不穏な何かはもうそろそろいらないんですが
残る部屋は四部屋。寝室の向かいの部屋と、休憩室の向かい側にある部屋。絵画が置かれていた部屋の隣と向かいの部屋。
一足先に部屋を出ていたクリスが絵画のあった部屋の隣にいたので、何となくそこのドアへと鍵を差し込んで。
ドアを開けてまず最初に見えたのは、一つのベッドだった。
「……ここも寝室?」
先程見た寝室と違うのは、ベッドが一つしかないという事くらいだろうか。
他に違いをあげるとするならこの部屋にはクローゼットもなく、机ではなく簡素なテーブルと椅子が置かれている。
「主任の寝室、と考えるにしてもなぁ……」
何とも言えない表情で、クリスが窓に掛けられていたカーテンを見る。
それはほんのりとパステルカラーで、簡素な部屋の中では少々異彩を放っている。
Wの部屋、と見るにしてもこのパステルカラーは無い。Wの外見や内面、性格嗜好など知った事ではないが、それだけは断言できる気がする。
似たような表情、と言っていいのか難しそうな顔をしたレイヴンがベッドに掛けられていた毛布をめくり、調べる。
特に何もなかったのか、今度は膝をついて屈み、ベッドの下を覗きこんで。
「血の跡がある……」
「えっ!?」
ぽつりと呟かれた言葉に驚いて聞き返す。イリスが声をあげたのとほぼ同時に、クリスがベッドの方へと進み、レイヴンと同じように屈んでベッドの下を覗きこんでいた。
「……あぁ、ホントだ。随分昔のものっぽいね。……イリスのお姉さんがここ譲り受けてから二年経ってるんだっけ? って事はどう考えてもそれ以前のものか」
「血の跡、だけ?」
「あぁ。他には何もない」
「何でわざわざベッドの下に……?」
「さぁな。もしかしたら血の跡を隠すために後からベッドをここに移動させた可能性もある」
淡々とこたえるレイヴンに、それもそうかと納得する。てっきり誰かがベッドの下に隠れてその時に怪我をして血が出たか、もしくは怪我をした状態であえてそこに隠れるしかなかったのか、という展開を考えてはいたがレイヴンの言った事を考えると、どう頑張っても落ちてくれない血の跡を仕方なく隠すためにベッドを移動させた可能性もある。
……その血の跡はそれじゃあ一体何でついたんだ、と問われると困るのだが。
「もしかしたらここ、診察を受けに来た人が待つ時に使ってた部屋とかじゃないのかな? 胡散臭い事この上ないけどここ診療所だったんだろう? 普段は一階の応接室で対応できるだろうけど、稀に夜遅くにやってきた人、なんてのもいたかもしれないし。
となるとそういう人が来た時のための部屋があってもおかしくないよね」
ここがWの部屋である、という可能性よりはそちらの方がそれっぽい気がした。
殺風景な部屋ではあるが、かろうじてパステルカラーのカーテンがその殺風景さを緩和しているのは、そう考えればまだ納得できる……ような気がする。
「何か、このカーテンの色合いが逆に浮いてる気もするけどこれのおかげで多少の生活感があるような気がしてくるのも事実だからなぁ……」
言いつつカーテンをひらりとめくる。そこにそっと隠すように、鍵が置かれていた。
鍵。
「……鍵の数、おかしくない?」
この部屋に入る前に残っていた部屋は四つ。今この部屋が開いたので残る部屋は三つのはずだ。
手元にある鍵でどこの部屋の鍵かわからない鍵は、たった今四つになった。
「……全部が全部部屋の鍵とは限らないんじゃないかな。もしかしたら、だけど」
「もしくは隠し部屋の存在を疑うか」
ちょっともうこれどこの鍵なのさ、と思わずぼやきそうになったイリスだが、対する二人は至って冷静にそう返してきた。
「部屋の鍵じゃないかもしれないって事は、今手元にある鍵が全部そうであるかもしれないって事も有りでしょ? まだ鍵探し回らないといけないとかどんだけ鍵に翻弄されないといけないのさ……」
そんなに大きな館じゃないとはいえ、それでも一部屋ごとに鍵を探してきたのだ。最初この館に来た時はもっと気軽にさくっと終わるかな~とか、ちらっとでも考えたりしただけに、その考えが甘かった事を今更のように実感する。
「まだ見てない部屋のどこかに余った鍵の使い道とかそんなヒントくらいはあるかもしれないし、深く考えなくてもいいんじゃないかな。Wが絡んでいるとはいえ、これお姉さんに向けての余興なんだろ? 流石にどうにもできないような難問吹っ掛けてはこないと思うよ。むしろ問題なのは――」
クリスが言葉をつづけようとしたものの、それは途中で中断される事となった。
何か――金属がぶつかったかのようなけたたましい音が聞こえてくる。
音の発生源はすぐ近くというわけではないようだが、それでも結構大きな音だった。
今現在館にいるのはイリスたちとあのヘンテコな魚である。
そしてイリスたちは別行動をするでもなく、一塊になって行動している。となると今の音の原因は言うまでもなくあの魚だろう。
こちらを見て逃げたり奇行に走ったり、中途半端に襲い掛かってきたりと色々忙しい魚ではあるが、今度は一体何をしているというのだろうか。
放置、という言葉も一瞬よぎったが、実際放置して何か厄介な事になっても面倒だ。
イリスがその結論に到達する前にクリスもレイヴンもそう判断したのだろう。
少々面倒そうな顔をしているが、一先ずは音がした方へと向かう事にした。
音がしたのはやや遠くの方からだった。
レイヴンが迷う事なく一階へ向かおうとしているので、恐らくは一階からなのだろう。というか、二階で先程のような物音を立てられそうな部屋は休憩室くらいだが、それならばもっと大きな音として聞こえているはずだ。
がんがんと何かを打ち付けるような音も聞こえていたが、今は聞こえてこない。階段を下り、三人が一階へ到着した直後、今度はバンと大きな音がした。どうやらそれは魚がドアを壁にぶつかる程の勢いで開け放った音らしかった。
部屋から魚が二匹、転がり込むような勢いで出てくる。
「……あれが音の原因かな」
魚が出てきたのは、どうやら厨房からのようだった。
下りてきた階段が反対側だったので距離は開いているが、それでも奴らのスピードをもってすればこちらとの間合いを詰めるのは一瞬だろう。
その魚が二匹、横向きになっている方は両手で鍋を持ち、縦向きになっている方は両手にお玉を持っていた。
何やら激昂した様子で鍋と鍋の蓋を打ち鳴らしたり、お玉を壁にぶつけたりしている。ガンガンくわんくわんとひたすら騒々しい。
「……イリス、下がっていろ」
こちらに気付いた魚が鍋をお玉を振り回しながら向かってきたのは、直後の事だった。表情こそ何の変化もないが明らかに怒っている様子の魚からイリスを庇うようにして立つレイヴンが剣を抜き、お玉二刀流で襲い掛かってきた魚の攻撃を受け止める。
鍋を振り回していた方の魚はクリスが何やら魔術を発動させたためか、咄嗟に鍋を盾がわりにして防いでいた。
「もしかしなくてもアレ、食堂にあった鍋だよねぇ……まさかあの中身、あいつらの餌だった、って事?」
「恐らくは、そうだろうね。じゃなきゃここまで怒ったりしないと思うよ」
意外にあっさりとこたえたのはクリスだった。その視線の先には鍋を構えたままゆらりと横へ移動しようとしている魚の姿。
レイヴンの方へ視線を向けると、そちらはお玉と激しい攻防を繰り広げている所だった。
「……よし、撤退しよう!」
「は!?」
いきなり何を言い出すのかと思えば、まさかの帰宅宣言。クリスの考えに全くついていけないイリスが声をあげるも、クリスは全く気にした様子もなくレイヴンへと声をかけた。
「そういうわけだからレイヴン、一先ず今日の所は戻る事にしようか。そろそろいい時間だしね」
「こいつらの様子を見て言っているのか? ……そう簡単に逃がしてくれるとは思えないが」
「私の予想が正しければ、こいつら館の外にまでは出てこないだろうから、すぐそこまで行ってぱぱっと扉開けて外に出てしまえばいいよ。万一こいつらが外に出たら、その手にしてる武器がわりのお玉も鍋も魔導器の恩恵を受ける事がなくなるから破壊も可能だし」
さらりと言ってのけるクリスに数瞬、何か酷く胡散臭いものを見るような目を向けていたレイヴンだったが、仕方なく――本当にしぶしぶといった感じで小さく頷いた。
普段ならばこちらの姿を見るなり逃げていた魚たちは、今回に限って逃げるどころかこっちを逃がすつもりなどないと言わんばかりに襲い掛かってきていたが、それでもなんとか館の外へと出る。
扉をすぐさま閉めようとしたイリスだったが、クリスがそれを制止して。
館から出て少し離れた場所で立ち止まる。
扉は開いたままだが、魚たちは館の中から出てくる様子はない。しばらく鍋を手近な壁にぶつけるなどして威嚇行動をとっていたが、やがて諦めたのだろう。だんだんと足を踏み鳴らして、それから扉を閉めた。
直前に投げ放ってきたお玉がすぐそばの木にぶつかり、こーんといい音をたてるのと、バンッと扉が閉まったのはほぼ同時だったように思う。
「ホントに外に出てこなかったけど……何で……?」
「ふむ……予想通りと捉えるべきか……それはそれで面倒だな……」
イリスの問いにこたえるつもりがあるのかないのか、クリスは顎に手をあててぽつりと呟く。
……正直な話、真面目にやっててもそうじゃなくても彼のリアクション一つ一つがどれも嫌な予感しか生み出さない事の方が面倒だと思うが、うっかりそれを口にしてしまうとイリスの身が少々危険になりそうなので何事もなかったかのように彼女はそっと口を手で覆った。




