「いやあのレイヴン、冷静なのは頼もしいけどもうちょっと何かこう違うリアクションとかしてみようか」
「これくらいで騒いでいたら漆黒騎士団は命がいくつあっても足りないぞ」
「どんだけ物騒なの漆黒騎士団。ってか他の騎士団も同じようなものだったりするのか。だとしたら色んな意味で怖すぎるわ」
「まぁ、ボウガンにはもう矢がセットされてないし、次からはこの部屋のドアを開けても矢が飛んでくる事もないだろう……念の為ボウガンの位置を変えておくか。イリスはここにいろ」
「言われなくても大人しくしてる」
何ともデンジャラスな客室へレイヴンは足を踏み入れると、ボウガンに取り付けられていた紐を手にしていた短剣でさっくりと切断する。ついでにボウガンの向きを壁側へと向けた。矢そのものがここにはもう無いため無意味な行為だとは思うが、そこら辺は気持ちの問題というやつだろう。
しかしただの悪戯にしては悪質すぎる。本当に一体誰がこんな事をしていったのだろうか。
「仕掛けられたのは比較的最近らしいな」
「なんで?」
「家具や調度品には埃がうっすらと積もっていたが、ボウガンにはそれが無かった」
「じゃあ、誰かがわざわざ?」
「大方、『人喰いの館』『帰らずの館』という噂に便乗した愉快犯の仕業だろうな」
「なんっつー傍迷惑な……下手したら死人が出るかもしれないっていうのに」
一体どこのどいつだろうか。一歩間違えば人が死ぬかもしれないような悪戯を仕出かした奴は。
「それにしても、レイヴンがいてくれて本当に助かったよ。もしここにじいちゃんが一人で来てたらどうなってた事か……」
イリスの祖父ジョージは南区に住むイリスたちとは離れ、西区でひっそりと生活している。父や母のように毎日顔を合わせているわけではないので、もしここに一人で来ていて万が一の事があったなら……ほぼ確実に手遅れになっていた事だろう。そう考えると何とも嫌な汗が出てくる。
「……こっち側の六部屋は全部客室のようだったな。それじゃあ次はどうする? すぐ近くのドアから行くか?」
「……こっちからじゃなくて、前来た時に見ようと思った部屋にしとく。罠のあった部屋から少し離れたい。流石に密集してるとは思いたくないけど……やっぱ、ね」
「そうか」
立て続けにボウガンがあったので、何となくまだ他にありそうな気がしたのだ。愉快犯の仕業であるならば、それも逆手に取られて離れた部屋にも罠を設置しているかもしれない、と疑いだしたらキリがないのだが。
効率の悪い見方だとは思うが、レイヴンは特に何を言うでもなく来た道を引き返す。
「そういえばここいら一帯は埃が積もっていないな……」
「あぁ、それ前回アレク様が術で吹き飛ばしたからだよ。ついでにそっちの窓も割れたけど」
そっち、と指差された先にレイヴンが視線を向ける。窓があったであろう場所は、前回イリスが板で塞いでしまったので日の光も差し込まなくなり、余計に暗くなっている。
「……この館、思ったんだが窓の数が少なくないか?」
「え? う~ん……言われてみるとそう……なのかな? あんまりこういう所とは縁がないからわかんないけど、言われてみるとそんな気がしてきた……」
前回ジャックやマリーが侵入しなければ見るはずだった部屋は、どうやら物置として使われていた部屋のようだった。
最初は鍵がかかっているのかと思った程開きにくかったそのドアは、どうやら少々歪んでしまっていたらしく力ずくでレイヴンに開けてもらう。
「一階にも物置みたいな部屋はあったけど、そっちは食料とか置いてたっぽい部屋だったんだよね。こっちは見たままそのまま……みたいだね」
部屋の中央には何かの作業をするためのものか、少し小さめの机が置かれその上にはぼろぼろになってしまった縄、錆び付いた釘、もう使い物にならないだろう工具も置かれていた。
部屋の隅の方には何がしかの道具がしまいこまれているであろう棚が二つ。
「……イリス、これは」
「……鍵? どこかの部屋のかな?」
中央にあった机の上、物が乱雑に置かれていたところからレイヴンが小さな鍵を摘み上げた。
「元は鍵束だったみたいだが……」
「今は二個しかついてないね」
埃を払い、イリスが小さな鍵を受け取る。元々束ねられていたであろうそれは、何かの拍子に外れたのかそれとも意図的に外されたのか――輪に通された鍵と輪の大きさが不自然な程釣り合っていなかった。
机の上には輪から外されたであろう鍵は見当たらない。机の上に置かれた物をある程度よけると、そこにランタンを置いてレイヴンは机の下を見るべく屈み込んだ。
「ちょっ……ここ凄い汚れてるけど」
「汚れるのはいつもの事だ。慣れた」
「えぇ、そういう問題じゃないような気がするんだけど……」
本人が気にしていないのならいい……のか? ここでまぁいいかと納得するのも何か違う気がするが、一緒になって下を探すには机の下の空間は狭すぎる。仕方なしにレイヴンが顔を上げるまで待った。
「二つ見つけた」
「うっわぁ……なんかべたべたするぅ……」
埃にまみれすぎて残念な事になっている鍵を、なるべく触る面積を少なくしようと試みつつも輪に通す。これはちょっと拭いたくらいでどうにかなる代物ではないと判断し、イリスは鍵束を工具箱の中へしまいこんだ。
立ち上がり手についた埃を払うと、レイヴンは今度は部屋の隅にある棚の方へと目を向けた。
「一応調べてみるか」
「あぁ、うん……そうだね。何かさっきから嫌な予感しかしないんだけど」
「あぁ、たまにどうやって入り込んだのかわからない虫とか死んでる事あるよな」
「いやそういう事じゃなくて……それもイヤすぎるけど!!」
イリスの感じる嫌な予感とは別方向から怖い事をさらりと言ってのけたレイヴンは、自分に近い位置にある棚から確認する事にしたようだ。躊躇う事もなく淡々と引き出しを開けては閉める。
「大した物は入っていないな。かろうじて使えそうなのは蝋燭くらいか」
「蝋燭かぁ、廊下の燭台に使うやつだったのかな」
「恐らくは」
どのみち廊下の壁に点在している燭台に蝋燭をわざわざ設置して火を灯す気はないのだが。少なくとも今はランタンで充分だ。
「それじゃあ次はそっちの棚だね」
「あぁ、そうだな」
レイヴンがそちらへ足を向けようとした時、カタン、と小さな音が聞こえた気がした。




